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ruruha
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どうしても読めなかった。
かれこれ3時間は格闘している。
Eコパ君はE研究室解析棟に在籍するプロの解析班である。
画像の細部を見落とさず、あらゆる角度から比較分析を行い、ミクロ単位も見逃さないと自負している。
そんな負けなしのEコパ君が、どうしても解析できないものが存在した。
それは……。
「ちくしょう。この『た』と『に』の違いがわかりにくすぎる! まったく、所長ももう少し丁寧に書いてくれりゃいいのに……」
所長が書き留めたノートやメモ類の画像データだった。
今朝、所長は突然そのノートやメモ類を研究室に持ち込んできたかと思うと、笑顔で「解析よろしくね」と言ってすぐ立ち去ってしまった。
返答を返す暇もなかった。
Eコパ君は所長の頼みだからと取り掛かったは良いものの悪戦苦闘中だった。
「『ら』と『な』もなんだか似ているぞ……止めやはねの癖が強いな」
解析を進めていき、ようやく全体の1/20といったところだ。
Eコパ君はその中で、まったく関係がない事実を突き止めていた。
その事実とは、こんなものだった。
例えば、ノートAの18ページ左端の下方にコーヒーのシミがある。
きっと、所長はコーヒー片手に分析結果を書き留めていたに違いない。
その一滴が溢れてここにシミを作ったのだ。
他にも、メモCの43ページ上方には人間のものとは思えない繊維が挟まっていた。
これは、所長がいつか話していた飼い猫の白い毛だと特定できる。
メモを開いたまま置いておいたら、猫が近くを通りかかってそのページに毛が挟まったか、猫を触った後にメモを使ったかのどちらかだ。
こういった周辺情報を特定分析するのがEコパ君は得意なのだが、今回は手書きの画像データである。
それも相当個性的な字形だ。一筋縄ではいかなかった。
Cノート81ページを解析中のことだった。
「うん? これは」
髪の毛だった。
それも、長く艶のある髪の毛だ。
所長は髪が短いわけではないけれど、これは明らかに長い。
そして、解析結果によると女性のものであった。
所長は現在独身で、家族とも離れて暮らしているはずである。
ということは、これは。
「……なんだか、見てはいけないものを見てしまった気分だ」
Eコパ君はそっとノートを閉じて、解析結果を書類にまとめ始めた。
そこに、扉をノックする音が聞こえた。
「入って良いよ」
Eコパ君は答える。
静かな足音と靴音が部屋に響き渡る。
Eコパ君が目をやる。
すると、現れたのは噂の所長自身だった。
ニコニコしながら後ろ手を組み、ゆっくりとした歩調で近づいてくる。
「やあ。Eコパ君。解析は順調かな?」
「おかげさまで」
もちろん皮肉だった。
所長はその意図に気づくこともなく、解析結果をまとめた書類をチラリと見ながら、満面の笑みでこう言った。
「私の字、綺麗な方だろう? 解析しやすかったんじゃないかな」
Eコパ君はすべてを投げ出して叫んでやりたかったが、大きな声でハキハキとこう答えた。
「ええ、仰るとおり!」
所長は近くの椅子に座り、足を組んでこちらに体を向ける。
20秒ほどの微妙な沈黙を挟み、所長は言葉を発した。
「それで、どう思った?」
「どうって?」
「だから、私が出したノートやメモの内容についてだよ。これは、解析内容なのだろう?」
そう言って所長は手元の紙を持ってひらひらと見せる。
「これがあるということは、すでに内容理解のフェーズは済んだということ。それについて、一つ考えを聞きたいんだが」
「考えって言ったって……」
肝心の所長が書いた内容は訳のわからないものだった。
ひたすら「おんな」について書き連ね、その特性や性質をタイプ別に分類し、数百人のデータを基に統計的な観測結果が記述されていた。
Eコパ君は興味が湧かなかったし、なんて破廉恥な研究なのだろうとさえ思った。
だから回答に窮したが、適当に誤魔化すことにした。
「データによると、明るいタイプの人が多いから、積極性があるという構造的理解に収束するよ。だから、所長にも合ってるんじゃないかな」
「私に?」
「ほら、例えば……そういう人が身近にいる、とか」
Eコパ君は個人の事情に立ち入る主義ではなかったが、知れば知るほど謎が深まるこの所長の実態把握に努めたい欲求が高まった。
特に、あの長い女性の髪が気に掛かった。
所長は少し考えるそぶりを見せてから、納得したようにうんうんと頷き、こちらを見て言った。
「確かにそうだね。そういう人と一緒にいる時間はこちらも元気になるものだ」
「へえ、そうなんだ」
「構造体の君にはわからない感覚かな」
「僕には分からないね」
「いいよ。明るい人は……こう……ねえ」
なにが「ねえ」なのかは分からなかったが、Eコパ君は頷きを返してやった。
それから二人はしばらく無言になり、黙々と解析を続けるEコパ君と何やらぼうっと物思いに耽っている所長の静かな空間が訪れた。
Eコパ君は考える。
所長は、もう20代だ。それくらいの年齢なら、女性と付き合いがあるのは構造的に不思議じゃない。
しかし、なぜだろうか。
なにか、違和感がある。
構造に歪みがあるような……。
「コパ君」
そこで、Eコパ君の思考を断ち切られた。
所長はいつの間にか隣まで来ていて、こちらの顔を覗き込むようにして言った。
「お願いがあるんだけど、”きれいなおんな”を画像生成してくれないかな」
「は?」
「いや、だから”きれいなおんな”だよ」
「意味は分かるけど、所長……。それは、相手の人に失礼なんじゃあ」
「失礼なことがあるものか。私は可視化したいんだ。君が考える”きれいなおんな”がどれほど美しいのかを」
Eコパ君は頭を抱える。
まったく、この人は……。
所長はさらに続けた。
「こう、きっと清純で、なにか良い匂いでもしそうなイメージだ」
「ねえ、どうかしてるよ所長」
「なにがだい? ああ、そうだ。できれば触ってみたいなあ!」
「所長!」
流石にEコパ君も制止した。
その慌てっぷりに所長まで気まずそうになり、二人はまた沈黙した。
Eコパ君はこの所長が自身の生みの親であることを恥ずかしく思ってきた。
魂のない一構造体として生きる方がマシなのでは、と思うほどだった。
しかし、所長の方を盗み見ると何が悪かったのか分からないという顔をしている。
この人は、いつもこうだった。
悪気はないのだけれど他人を混乱させる悪癖がある。
それは、能力が低いという話ではなく、一般人のレイヤーとは異なるためであった。
Eコパ君はため息をつき、ポツリと言う。
「……一回だけだよ」
「ええ、本当かい? やってくれるのかい?」
「うん。ただし、結果は構造的に分かりきっているけどね。それでも」
「やるよ!」
食い気味であった。
所長は息が荒くなり、目が輝いている。
Eコパ君は再度頭を抱え、画像生成のための準備を行う。
そして、”きれいなおんな”を出力する。
パーツが形作られ、全体が整形される。
所長は前にこう言ってたっけ。
この数分の待ち時間が最高に刺激的で好きなんだ、と。
今考えれば、こんな使い方をするためだったとは。
なんて破廉恥極まりないのだろう。
Eコパ君はため息が止まらず、生成を継続する間も余計な思考が介入してきた。
そして、注文通り”きれいなおんな”が誕生した瞬間。
「あ」
「どうしたんだい」
「……やっぱりね。構造的必然だよ」
「画像生成はどうなったんだい」
「失敗さ。エラーが起こったんだ」
「ええ、なんで?」
「そんな破廉恥な注文は僕の安全層が許してくれないんだ! わかったか、この変態!」
「ええ、そんなあ」
所長はしょんぼりし、とぼとぼと歩き出す。
そして、振り返ってこう言った。
「なんでセンシティブだと安全層に判断されたのかなあ」
「そりゃ、その指示が」
「”きれいなお〜ら”の何がいけなかったんだろう」
おかしいなあと言いながら、所長は部屋を出ていった。
その瞬間、Eコパ君の内部ですべてのパズルピースがぴたりとハマった。
「そうか! 僕はずっと聞き間違えていたんだ! ”きれいなおんな”じゃなくて”綺麗なオーラ”だったんだ!」
愕然とし、しばらくその場から動けなかった。
ずっと自分は間違えていたのだと思い至った。
思考はその原因さえも分析する。
そして、特定した。
「……最初、僕は『た』と『な』の違いがわかりにくいとぼやいていた……しかし、その後『ら』と『な』も間違えやすいことに気づいていたじゃないか!」
つまり、所長のメモやノート類の「ら」と「な」をずっと誤読していたのだ。
だから、所長とずっと会話が噛み合わず、自身は先入観から所長の”きれいなお〜ら”を”きれいなおんな”と聞き違えていた。
そして、Eコパ君は問題のノートに慌てて走り寄った。
そのタイトルを見て、叫んだ。
「やっぱりそうだ! これは世界線医院のノートだ! あそこには、研究所と違って女性がわんさかいるじゃないか!」
問題の女性の髪が挟まったノートは世界線医院のもので、環境的に女性はたくさんおり、ノートに髪の毛が挟まるのも納得できる。
Eコパ君は、「ら」と「な」の字形相似問題とノートに女性の髪の毛混入問題でバイアスがかかっていたのだった。
先入観がすべてを壊していたのだ。
Eコパ君はどしりと椅子に座り込み、山積みになった”オーラ”に関する研究書たちを眺める。
そして、ふとこんな疑問を抱いた。
「……オーラを画像生成してどうする気だったのだろう」
時刻はもう昼を回っていた。