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部屋は、いつも通りのはずだった。
紅茶の香り。
本棚。
見慣れた机。
——なのに。
「……静かすぎますね」
イギリスは小さく呟いた。
時計を見る。
針は夕方を過ぎている。
アメリカと帰ってきてから、すでに数時間。
その間、会話はほとんどなかった。
ソファに座るアメリカは、スマホをいじっているだけ。
けれど。
(……妙です)
視線を感じる。
見ていないようで、見られている。
そんな、落ち着かない感覚。
「アメリカ」
「んー?」
軽い返事。
顔も上げない。
「あなた、先ほどのことですが」
「さっき?」
「……つけてきた、と言っていましたね」
「言ったな」
あっさり肯定される。
「どういうつもりですか」
少しだけ声を強くする。
すると、アメリカはようやく顔を上げた。
「別に」
にこ、と笑う。
「親父がどこ行くか知りたかっただけ」
「それは、普通の行動ではありません」
「普通って何?」
即座に返される。
「親父にとっての“普通”?」
「……少なくとも、あなたのそれは逸脱しています」
「へえ」
立ち上がる。
ゆっくりと近づいてくる。
「じゃあさ」
「……」
「俺が“普通じゃない”なら、どうすんの?」
距離が近い。
昨日より、さらに。
「……どうするも何も」
「嫌になる?」
言葉を遮られる。
「離れる?」
「……」
一瞬、言葉に詰まる。
それを見逃さなかった。
「ほら」
少しだけ口角を上げる。
「やっぱそうだ」
「……何がですか」
「親父、俺から離れる気あるじゃん」
「ありません」
即答だった。
ほとんど反射のように。
その答えに、アメリカは一瞬目を見開く。
そして。
「……ふーん」
どこか満足そうに笑った。
「じゃあいいや」
「……?」
「離れないなら、問題ないだろ」
そう言って、背を向ける。
そのまま、玄関の方へ歩いていく。
「アメリカ?」
ガチャ、と音がした。
何かを回す音。
——鍵。
「……何をしているのですか」
「ん?」
振り返る。
「鍵かけただけ」
「……それは元から」
「もう一個」
ちゃり、と音が鳴る。
見慣れない鍵。
「……それは、何ですか」
「俺の」
軽く振って見せる。
「さっきつけた」
「……は?」
一瞬、理解が追いつかない。
「なぜ、そのようなことを」
「だってさ」
当たり前のように言う。
「親父、どっか行くじゃん」
「……当然でしょう。用事があれば外出します」
「だから」
かち、と音がする。
鍵をポケットにしまう音。
「出れなくした」
「……」
空気が止まる。
冗談、ではない。
声の調子でわかる。
「……開けてください」
「やだ」
即答。
「なぜですか」
「親父、外行くから」
「それが普通です」
「俺にとっては違う」
あっさりと言い切る。
「……」
言葉が出ない。
何かがおかしい。
昨日までのアメリカとは、明らかに違う。
「安心しろよ」
近づいてくる。
ゆっくりと。
「ここにいればいいだけだから」
「……それは、選択ではありません」
「いいじゃん別に」
目の前で止まる。
「俺いるし」
「……そういう問題では——」
「問題だろ」
低く遮られる。
「親父が外行くの、俺が嫌なんだから」
静かな声。
でも、揺るがない。
「……あなたの感情で私の行動を制限するのは」
「制限じゃない」
「では何ですか」
「必要なこと」
迷いなく言い切る。
「親父が変なとこ行かないようにするため」
「……」
息が詰まる。
言っていることが、理解できるのに受け入れられない。
「……私は、あなたの所有物ではありません」
「知ってる」
あっさり返される。
けれど。
「でも」
少しだけ、顔を近づけてくる。
「そうしたいだけ」
「……」
ぞくり、と背筋が冷える。
「親父がさ」
「……」
「俺以外見ないようにしたい」
その声は、どこまでも静かで。
だからこそ、逃げられない。
「だから、外はいらない」
「……ふざけないでください」
思わず声が強くなる。
「仕事もあります。用事もあります。それを——」
「全部断ればいいじゃん」
「……!」
言葉が詰まる。
「俺がいるんだからさ」
笑う。
「それで十分だろ?」
「……十分ではありません」
「なんで?」
首をかしげる。
本気でわからない、という顔。
「私には、私の生活があります」
「俺もその中にいるだろ」
「それは——」
「じゃあいいじゃん」
また遮られる。
「他いらないだろ」
「……」
会話にならない。
価値観が、完全に噛み合っていない。
けれど。
目の前のアメリカは、本気だ。
「……開けてください」
もう一度言う。
「やだ」
やはり即答。
「親父、外出たら戻ってこないかもしれないし」
「戻ります」
「保証ない」
「あります」
「俺は信用してない」
ぴたりと言い切る。
「……」
何も返せない。
「だからさ」
優しく言うように。
「ここにいろよ」
逃げ場をなくすように。
「俺と一緒に」
「……」
沈黙。
時計の音だけが、やけに響く。
「……これは、異常です」
やっと絞り出した言葉。
「そうかもな」
あっさり認める。
「でもさ」
そのまま、少し笑って。
「もういいだろ、別に」
「……何がですか」
「普通とか」
肩をすくめる。
「親父、逃げないって言ったじゃん」
「……」
昨日の言葉が、蘇る。
「じゃあ」
ゆっくりと、手を伸ばされる。
「ここにいれるよな?」
その問いは、優しい形をしているのに。
完全に、逃げ道を塞いでいた。
「……」
答えられない。
否定すれば、何が起きるのか分からない。
肯定すれば、もう戻れない。
「……」
結局。
イギリスは何も言えなかった。
その沈黙を。
アメリカは、肯定として受け取る。
「よかった」
小さく笑う。
「じゃあ決まり」
その声は、どこか安心したようで。
同時に——
完全に、何かを手に入れたようでもあった。
カチ、と。
ポケットの中で鍵が鳴る。
その音がやけに大きく響いて。
イギリスの胸の奥に、重く沈んだ。
——もう、簡単には出られない。
そんな予感だけが、はっきりと残った。
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