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その日はなぜか、いつもより早く目が覚めた。もそもそと布団の中で身体を動かして向きを変えようとして、本来はあるはずの布団の上の重みが無いことに気付いた。一緒に眠っていたはずの愛猫の姿がどこにもない。
「くーちゃん?」
すでに外は明るくなっているので、朝ご飯を貰いに下へ行ったのだろう。お腹を空かせた猫に葉月が叩き起こされずに済んでいるのは、さらに早起きなマーサがいてくれるおかげだ。くー的には、ご飯をくれるなら別に誰だって良いらしい。特に拘りがないのは有難い。
満腹になればまた二度寝しに戻ってくるかもと、しばらくはベッドから出ずに待っていたが、なかなか帰ってくる気配がない。ベルから聞いていた、朝のお散歩にでも行ってしまったのだろうか。
「んー……」
横になったまま、腕を伸ばして思い切り身体全体で伸びをする。完全に目が覚めてしまったので二度寝は諦めることにした。身支度しようと起き上がって、ふと窓の外に視線を向けると、庭園を白黒が横切って行くのが見えた。先だけが白色の黒く長い尻尾をピンと空に向けて、機嫌良さげに歩いている。
(どこに行くんだろ?)
明らかに結界の外に向かっているようだった。植木に鼻を近づけて匂いを嗅いだりと、寄り道をしながらも迷いなく森の方に歩いていく。
急いで着替えを終わらせて、猛ダッシュで顔を洗って髪を梳かし、葉月はバタバタと部屋を出た。心配が半分、好奇心が半分といったところだろうか。
玄関扉を出た時、庭には猫の姿は見え無かった。すでに敷地を出て森の方に行ってしまったようだ。葉月は部屋から見えていた猫が歩いて行った方角へと向かった。
敷地を出てすぐ、途中でヒュンと何かをくぐり抜けた感覚があった。エアカーテンのような、見えない境目のように感じたそれは、ベルの張っている結界だ。先日に街へ行く際にも感じたが、なぜこれが最初に来た時には分からなかったのかと不思議になるくらい、はっきりとそこにはあった。
(あ、ベルさんにバレちゃう。やっぱ、怒られるよね……)
一人で結界の外には出ないという約束をつい破ってしまった。少し迷っていたが、すぐに帰って来れる範囲なら問題ないかと、都合良く解釈をして先に進むことにする。
まだ攻撃系の魔法には自信がないから、急いでくーを探さないと、と猫の名を呼びながら森の中へと入っていった。
「くーちゃん? くーちゃん?」
森の肥沃な土地で育った木々は大きく、頭上にあるはずの日の光の大半を遮断していた。薄暗い中を少し不安な気持ちになりながら、葉月は恐る恐ると進んでいた。
風が吹く度に騒めく木の葉の擦れる音に、どこからか聞こえてくる鳥の鳴き声。
あまり大きな声で愛猫の名を呼ぶのもマズイかなと、途中から声のトーンを下げた。森で騒げば、魔獣を呼び寄せてしまうことに今更ながら気付いた。
さすがにこれ以上奥に行くと確実に迷子になる自信がある、というところで来た道を引き返すことにした。小心者だから、冒険心なんてこれっぽっちも無い。
探検はこの辺りまで、と館がある方へ戻ることにした時、すぐ真横で何かが動く物音がした。
「くーちゃん?」
「みゃーん」
聞き慣れた可愛い返事に、安堵した。目の前に現した愛猫の姿に、思わず吹き出す。
「葉っぱ、ついてるよ」
身体に木の葉を一枚くっつけたまま、葉月の足に擦り寄ってくる。森を歩いていれば、草とか葉が付いても不思議じゃない。フワフワの毛から葉っぱを取り除いてやると、ゴロゴロとご機嫌に喉を鳴らしていた。
「お散歩してたの? 一緒に帰ろっか」
「みゃーん」
突き出している小枝に顔を擦り付けたり、倒木に飛び乗ってみたりと、遊びながら歩いていく猫にペースを合わせつつ、揃って館の方角を目指して進んだ。
草を掻き分けて歩いている時、目の前を小さなネズミのような生き物が横切るのに気付いた。不意打ちの出現に葉月はビクリと驚いただけだったが、猫は恰好の獲物にお尻をフリフリして戦闘体勢を取って、素早い動きで前足で押さえつけて捕獲していた。
飼い猫だったはずの妹分の見事な野生の姿に、思わず「おー」と感嘆の声が出た。凄いけど、それは持って帰ったらダメだからねと注意すると、すぐに足を離して獲物を諦めたみたいだった。食べるつもりもない、ただの遊びだったようだ。
獲物が逃げて行くのを見送っていると、入れ替わりにまた別の生き物の気配。今度はかなり大きい。
「⁈」
その獣には葉月は見覚えがあった。街へ向かう道で偶然に出会った行商人を襲っていたのと同じ、猪に似た中型の魔獣だ。
とっさに傍にいる猫を見ると、翼を広げてはいたが以前とは違ってすぐに光を発動しようとはしていない。
「もしかして、私?」
「みゃん」
当然という風に短く返事される。狩りを教える母猫のつもりなのだろうか。さっきのネズミも彼女に狩りのお手本を見せる為に狩ったと言われれば、そう考えられなくもない。
飼い猫に狩りの仕方を教えられるというのも複雑だなと思いつつも、目の前の獣を放っておく訳にはいかない。葉月は以前の討伐を思い出して、魔獣の頭を狙って風魔法を繰り出した。
魔力を集めて鋭い風の刃を放つと確かな手ごたえを感じたが、さらに続けて逆向きにもう一発を打ち込んで、獣の頭部に深い十字を切り刻んだ。落ち着いて発動できたこともあって、明らかに前よりも威力は上がっていた。一撃でという訳にはいかなかったが、獣は数歩こちらへと向かって来たところでバタリと身体を横に倒した。倒れたままも唸り声は上げていたが、もう襲ってくる力は残ってなさそうだ。
今の内にと倒れている魔獣の脇を抜けて館へと戻ろうと歩き始めた葉月。その後ろで、猫は静かに光を放った。そこにはただの消し炭だけが残されていた。例え魔獣であろうと、瀕死状態で放置するのは武士道ならぬ猫道を逸れるのだろうか。一仕事を終えて満足したかのように、軽い足取りで猫は飼い主の後を追った。