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泡咲めろあ🫧🪄
843
りんご
904
コメント
1件
読了しました……もう、最初から引き込まれました。顔のない綾姫が「みつけた」って繰り返すところ、すごくぞっとしたのに切なくて。川底の光景と、最後に「父上は嫌い」って笑うシーンが心に残ってます。佐衛門さんの静かな強さもかっこよかった。新たな依頼の“鬼が助けを求めてる”って伏線も気になる……続きすごく楽しみにしてます🌙
雨の降る夕暮れ。
宿場へ続く街道は、ところどころ水溜まりになっていた。泥を跳ね上げながら、笠を被った女が一人、歩いてくる。
女浪人。
濡れた着物の裾を気にする様子もなく、柳の枝が垂れた宿場の入口をくぐる。
町は静かだった。
静かすぎる、と言ってもいい。
まだ日が落ちきっていないというのに、戸を閉める家が多い。
店先に残っている客も少ない。
道を行く人間は皆、何かに追われるように足を急がせている。
女は足を止めた。
宿場の奥に、一軒の茶屋がある。
軒下に座っていた老人と目が合った。
「姉ちゃん。旅の人かい」
「……」
女は答えない。
老人は気を悪くした様子もなく、雨の向こうへ目をやった。
「日が落ちる前に、宿を取った方がいい」
女が僅かに眉を動かす。
「最近、この町ぁ物騒でな」
「何がある」
「人が消える」
老人は声を落とした。
「夜になるとな。ひとり、またひとりって消えていく。見回りに出た侍まで戻ってこねぇ」
「妖怪か」
「そういう話だ」
老人は苦い顔をした。
「見たって奴もいる」
その声につられるように、茶屋の奥から老婆が顔を出した。
「黒い女だよ」
「おい、婆さん」
「長い髪でね」
老婆は女浪人を見た。
「白い着物を着てる」
そこで、言葉を切る。
「顔がないんだ」
雨音が少し強くなった。
女浪人は老婆ではなく、その向こうを見ていた。
路地。
家と家の間に挟まれた、薄暗い隙間。
そこに――女が立っていた。
白い着物。
濡れて張りついた長い髪。
顔だけが、ぽっかりと抜け落ちている。
女浪人は目を細めた。
瞬きをした。
その一瞬だった。
消えた。
路地には、もう何もいない。
だが。
女の右手が刀の柄へ伸びた。
鞘に触れた指先が止まる。
背中に、何かがいる。
気配というほど大げさなものではない。
ただ、雨の匂いに混じって、妙に冷たいものが首筋へ触れた。
女は振り返らなかった。
刀を抜く。
雨音に紛れて、刃が走った。
手応え。
背後にいたものが、地面へ落ちる。
女の身体が、二つに裂けた。
それでも動いている。
白い着物の上半身だけになった女が、両手を泥へ突き立て、ずるり、ずるりと這ってくる。
切断された胴から、髪が生えた。
一本。
二本。
それが見る間に増えていく。
「みつけた」
女浪人は刀についた雨水を払った。
「みつけた」
顔のない女が笑った。
口などない。
それでも、笑ったと分かった。
「みつけた」
「誰を探している」
返事はない。
ただ、長い髪が地面を這い、女浪人の足元まで伸びてくる。
その時だった。
遠くから、馬の蹄と足音が重なって聞こえた。
「いたぞ!」
侍たちだった。
数人が路地へ駆け込んでくる。
その先頭に立つ男を見た途端、怪異が止まった。
髪が、ざわりと逆立つ。
「いた」
声が変わった。
「いた……」
さっきまでとは違う。
その声を聞いた女浪人は、侍と怪異を見比べた。
先頭の侍が刀を抜く。
「退け!」
「それは人ではない!」
「ここで斬る!」
女浪人は一歩、前へ出た。
刀を半寸だけ鞘から抜く。
白刃が雨の中で鈍く光った。
「真実が分かるまで」
侍が睨む。
「誰も斬らせない」
大声ではない。
それでも侍の足が止まった。
しばし、雨音だけが残る。
やがて怪異が女浪人を見た。
顔はない。
それでも、その目がどこにあるのか分かる気がした。
「そう」
怪異が呟く。
「だから、聞いて」
長い髪が、雨に濡れて地面へ垂れる。
「聞いてくれ」
*
女の名は、綾姫。
二十年前、この町を治めていた代官の娘だった。
その話をする間、怪異は一度も侍の顔を見なかった。
見れば、何かが壊れてしまう。
そんなふうにも見えた。
先頭の侍が、やがて口を開いた。
「綾姫を斬ったのは俺じゃない」
声が掠れた。
「……だが」
そこで止まる。
誰も急かさなかった。
侍は濡れた地面を見つめたまま、ようやく続けた。
「見殺しにはした」
綾姫の髪が、風もないのに揺れた。
「だから」
ぽつり。
「わたしを、ころした」
侍は何も言えなかった。
刀を握る手だけが、白くなっていた。
綾姫は背を向けた。
「こい」
「どこへ行く」
「みせてやる」
川だった。
宿場の外れを流れる、濁った川。
綾姫が水面へ手を差し入れる。
すると、川の流れが止まった。
水が左右へ割れていく。
川底が露わになった。
誰も声を出さなかった。
骨があった。
一つや二つではない。
泥に半ば埋まり、重なり合い、折れた腕や脚が覗いている。
小さなものも混じっていた。
侍の一人が、堪えきれずに顔を背ける。
女浪人だけは動かなかった。
綾姫が言う。
「これが」
声が震えた。
「ほんとう」
川底の奥で、何かが動いた。
最初は泥が崩れただけに見えた。
次に骨が一本、跳ねた。
そして――巨大な腕が、泥の中から突き出した。
骨と肉。
腐った着物。
絡みついた髪。
幾つもの死体が、無理やり一つにされたような姿だった。
身体のあちこちで、顔が蠢いている。
泣いている顔。
怒っている顔。
口を開いたまま動かない顔。
その中に、一つだけ。
綾姫が知っている顔があった。
「……父上」
怪物の顔が、娘を見た。
笑った。
二十年も前に死んだ男の顔だった。
綾姫は後ずさった。
「ちがう……」
首を振る。
「それは、わたしじゃない」
怪物が吼えた。
川が揺れる。
無数の骨が鳴った。
綾姫は女浪人を見る。
そして、深く頭を下げた。
「お願い」
雨が降っている。
もう止んでいたはずなのに、また頬を濡らした。
「終わらせて」
女浪人は答えなかった。
怪物を見ている。
大きさでもない。
腕でもない。
その奥にあるものを見ていた。
胸の中央。
そこに、代官の顔があった。
女浪人が刀の柄を握る。
「形があるなら」
怪物が腕を振り上げる。
「斬れるな」
*
腕が落ちてきた。
地面が砕ける。
女浪人は走った。
十間。
七間。
五間。
怪物の腕が地面を削る。
土と泥が跳ねた。
女浪人は横へ滑り、そのまま距離を詰める。
三間。
二間。
あと一歩。
怪物の胸に浮かんだ代官の顔が、醜く歪んだ。
「娘か」
笑っている。
「まだ邪魔をするか」
綾姫が息を呑んだ。
代官は娘を見た。
「なら、もう一度――」
そこで声が途切れた。
女浪人が抜刀した。
刃が走る。
その姿が、怪物の横を抜けた。
納刀。
雨粒が一つ、刀の鞘へ落ちた。
怪物は動かなかった。
胸の顔に、一本の線が入る。
「……な」
ぱきり。
顔が割れた。
「そんな……」
崩れた。
骨が落ちる。
泥が崩れる。
絡み合っていた死体が、ひとつずつ地面へ戻っていく。
そして、そこから何かが昇った。
白い光だった。
一つ。
二つ。
数えきれないほどの光が、雨雲の向こうへ消えていく。
「ありがとう」
「……やっと」
「帰れる」
誰の声だったのか。
女浪人には分からなかった。
綾姫だけが、その場に残っていた。
空を見上げている。
雲の切れ間から、月が覗いていた。
「きれい」
綾姫はそう言った。
それから少し考えるように黙って、
「……でも」
小さく笑う。
「父上は、嫌い」
それだけだった。
白い着物の裾が、光に溶けていく。
最後まで顔は戻らなかった。
それでも、その顔が笑っていることだけは分かった。
*
翌朝。
宿場を出ようとした女浪人を、茶屋の老人が呼び止めた。
「姉さん!」
女が振り返る。
「そういや、名前を聞いてなかったな」
少しの沈黙。
女は柳の枝へ目をやった。
昨夜まで降っていた雨が葉の先に残り、朝日を受けて光っている。
「昔――」
女が言った。
「師に貰った名だが」
そこで一度、言葉を切る。
「葛城佐衛門とでも呼んでくれ」
老人は首を傾げた。
「……女なのに?」
「構わない」
「変わった名だな」
「そうか」
それだけ。
老人は笑い、女は歩き出した。
しばらくして、背中越しに声が返る。
「真名は、もう忘れたんだ」
老人には、その意味が分からなかった。
佐衛門自身も、説明するつもりはなかった。
宿場を抜ける。
朝の風が、濡れた柳を揺らした。
その向こうに、山が見える。
佐衛門は振り返らない。
*
数日後。
山道を歩いていると、前方から旅僧がやってきた。
「葛城殿」
佐衛門が足を止める。
僧は息を切らしていた。
「探しておりました」
「私を?」
「はい」
僧は懐から木札を取り出した。
表には、焼き印で一文字だけ刻まれている。
――鬼。
「鬼が村を一つ喰いました」
佐衛門の目が木札へ落ちる。
「生き残った者は三人」
「三人か」
「ええ」
僧は頷いた。
それから、妙に言いにくそうに口を閉じる。
「……ですが」
佐衛門が見る。
「何だ」
僧は困ったように頭を掻いた。
「その村を喰った鬼が」
風が吹いた。
木々がざわめく。
「助けを求めているのです」
佐衛門は木札を受け取った。
しばらく眺める。
やがて、懐へしまった。
「案内しろ」
僧が目を丸くする。
「行かれるのですか」
「呼ばれたんだろう」
佐衛門は歩き出した。
僧も慌てて後を追う。
山道の先には、何がいる。
人か。
鬼か。
それとも――。
佐衛門は歩みを止めなかった。
ただ、懐の木札だけが、歩くたびに小さく鳴っていた。
遠くで、鳥が一羽鳴いた。
その声を追うように、山の奥から――何かが吠えた。