テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
盛り塩を終えると、銚子は部屋の中央に静かに座り、除霊の儀式を始めた。
空気が張り詰める。
銚子は目を閉じ、意識をこの家に留まり続ける猫たちの霊へと向けた。
「霊堂霊冥霊界遊鬼──
霊障消滅安寧祈願──
浄化清明合掌礼拝──
その身この場を縛る者──
怨みを解きて執着を捨てよ──
還る道は閉ざされず──
安らかなる行き先へ──
鎮魂を願いて──
霊魂退散」
その瞬間だった。
「ゴクリ・・:」
ひよりが固唾を呑む。
しかし、何も起こらない。
銚子はゆっくりと目を開いた。
部屋に残る気配は、消えていなかった。
それどころか、先ほどまで以上に強くなっているようにすら感じられる。
部屋は全体的に揺れ、時折軋むような音を発する。
その異変を察した信愛が、不安そうに母親を見る。
「お、お母さん?これって・・・」
銚子は険しい表情を浮かべた。
「猫の霊の拒絶ね・・やはり恨みは強いみたい」
「じゃ、じゃあ・・・」
「大人しくは帰ってくれそうにないわね」
淡々とした言葉だった。
だが、その意味は重い。
銚子は小さく息を吐く。
「まあ、無理もないわ。同胞を無残に殺されてしまったんだもの。大人しく帰れなんて言われても、許せるはずないわ」
「じゃあどうするの?」
信愛が尋ねる。
銚子はしばらく考えたあと、静かに答えた。
「仕方ないけど、封印させてもらうしかないわ
でも・・・それには器が必要ね」
「器?」
「封印しておくための入れ物の事よ」
「あっ、そうか」
2人のやりとりを聞いたひよりは、静かに有栖を見つめた。
胸に抱いた人形へ、そっと手を添える。
この子は、自分が絶望の底にいたとき、偶然出会った大切な存在。
思い出が詰まった人形。
もし、この中へ猫の霊を封じれば、二度と元には戻らないかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。
指先が震え、人形を抱く腕に自然と力が入った。
「ごめんね、有栖・・・」
小さく呟く。
そして深く息を吸い、決意したように銚子へ歩み寄った。
「これを使ってください」
「え?」
ひよりの予想外の発言に、信愛の目が見開かられる。
「でもこれは・・・」
「いいの・・・」
その声は震えていた。
決意したはずなのに、人形から手を離す指先だけは、どうしても名残を惜しむようだった。
銚子は差し出されたものを見つめ、しばらく沈黙する。
やがて、ひよりの覚悟を受け取るように静かに頷いた。
「わかりました・・・では
有栖ちゃんを使わせていただきます」
「お願いします」
銚子はひよりから人形を受け取ると、部屋の中央にあるテーブルの上へそっと置いた。
そして再び、その前に座る。
今度は霊を送り出すためではない。
この場所に留まり続ける怨念を、一つの器へ封じ込めるために。
銚子は目を閉じ、静かに唱え始めた。
「霊堂霊冥霊界遊鬼──
霊障封印平穏祈願──
浄化清明合掌礼拝──
此処は汝の在るべき場に非ず──
怨念を鎮める道は与えず──
不浄なるものを封ず──
鎮魂を拒みて──
霊魂封緘」
その言葉を最後に、部屋は完全な静寂に包まれた。
先ほどまでまとわりつくように漂っていた重苦しい気配も、嘘のように消えている。
信愛は恐る恐る周囲を見回した。
「お、お母さん?」
「ふぅ〜・・・上手く行ったわ」
張り詰めていた緊張から解放され、銚子は安心したようにその場へ座り込んだ。
先ほどまで部屋を満たしていた異様な気配は、もうどこにも感じられない。
ひよりはテーブルの上に置かれた有栖を見つめながら、恐る恐る尋ねた。
「という事は・・・今有栖の中に?」
「ええ、猫の霊を封じ込めました」
「そう・・・ですか」
ひよりの表情がわずかに曇る。
そんな彼女とは対照的に、信愛は心配そうに人形を見つめていた。
「でも大丈夫なの?霊を封じ込めるって
もっと祠みたいな立派な奴じゃなくて」
「この人形はね?もう既に器として成熟していたの」
「ん?どう言う意味?」
「この人形には元々霊が取り憑いていたのよ
それは信愛も薄々気づいていたわよね?」
「それはそうだけど・・・」
ひよりも驚いたように顔を上げる。
「霊って一体、どんな霊が?」
銚子は静かにひよりへ視線を向けた。
「ひよりさん・・あなたの亡くなった娘さん
有栖ちゃんの霊です」
「──っ!」
ひよりの目が大きく見開かれる。
次の瞬間、その瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うっそ・・・」
信愛も言葉を失う。
「有栖が?」
「まあ、今はもう人形と同化しているけど
間違いなくこの人形には有栖ちゃんの
霊が取り憑いていました」
信愛はそこで、ようやく全てが繋がったように呟いた。
「だから人形がひよりさんを護ってたんだね」
「そういう事」
「有栖・・ぐすっ・・・」
ひよりは人形を強く抱きしめ、嗚咽まじりに泣き始めた。
まるで、もう二度と離すまいとするように。
銚子はそんなひよりの姿をしばらく見守ったあと、静かに声をかける。
「ひよりさん?」
「は、はい・・・」
ひよりは涙を拭うこともできないまま顔を上げた。
「あなたは確か、普段なら通らない道を
歩いていた先にあったリサイクルショップで
この人形を偶然見つけたそうですね?」
「はい・・そうですけど?」
「なぜ普段通らない道を?」
「いえ、自分でも分からないんですけどたまには
別の道で帰ろうかなって・・何の気なしに」
銚子は優しく人形へ目を向けた。
「それは導かれたんです。この有栖ちゃんに」
「導かれた?」
「ひよりさん・・あなたは『胎内回帰』
という言葉をご存知ですか?」
「たいない・・・かいき?」
ひよりは聞きなれない言葉に首を傾げる。
「母親の胎内にいた頃の、温かく安心できる
状態に今すぐ戻りたいという心理的願望の事です」
銚子はひよりの腕の中にいる人形を見つめる。
「おそらく有栖ちゃんは亡くなっても
お母さんの事を忘れられなかったのね」
ひよりの腕に、さらに力がこもった。
「でも私は有栖を死なせて──」
「少なくとも有栖ちゃんは、お母さんに
殺されたなんて思ってなかったんです」
ひよりが息を呑む。
銚子は静かに言葉を続けた。
「現にあなたは、人形の中にいる
有栖ちゃんに導かれた」
銚子は優しい眼差しで続ける。
「その有栖ちゃんは、猫の霊から
あなたをずっと守り続けてきた」
ひよりの頬を、また新たな涙が伝っていく。
「それが答えだと、私は思いますが、どうです?」
銚子の言葉に、ひよりは嗚咽混じりに泣きながら人形を抱きしめる。
「有栖・・有栖・・・ありがとう
私をママに選んでくれて・・・
私の子供でいてくれてありがとう」
「これからも有栖ちゃんは、ずっと
あなた達夫婦を護ってくれます」
銚子は泣きじゃくるひよりの背中を優しく撫でた。
コメント
1件
×××さん、第228話読み終えました。今回の盛り塩と封霊の段取り、銚子さんの手順がしっかり描写されていて、儀式の重みが伝わってきましたね。そして何より、有栖がただの人形じゃなくて、ひよりさんの娘さんである有栖ちゃんの霊が宿っていたという真相に胸が熱くなりました。“胎内回帰”という言葉で導きを説明する銚子さんの優しい視線も良かった。ひよりさんが人形を手放す時に震える指先で覚悟を伝える場面、あの細かい動きが感情をぐっと引き締めていて、とても印象に残りました。
#普通
野々さくら
543
805
44
ありあ
159