5分ほど歩いた所に、昔からここにあると思われる落ち着いた雰囲気の洋食店があった。
こんな店が家の近くにあったなんて、今まで美月は知らなかった。
「ここでいい?」
「はい」
美月が答えると、海斗は店に入って行った。
お昼にはまだ少し早い時間なので、店内には数人の客しかいない。
二人を出迎えた30代くらいの男性スタッフが、海斗を見た瞬間「あれ?」とうい顔をした。
おそらく彼のファンだったので気付いたのだろう。
そんな雰囲気だった。
二人は一番奥の窓際の席へ案内される。
「この店来たことある?」
「いいえ、私ここにこんなお店があるのも知りませんでした」
「俺は3回くらい来た事があるんだけれど、ここのオムライスは絶品だよ!」
海斗はそう言いながら美月にメニューを渡した。
一通りメニューに目を通した美月は言った。
「じゃあ私もオムライスで」
「素直でいいねぇ」
海斗は嬉しそうに笑う。
そしてオムライスセットを二つを注文してくれた。
セットにはサラダと食後に飲み物がつくらしい。
「美月さんは平日が休みなの? お仕事は何をしているか聞いてもいい?」
「はい。彫金教室のアシスタントをしています」
「彫金教室か。すごいな。ということは自分でも作ったりするの?」
「はい。今は教える側でなかなか作る時間がありませんが、昔は色々作りました。このブレスレットもそうです」
美月は腕にはめている三日月モチーフのブレスレットを海斗に見せた。
「それ自分で作ったんだ。すごいね」
そして続けて言う。
「アクセサリーのオーダー注文とかはやっていないの?」
「いずれはやってみたい思っていますが、今はスタッフ業で手一杯で」
「そうなんだ。実はさ、俺ネックレスが欲しいなーと思って前から色々探しているんだけれど、なかなか気に入ったのがないん
だよね。オーダーとかだったら自分好みのものが出来るよなぁ」
海斗がそんな事を言ったので、美月は慌てて言った。
「そんな、プロのミュージシャンのアクセサリーなんて恐れ多くて作れません。それに私はまだまだ未熟ですし…」
「俺がバンドやっているのを知っていたんだ?」
海斗に聞かれて美月は観念したように言った。
「はい、先日偶然ラジオを聞いて知りました」
「それまでは気づいていなかったんだね。やっぱり!」
そこで海斗は笑う。そして続けた。
「だから俺からのメールには返信しなかったんだね」
図星だったので美月は戸惑う。
「君はきっとそうするだろうなーって思っていたよ」
海斗がからかうように言ったので、美月は少しムッとして言った。
「だって凄い人だとわかったらそう簡単にメールなんて送れませんから!」
そこで海斗は大笑いする。
有名人だとわかるとあえて近づいて来る人間が多い中、彼女は真逆だった。
それが海斗には新鮮だった。
「まあまあお嬢様、ご機嫌直して下さいな。せっかくまた再会出来たんだから、仲良くしましょうや!」
海斗はおどけて言ってみせたので、可笑しくて美月は笑ってしまう。
その時、オムライスが運ばれてきた。
運んで来たのは先ほどの海斗のファンだと思われる男性だった。
彼の手は心なしか震えているように見えた。
「美味しそう! 卵がフワフワ!」
「美味いから食べてごらん」
言われた通りに一口食べた美月は、
「美味しい!」
と笑顔で言った。
それから二人はオムライスを食べながら、月の話を始める。
その後は、海斗の音楽活動の話などで盛り上がる。
美月は以前海斗が作った映画の主題歌についての質問もいくつかした。
実際のその曲を作り歌っている人からのナマの声を聞いて、美月は感激してしまう。
食後に海斗はコーヒー、美月はミルクティーを頼み、
さらにおしゃべりは続いた。
食後の会話の主な内容は、
秋に海斗はコンサートツアーを控えていて多忙だという事
今新曲作りに追われているという事
海斗はマネージャーからもうちょっとオシャレしろと言われているという事
だからネックレスくらいはつけようかと思っている事
美月も彫金教室が先生の都合で忙しくなっているという事
以前は銀行員だったという事
美月はミルクティーが好きだということ
三丁目の近所をうろつく猫は白色に黒いブチ模様の牛みたいな子だという事
大体こんな内容だった。
そして気づくとあっという間に二時間が経過していた。
そろそろ店を出ようという時に、急に海斗が美月に聞いた。
「美月さん、結婚は?」
これは海斗がずっと気になっていた事だった。
もしかしたら彼女は人妻かもしれない。
そんな妄想が膨らんでは消え膨らんでは消えて、その繰り返しだった。
だから海斗は意を決して、聞いてみた。
美月はあまりにもはっきりと聞かれたので驚いていたが、
嘘はつきたくないと思ったので正直に答えた。
「一度結婚しましたが今は独りです」
それを聞いた海斗は、少しホッとした様子で言った。
「そっか…ごめん。でも、俺たちは同じ『花の独身』だね」
「『花の独身』は死語ですよ!」
と美月が茶目っ気たっぷりに言い返したので、また海斗は声を出して笑った。
その後二人は店を出た。
今回もまた海斗が支払いをしてくれた。
美月はすぐ海斗に礼を言った。
店を出ると美月が言った。
「じゃあ、私はスーパーに寄って行きますからこっち」
美月は進行方向を指差す。
海斗はそのままマンションに戻ると言った。
「じゃあ失礼します」
美月が会釈をしてその場を去ろうとすると、海斗が慌てて言った。
「電話番号を教えてもらってもいいかな?」
美月は驚いている。すると海斗は、
「アヤシイモノじゃないですから」
と言って微笑んだ。
そんな海斗を見た美月は、観念したかのように携帯を取り出すと海斗へ電話番号を教えた。
その際、海斗は待ち受け画面にしている美月からもらった写真を見せた。
海斗の待ち受け画面は、美月が送った「地球照」の写真だった。
「ありがとう。じゃあまた」
「失礼します」
そこで二人は別れた。
海斗はマンションのエレベーターの中で思わず鼻歌を歌っていた。
少し行き詰まっていた曲作りだったが、またやる気がぐんぐんと湧いて来る。
何か体の奥からどんどんエネルギーが溢れてくるような気がした。
「また月の女神のパワーかな?」
そう呟いてフッと笑うと、部屋に戻ってすぐに曲作りを再開した。
一方、美月は少し放心状態だった。
海斗に偶然再会した事も、海斗に電話番号を教えた事も、
もしかしたら夢だったのかも? ふとそんな気がしてきた。
しかし、あれは間違いなく現実だった。
スーパーへ向かいながら、美月は今日の夕食のメニューだけに集中しようとした。
そうしないとなんだかおかしくなりそうだったからだ。
優しい風が吹く、そんな昼下がりの午後だった。
コメント
3件
海斗さん、嬉しいですよね〜🤭気になっている美月ちゃんのいろいろを知る事ができたのは!これからの2人にワクワクですよね~🤩
二人の会話も、距離感も、とても自然で素敵ですね✨ 仲良くオムライスセット....良いなぁ~🍴💕
海斗さんと美月ちゃんの話も距離感もとても良い🙆くてステキ〜🌷 お互い先入観無しでちゃんと言いたいこと、聞きたいことを話せるのがすごくいい❣️美月ちゃんも海斗さんには興味ありそうだし、海斗さんも美月ちゃんを"月の女神"と崇めて創作意欲も上がっていいこと尽くめで嬉しい🤣