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廊下を小走りに進んでいた櫻子は、診察室らしき部屋からひょっこり顔を出した無精髭姿の大柄な中年男に呼び止められ、こじんまりした入院用の部屋に通されている。
白衣を着ているところから、ここの医師、酒井らしいが、豪快に笑いながら、ベッドで眠っている金原の容態を説明してくれた。
「まっ、見ての通り、大丈夫だ。転んだ先に落ちていた硝子の破片が刺さった、ということにしたから」
毎度のことね、と、医師らしくない吹っ切れた感じで、櫻子へ語ってくれる。
「あっ、八代が言ってたな。君は、素人だったんだ」
すまん、すまんと、詫びてくるが、櫻子は、何を言っているのか分からなかった。
「あー、なんというかねぇ、男の世界には色々あってだなぁ。君には少し難しいだろうが、とにかく、うちみたいな、もぐりの医者が必要なのだよ」
もぐりという言葉に、ぎょっとする櫻子を見て、腕は確かだと、前にいる男は、大笑いしている。
「しかし。今日は、何があったんだ?こいつといい、ハリソンまで、切りつけられて、おっと、野良猫に引っ掛かれたことにしてたんだわ」
秘密だよ、と、人差し指を立て、口に当てる男からは、医者という貫禄は見受けられない。
本当に大丈夫なんだろうかと、櫻子は不安になった。
それを見越してか、はたまた、毎度のこと、だからなのか、
「明日は、屋敷へ戻った方がいい。長居すると、怪しまれる」
こっちも、警察沙汰に巻き込まれたくないからねぇと、医者らしき男は、飄々と言った。
「……あの」
「ああ、本当に大丈夫だよ。傷は浅いし、急所も外れていた。まあ、出血は多かったけどね、毎度のこと。こいつも、慣れっこさ」
慣れっこと言われて、櫻子に返す言葉はない。この医院は、いや、この男を、医者と呼んで良いのだろうか。
戸惑いながらも、櫻子は、耳にする金原の寝息にほっとしていた。刺された時とは違う落ち着いたものに、大丈夫だという言葉が被さった。
と──。
病室のドアが静かに開き、出かけたはずの八代が入ってきた。