『あぁ、二周目が始まったのか』
そんな感覚がある中、慌てる部下達の前から堂々と、攫われるようにして召喚されたあの日から既に二日程が経過した。 召喚された地点から徒歩で半日ほど移動した先で見付けたログハウスを拠点とし、召喚士である『焔』という名の『鬼』と、『付喪神』を自称する『ソフィア』という名の魔導書っぽい物と共に、新たな冒険が始まったのだが——
そのほとんどを、家の中ですごしているせいで冒険感はまるでゼロだ。
『では、ワタクシはこれから素材集めや街での買い出しなどに行って来ますので、お留守番の方よろしくお願いしますね。どんなに早くても夕方までは戻りませんから、主人のお茶の用意などはリアン様にお願いします』
弾む声で、ソフィアがそう言った。洋書の様な姿をした彼は、毎日のように家を空けて長時間遠出する。まるで俺達に気遣い、わざと二人きりにしているような気がするのは考え過ぎなのだろうか。
「はい。こちらの事はお任せ下さい」
礼儀正しくそう答えると、焔がふっと面白いものでも見たかのように軽く笑った。もしかしたら一周目の段階で既に俺の本性がバレているのかもしれない。そうは思っても、今の俺にとって彼らとはまだ二日程度の付き合いだ。しかも主従関係にある相手の前だとなると、そう簡単には気安く接する事が出来そうにはなかった。
「あぁ、気を付けるんだぞ。変な奴はもう連れて来るなよ?」
『わ、わかっていますよ』
ははっと乾いた笑いをこぼしつつ、ソフィアがふわふわと宙に浮いて拠点から出掛けて行く。此処からでは何処に行くにも遠く、とてもじゃないが日帰りで街へなんぞには行けそうにない辺鄙な森の中に存在する拠点なのだが、外には様々な街などと繋がっている転移ゲートが既にある。それを使えば一瞬で移動出来るので、どんな場所へ行こうが、宣言通り夕方過ぎまでには戻って来られるだろう。
彼らから聞いた話では、この拠点は『一周目の俺』が造った物らしい。元の世界の物としか思えぬ立派なシステムキッチンや、石造の風呂場、秘密基地風のデザインをしたログハウスっぽい外観、サイズの大きな服が丁寧に収まっているクローゼットなど。見れば見るほど納得しか出来ず、彼らの話はすぐに信用出来た。
……不思議な感覚だ、とても、すごく。
記憶には無い事なのに、『お前が造った』と言われると何故かすとんと腑に落ちる。だからといってそれをきっかけに一周目の出来事を思い出すわけではないのだが、『そんな話をされても知るか!』という感覚が然程不快ではないのはきっと、彼らの事を俺の根っこが信頼しているからなのだろう。
「では、早速淹れましょうか。紅茶でよろしかったですか?」
「そうだな。それなら、アッサムが飲みたい」
「了解いたしました」と言って頭を下げると、「……『よく言えましたね』とは言わないんだな」と焔が呟き、拗ねられてしまった。頬が少し膨れていて、古典的拗ね方なのがツボに入り、不思議と萌える。何なんだこの可愛い生き物は。そう思うと硬直してしまい、すぐには動けなくなってしまったのだった。
焔にお茶を淹れてやり、二人掛けのソファーで一人くつろいでいると、初日の晩に焔の方から誘惑されてしまった事をふと思い出した——
『一緒に風呂でも入らないか?』
『……えっと』
正直、返答に困ってしまう。彼は俺から二つ返事が返ってくるものと思っていたのか、赤い瞳が美しい目元を少し見開き、『性急過ぎたか、すまん』とこぼし、焔は一人で風呂場へと向かって行った。
『——待って!』
呼び止める声が大きくなる。
『……ん?』と言い、振り返る焔の姿を見て、きゅっと胸の奥が苦しくなった。別に悲しそうな雰囲気でもないのに、どうにかしてやりたい気持ちがあり得ない速さで強くなっていく。
『すみません……。ただちょっと照れ臭かっただけなので。先に行っていて下さい。着替えの用意をしたら、私も向かいますので』
『そうか、わかった』
そう言って、優しく微笑む焔の顔はとても愛らしいものだった。
二人分の寝衣や下着などを持ち、風呂場へと向かう。いつも一人で部屋の風呂に入っていたので、誰かと一緒になんぞ久しぶり過ぎて気恥ずかしい。
着替えの面倒な服を脱ぎ捨て、脱衣場に置かれた籠にしまう。隣の籠には焔の着ていた着物がきっちりと畳んだ状態で収まっていて、普段は気怠そうな雰囲気を纏っている割には意外にきっちりした面もあるのだなと察した。
洗濯などは明日やるとしようか。
手拭いは持っていった方がいいだろう。
などと家庭的な事を考えている時、側にある大きな鏡が目に入り、すっかり見慣れた褐色肌に無数の傷跡がうっすらと残っている事に今更気が付いた。
(こんなモノは、今までは無かったはずだが……)
胸の真ん中にある大きな傷跡にそっと触れ、ゆっくりと肌を撫でる。理由なんかちっともわからないが、鏡に映る自分の口元は嬉しそうに笑っている。気持ち悪いだとか、何故こんな跡が?といった気持ちが一切湧いてこない。『まさか一周目で受けた傷が残るとは』と少し驚きはしたが、もしかしたらコレは意図して自分で残したものなのかもしれないなとも思った。
『お待たせしました』
腰にタオルを巻き、手拭いを片手に持って風呂場に入る。
『……本当に来たんだな』と、アヒルの玩具で手遊びしている焔がこちらを見上げてきた。なんだかんだ言ってどうせ来ないと思っていた様な表情をしている。そんな彼の無遠慮な視線が全身に刺さり、恥ずかしさが加速する。アヒルの玩具が気になれど、次第に視姦でもされているみたいな気分になってきた。 それでも何とか視線に耐え、軽く体を洗って自分も湯船に浸かる。それなりには広めの浴槽なのに互いの肩と腕とが触れるのは、どう見ても焔が俺に寄り添っているからだった。
『……残ってしまうものだったんだな』
『え?』
『その傷跡だ』と言って、横に居たはずの焔が、伸ばしていた俺の脚の上に跨ってきた。そしてそっと優しい手つきで胸に触れ、すまなそうな顔をしながら傷跡の輪郭を撫でていく。
『綺麗な肌だったのに、悪い事をした……』
その言葉を聞いて、これらの傷は彼がつけたモノだったのだとすぐにわかった。容赦無く叩きのめされたのかと思うと体がゾクッと歓喜に震えてしまう。
『焔様は、無傷なのですね』
『今は、そうだな。だが昨日まではそりゃもう酷いものだったんだぞ?指の骨はお前を殴り過ぎて折れていたし、頑丈な体を貫いたせいか爪もひび割れていたしな。随分前にお前がくれたお気に入りの着物だってボロボロで——』
話が途中で途切れた。きっと、知らぬ事を言われても困るのではとでも思ったのだろう。
『いいんですよ、もっと聞かせて下さい』
『だが……』
申し訳なさそうに揺れる瞳が心を擽る。思いのほか感情豊かな赤い瞳を見られるだけで、体が熱くなっていくのは何故なんだろうか。まるで見たくても見せてもらえなかったものを、今は存分に堪能出来ている様な感覚が体を満たす。
『……思い出す気は、無いのか?』
『え?』
(コイツは何をどこまで知っているんだ?)
そう驚く感情を隠せずにいると、焔がそっと俺の頬を両手で包んだ。
『正体が“魔王”だというだけではなく、“管理者”という者なのだろう?お前は。此処へ戻る時に少し、オウガから情報をもらったからな。今は俺にもこの世界の事が多少はわかるぞ』
(俺の正体を知って……いや、二周目なのだから当然じゃないか。だが『オウガ』とは誰の事なんだろうか?)
『もう一度訊くが、思い出す気はないのか?』
真っ直ぐに目を見て訊かれたが、俺は目蓋を軽く伏せって、そっと顔を横に二、三度振った。
『何も覚えていない俺は、召喚士である貴方をやきもきさせなければいけませんからね。だからこのままでいいんです。案外楽しいものですよ?また、貴方に惹かれていく感覚も——』と言い、俺の頬に触れる焔の手に手を重ね、彼の柔らかな唇に口付けをした。
『んっ』
驚いた様な声をこぼしたが、抵抗はされない。それどころか温泉効果で体温の上がっている肌を擦り付けてきて、硬いモノがごりっと腹に擦れた。
(まさか、た、勃ってるのか?)
気付いた途端、カッと一気に体が熱くなった。触れたい、この肌に、体に、その心に。奥まで挿入て、思いっきり抱き倒してしまいたい——
そんな激しい衝動で頭がいっぱいになったが、俺は咄嗟に焔の肩を掴み、バッと引き剥がした。
『……す、すみません。ちょっとやり過ぎましたね』
額から汗が流れ、顎を伝ってお湯の中に落ちていく。このまま衝動的に襲ったら、彼に何をしてしまうか自分でもわからない。乱暴に事におよび、強姦魔まがいの行為をしかねないくらい、腹の奥が酷く苦しい。
『別に、このくらい俺は……』
甘えるような声で言われ、ドッドッドッと心臓が激しく跳ねる。
(止めてくれ、俺にとっては初めてなんだから、優しくしてやりたいのに)
『体を洗いたいんで、先に出ますね』
視線を逸らし、焔の体を脚の上からおろして隣に座らせる。そして彼の顔を見ないまま立ち上がって湯船から出ようとすると少し拗ねた顔をした焔に手首をぐっと掴まれた。
『……どうし、ました?』
『ソレ、どうする気なんだ?』と言い、焔が俺の下腹部を指さす。
恥ずかしい事に、腰に巻いたままになっていたタオルがガッツリと盛り上がり、激しく自己主張をしていた。濡れているせいでタオルが張り付き、何を言おうがコレでは絶対に誤魔化しようがない。
『口でしてやろうか?』
その一言を聞いた瞬間からもう、正直全然記憶が無い。多分……馬鹿正直に頼んでしまったのではないかとか思うんだが、プツンッと理性がぶっ飛んでしまい、気が付いたら翌日の朝だった。
——今現在。
すぐ隣で眠る焔の様子的には乱暴にどうこうされた者の様には見えなかったが、この時初めて『覚えていない』という事に対し恐怖を覚えた。
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