「逃げ……っ! 逃げよう!!!」
「はやく! ほらっ!!!」
今でもなお、一つだけ胸を張って誇れることがある。
このような事態を前にしても、私たちのうち誰ひとりとして、友達を置き去りにしようとはしなかったことだ。
もちろん、それが当たり前と言えばその通りだろう。 そもそもからして、悪行のない御時世だ。
しかし、往々にして魔が差すという事態は起こり得る。
“自分だけは、何としても逃げ延びよう”
けれど、そんな意地汚いものが顔を覗かせる余地など、その場には少しも無かった。
とにかく、みんなで逃げる。
それしかなかった。無我夢中だった。
この危急に瀕しながらも、そういった連帯感のようなものが、私たちにかすかな正気と勇気をくれたのだと思う。
兎にも角にも一致団結した子供たちは、手に手を取り合い、死にものぐるいで林道のほうへ引き返した。
「姉ちゃんも早く逃げろ!!!」
その最中、誰かが声を荒げて言った。
そう言えばそうだ。
自分たちの他にも、当の死地に居合わせた人がいる。
「……………っ!」
伸び放題の草むらに足を取られそうになりながら、辛くも彼女のほうへ視線を走らせる。
どういう訳か、あの人は動じない。
相も変わらず畦道の縁に突っ立ったまま。特に竦んだ様子もなく、目先の奇景をのんびりと眺めている風だった。
仕方なく友達に合図を送り、一旦足を止めた私は、“お姉さん!”と大呼して警告を放った。
しかし、彼女は応じない。
その目線の先では、今まさに恐ろしいものが全容を現そうとしている。
柔い岸辺を手もなく押し潰した二つのハサミが、かろかろと奇っ怪な音を立てた。
下半身はいまだ水中のため、正確な体長を知ることはできない。
それでも、すでに出現している部位の重量感は甚だしく。
動物園で初めて巨象を見上げた折りの、思わずポカンと口を開けそうになる感覚。
いや違う。 そんな痛快なものでは断じて無い。
何をどうしようとも、人間には決して太刀打ちできないもの。
多大な絶望と無力感が、同時に襲い来る感覚に見舞われるのみだった。
「これ、食べれると思います?」
「は………?」
ゆえに、彼女が発した言葉の意味が、私には最初まったく理解できなかった。
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