体育館の床に背中を打ちつけた瞬間、肺の奥から空気が強制的に押し出された。視界の端で、笑い声が波のように広がる。靴底が腹を踏み、肩を押さえつける重み。
周囲は円を描くように立ち、ただ「見ている」だけの者も、吐き捨てるように声を投げる者も混ざっていた。
「ほら、動けよ。反応ぐらいしてみろよ」
言葉と同時に、冷たい金属が手首に押し当てられ、ねじられる。痛みは鋭く、しかしそれ以上に、
その行為が見せ物の一部として計算されていることが分かるのが耐えがたい。
少しでも顔を歪めれば、周囲の笑いは増幅する。耐えても、「無視すんな」と新たな攻撃が加わる。
背後から誰かが耳元に低く囁く。
「そうやって黙ってるから、余計みんなムカつくんだよ」
その吐息に混じる嘲りは、腹への蹴りよりも深く、骨の内側にまで染み込んでくる。
遥は立ち上がれない。立たせてもらえない。
体育館の空気そのものが、自分を「ここにいてはいけない存在」に変えてしまっている。
体育館の隅にうずくまっていると、視界の端で誰かが肩越しに笑う音がする。足元を踏まれ、背中に冷たい視線が刺さるたび、身体の奥がぎゅっと収縮する。痛みは一瞬だ。けれど、それ以上に胸の奥で何かが崩れていく感覚があった。誰も手を差し伸べない。誰も止めようとしない。逃げたい、でも逃げる場所もない。
「なにあれ、見るだけでムカつく」
「関わると変なのがうつる」
「授業妨害の常習犯だろ、笑える」
数人の声が同時に飛び、遠くの観客席の声も重なって、まるで自分を吊るすための合唱のようだ。聞くだけで胸が締め付けられ、息が浅くなる。体が自然に縮こまり、手で顔を覆いたくなる。だが、覆えば覆うほど、存在を可視化するために彼らの視線が集まる。
踏まれるたび、蹴られるたび、自分は「見せ物」としてここにいるのだと強く意識する。逃げたくても逃げられない。腕をつかまれ、床に押し付けられ、振動と痛みが一瞬、現実と記憶の境界を曖昧にする。子供のころに浴びた言葉や叱責がフラッシュバックして、痛みよりも、心が抉られる感覚が先に来る。
「お前ってさ、なんで生きてんの?」
耳元で吐き捨てるように言われる言葉は、痛みよりも深く、骨の奥まで響く。涙が出そうになる。顔を上げれば、さらに増える視線と笑い。目を閉じても、頭の中で再生される陰口と笑い声。
何度も言葉を噛みしめ、自分の存在を否定する声に耐えようとする。努力しても無駄だと知っている。それでも無意識に「今日こそ、何か間違えなかったか」と体を硬直させ、空気を読み取ろうとする。空気を読めない自分が、さらに攻撃の対象になることも、よく分かっている。
体育館の空気が自分を取り囲み、逃げ場のない檻のように押しつぶす。踏まれ、蹴られ、手を掴まれ、笑い声に晒されながら、遥はただ小さく体を丸め、存在そのものが恥辱の対象になっていることを思い知る。
腕の痛み、背中の衝撃、足元から伝わる蹴りの振動――それ以上に心の奥底を裂くのは、自分の存在を全員が否定していると感じる感覚だ。努力も善意も、ここでは全く無価値で、むしろ笑いの材料になるだけ。
息を整えようとしても、胸が締め付けられ、鼓動が耳の奥で高鳴る。自分がここにいる意味は、ただひとつ。誰かの苛立ちや笑いのために存在していること。そう思うと、体が震え、涙がこぼれそうになるが、泣けばさらに見せ物になるだけだ。
遥は目を伏せ、肩を震わせながら、どうにかその場を耐え抜こうとする。周囲の視線、踏みつけ、笑い声、吐き捨てられる言葉――それらが絡み合い、心も体も引き裂かれそうになる。逃げたい、でも逃げられない。存在するだけで誰かの攻撃になるこの現実に、遥はただ耐えるしかない。
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