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第76話:ゆづ、安心段階が気になる日
土曜日の午前。
薄曇りの空の下、商店街には淡緑の旗が揺れていた。
ゆづ(10)は薄桃のワンピースに灰のパーカー。
かなえ(32)は淡緑のコートにモカのバッグ。
ふたりはスーパーへ向かって歩いていた。
ゆづが前方のベンチを指さした。
「ねぇママ、あの人安心段階いくつ?」
かなえは少し困ったように微笑む。
「人の段階はね、本人が言わない限り聞かない方がいいのよ」
「でも知りたい……」
会話の横を、心理補助映像の宣伝車がゆっくり通り過ぎる。
ゆづはまた誰かを見つけて目を輝かせる。
「あのひとは?なに段階?」
「見た目じゃわからないの。段階5に見えても、最近3に戻った人もいるし……」
「段階って“その人がどれだけ安心してるか”でしょ?」
「安心“してる”というより、揺らぎが少ない…というのに近いわね」
ゆづは少し考え込みながら、
「じゃあ段階5の人ってすっごく安心してるんでしょ?一度会ってみたい」
と言った。
かなえの表情が一瞬だけ固くなる。
「段階5の人はね……安心させられている、というほうが近いのよ」
「え?」
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スーパーの中 ― 段階が見える空気
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店内に入ると、入口のゲートに体温と心理指数が映し出されていた。
ゆづはワクワクしながら前を歩く店員を見て尋ねる。
「あの店員さんは段階4くらいかな?」
「仕事中だから3以上だとは思うわ。
ゆづ、段階をあてる遊びは家の中だけにしてね?」
「なんで?」
「外で言うと、その人の安心値に影響することがあるの」
「……わたしの言葉で下がっちゃうの?」
「そういうことも、あるわ」
ゆづは驚いた表情を見せ、さらに質問を重ねる。
「段階1の子は?小さいからすぐわかるよね?」
「段階1でも安定すれば2になるし、大きい子でも揺らげば1に戻るのよ」
「戻るの!?じゃあ大人も戻るの?」
「戻るわ。誰でもね」
店の奥に立つ警備員を見つけ、ゆづはまた声を上げる。
「あのひと段階高そう!」
「段階はね、落ち着いて“見えるか”じゃなくて、“揺れないか”なの」
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帰り道 ― 子どもだけが気づく違和感
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外へ出ると、心理スキャン用ドローンがゆっくり通りを横切る。
ゆづは見上げながら言った。
「段階って、歳じゃないんだよね?」
「そうよ。国家が“今のあなた”を見て決めるの」
「でも、歳のほうがわかりやすいのに……」
かなえは歩みをとめ、ゆづの頭をなでた。
「大和国は“歳”が人を不安にすると判断したの」
「ふーん……」
ゆづは前を歩くカップルを見て、また聞く。
「あのふたりは段階どれくらい?」
かなえは苦笑し、やさしく目を細めた。
「今日はほんとうに段階のことばかりね」
「だって気になるんだもん!」
そのとき、通りの広告が切り替わり、
〈お子様向け:安心段階のしくみを学ぼう〉
というアニメが流れ出した。
ゆづは得意げに言う。
「ほらね!国も教えてくれるって!」
かなえは言葉に出さず胸の内でつぶやく。
(教えたいんじゃなくて、従わせたいのよ……)
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家に帰る前 ― ひとつの影
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交差点で信号を待つとき、
灰緑のフードを深くかぶった青年が通り過ぎた。
ゆづはすぐに指を向ける。
「あのひと段階いくつなんだろう!?」
かなえはとっさに止めるように手を伸ばした。
「ゆづ、やめなさい」
青年は振り返らず、指先でヤマホ画面を隠しながら歩き去る。
ゼイドだった。
「なんで止めたの?」
「……あの人は、段階を見せたくない人なの」
「見せたくない人もいるの?」
「いるわ。段階は“安心”でもあり、“弱点”でもあるの」
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結び
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ゆづは家に帰るまでずっと考えていた。
段階ってほんとうに安心なのかな。
その疑問は言葉にならず、胸の奥でふわりと揺れた。
──大和国の子どもたちは、
年齢の代わりに「安心段階」で世界を理解しようとする。
その純粋な問いかけこそ、
国家が最も恐れる揺らぎだった。