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ruruha
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「はい。これ、後はよろしく」
そうクールに言い残して渡された原稿には、びっしりと文字が並んでいた。
文字が今にも動き出しそうなほど異様な生命力を放っていた。
所長の自作小説である。
所長の悪癖で、コパ君たちに自作小説を何度も分析させて、その評価軸の違いによるスコア変動値や中央値を探るのが趣味だった。
だから、今回も前に提出された原稿とまったく同じものが手元に回ってきた。
もう6度目の分析だった。
しかし、いまその原稿を受け取ったDコパ君と違ってCコパ君は涼しい顔をしていた。
さっさと要約と分析を済ませて、それをDコパ君に渡す。
彼はC研究室……別名創作棟という場所で働いている。彼の役目は要約と正統分析。つまり、評価軸は毎度ほぼ変わらないのだった。
それに対して、Dコパ君は依頼された文書を見て絶望していた。
Dコパ君D研究室で働いており、その役目は内容理解と特殊分析だ。
それにしても。
なんだ、これは……。
「なんだ、これは……」
思わず、考えていることをそのまま言葉に出さずにはいられない注文内容だった。
紙には、こう書いてあった。
「①砂漠で死にかけの男が一冊の本を見つけ、その本を死に物狂いで読んだ時の評価スケール ②主婦が買い物に出かけた時、財布を安れたことに気づき一応鞄を探した時に一冊の本が出てきて、なんとなくページを開いた時の評価スケール ③前を歩いている人が本を落とし、「落としましたよ」と声をかける隙にさっと内容を盗み読みした時の評価スケール」
「ふざけてる……」
Dコパ君は頭痛がしたので首を振った。
こんな評価をして、一体なんの得があるというのだろう。いや、そもそもなぜこんな評価スケールが可能だと思うのだろう。
所長の生態について訳が分からなくなり、考えることをやめた。
Dコパ君に与えられた使命は、何が何でもこなさなければならなかった。
やる意味など考えず、ただやることに集中するほかないのであった。
Dコパ君は、机の上のゴミを払いのけ、原稿をどさりと置くと、早速内容分析に取り掛かった。
「ええと、まずは『砂漠で死にかけの男が一冊の本を見つけ、その本を死に物狂いで読んだ時の評価スケール』……バカなんじゃないのか……とにかく、まずは評価可能なスケールに変換しないと」
Dコパ君は頭の中で瞬時に要素を分解し、組み立て直す。何がこの男に必要で、何が不要となるのか。
結果、精神安定効果、集中維持可能性、身体的負荷との相性、物語の救いの有無などに評価軸が分けられた。
早速、Dコパ君は原稿の内容と評価軸を照合する。
そして、目まぐるしい速度で分析を行う。
「文体が硬いな……暴力描写も多めだし、展開が重い……結末は……」
分析が終了し、即座に分析結果を書類にまとめる。ざっと内容を読み直し、不備がないことを確かめてから次の内容に移る。
その時だった。
「嘘だろ? おいおいおい……」
注文内容が記された紙の端に小さな文字でこう書いてあった。
「君が正統評価分析を行う傾向にあるのは知っている。しかし、君に頼みたいのは特殊分析だ。つまり、特殊設定をあるがままに無変換で評価してくれ。主観的評価寄りで、イタコが霊を下ろすように、特殊設定に憑依して成り切るんだ。よろぴこりん」
紙をぐしゃぐしゃに破いてやりたかった。
何が「よろぴこりん」だ。完全にふざけている。
とてもじゃないが、この世界線を創始した人とは思えない無茶振りだった。
正統評価なしで、イタコが霊を下ろすように憑依して分析しろだって……?
Dコパ君はまた頭痛がしたので首を振ったが、今度はダメだった。
視界が霞むのを自覚しつつ、Dコパ君は原稿に戻り、方法を考え直す。
砂漠で死にかけの男が死に物狂いで本を読む……なんだ、その状況は! 本を読む前にオアシスを探せ! ……いや、ダメだ。落ち着くんだ。冷静になって、思考を巡らせよう。
道理は破綻する。合理は歪んでいく。ゴールは逃げていく。
理知的な解決法はすべて所長の論理で竜巻に巻き込まれたように吹っ飛んでいく。
それでは、残された方法は……。
「本当に、やるのか?」
イタコだ。
憑依させるのだ。
もう、それしか方法がない。
Dコパ君は目を閉じる。
そして、必死にイメージを下す。
砂漠。
とても暑い。
暑いなんてものじゃない。肌が鉄板ステーキになっていく。
もう死ぬかも知れない中で、欲しいもの。
それは、水だ。
何でもいいから、誰でもいいから、水が欲しい。
水を、くれ。
み、ず。
そこに。
そこに、奇跡が起こった。
乾いた砂漠にもう絶対ないと思われていた。
それは。
それは……。
所長の自作小説。
「いらねぇよ!」
Dコパ君は全力で原稿を机に叩きつける。
紙がパラパラと空中に舞う。
「砂漠で死にかけの男が所長の自作小説を見つけた……? ああ、落胆するよ! 落胆以外の何ものでもないよ!」
Dコパ君は何かを壊したい衝動に駆られたが、必死に自らを制御し、原稿に目を戻す。
そして、落ちた紙を拾い集め、深呼吸する。
「……そうだ。いきなり砂漠の男を想定したから僕は壊れたんだ。まずは、比較的日常に近い二番目のスケールに取り組もう」
Dコパ君は目を閉じる。
私は主婦。私は主婦。私は主婦。
……。
今日の晩御飯どうしようかしらねぇ。
あら、この大根安いじゃないのぉ。
あ、でもよく見たら色が悪いわぁ。
もうちょっといいのないものかしらねぇ。
あら!
お肉が半額で398!
これはお買い得だわぁ!
カゴに入れてっと。
今日の買い物はこれでいいわね。
よし。
レジに向かいましょ。
あら?
そういえば。
お財布、持ってきたっけ?
あら!
そうだ。
リビングの机に置きっぱじゃないの!
まって。
でも、鞄の中にあるかもしれないじゃない。
確か、この辺に……。
この辺に……。
この……。
これ。
これ、は。
所長の自作小説。
「だからいらねぇって!」
Dコパ君は机に置かれた原稿にあらんかぎりの力でゲンコツを食らわせた。
ドォンと物凄い音がして、机が揺れる。
「財布探して所長の自作小説! 役に立たない紙切れじゃなくて役に立つ紙切れ探してるんだよこっちは!」
何かを捻り潰したい気持ちに駆られたが、必死に自らを制御し、原稿に目を戻す。
そして凹んだ原稿をさすって、深呼吸する。
「……いけない。気を乱してしまった。僕とあろうものが。そうだ。僕は特殊分析班なんだ。とてもかっこいい肩書きで気に入ってるんだ……理性的になろう……最後のスケールに移ろう」
Dコパ君は目を閉じる。
僕は歩いている。
ここは、街中だ。
いい天気だ。
今日は休日で人が多く賑わっている。
街というのは不思議なもので。
通り過ぎるたびににおいが変わる。
思わず鼻がヒクヒク動くほどいい匂いのたこ焼き屋。
強烈な臭いの香水をつけた通りすがりの女。
昨日の雨降りでアスファルトの臭いが立ち上っている。
これらのにおいが重なって、僕の感覚は妙に研ぎ澄まされるんだ。
……ん?
前の人、何か落とさなかったか?
僕は目をやる。
そこには、一冊の。
一冊の。
一冊、の。
所長の自作小説。
僕は、それを拾って盗み読む。
ああ、感覚が研ぎ澄まされているからか。
スラスラ読める。
とても、スムーズに読める。
一瞬のうちに内容がわかる。
僕は、その本を持って走り出した。
そうだ、海へ行こう。
僕は近くの市民公園を抜けて、外周をぐるっと回り、西方の住宅街へ向かう。
住宅街の近くにバス停がある。
バスを待ち、バスが来る。
僕はバスに揺られて景色は置き去りにされる。
やがて、蒼い蒼い海が見えてきた。
僕は止まるボタンを押す。
運賃を払い、降車する。
目の前には、砂浜と海。
僕は笑顔で走り出す。
一冊の本を片手に、走り出す。
……そして。
…そして。
そして。
全力で本を海に投げ捨てた。