テラーノベル
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「えーっと……」
残されたマシューが少し所存なさげにトレーナーの裾を捲り上げる。
「おばさんは?下で見なかったけど……」
「お母さん、おとといからお仕事で主張中なの……」
「レナの誕生日なのに?」
「うん。なんだか今、大きなお仕事を抱えているんだって……」
家には父さんがいない。
お母さんは一人で家を守っているから、とても忙しい。
寂しいこともあるけど、私ができるのは我慢くらい。
だから平気。
それに……。
「平気。アーウィンがいるし」
「ああ、あの住み込みのお手伝いさん……」
彼は顔をちょっとだけ顰めた。
そういえば、アーウィンと話しているのあまり見たことない。
リズは家に来るとよくお話してるんだけどな。
彼女に言わせると、「影のあるオトナの男」らしい。
彼は忙しいお母さんの代わりにいつでも側にいてくれる。
だから寂しくない。
それは嘘じゃないけど、やっぱり友達とは違うから。
「早く学校行きたいな……」
ポツンと本音が漏れた。
もう一ヶ月近く、学校に行ってない。
体調のいい時にはお母さんやアーウィンに教わっているけど、やっぱり学校の勉強からは随分遅れてしまう。
大丈夫かな。
学校に戻った時、ちゃんとついていけるかな……。
「そうだ!な、レナ!」
黙り込んだ私を元気づけるように、勢いよくベッドの端に腰掛けた。
ベッドが弾んで私も弾む。
こんなちょっとのことでも楽しくなる。
元気な人のそばにいると、自分まで元気になる気がした。
だから、リズとマシューといるのが大好き。
元々体が弱かった私は、生まれてからずっとこの家を離れていた。
小さかったからあまり覚えてないけど、遠い町の病院に入っていたんだそうだ。
少し丈夫になってきて、やっとこの家に戻って来れたのが五年前。
リズとマシューはそれ以来の友達だ。
「あのさ、今度の夏にみんなでキャンプに行こうって計画してるんだ」
「キャンプ?どこに?」
「湖!」
「湖……?」
思わず窓の外に目をやった。
家の裏に広がる湖には、今日もうっすらとモヤがかかっている。
モヤの中、霞むような小さな建物が見えた。
『開かずの修道院』が。
私の視線を追った彼が慌てて手を振る。
「違うって!そこの湖じゃねーって。ここからちょっと山の方へ行ったとこにも湖があるんだよ。ちょっと地味なとこだけど、でも水がキレーで。泳ぎまくれる!」
私の知ってる湖は、家の裏に広がる湖だけ。
静かで深い緑に澱んだ湖。
藻が多くて足を取られるから、遊泳は禁止されている。
それ以前にあの陰鬱な色の水では、泳ぐ気になんてならないけど……。
「綺麗な湖かあ……いいなあ、行ってみたいなあ……」
「何言ったんだよ。だからレナも一緒に行こうって!」
「えっ……でも……」
答えに詰まった。
だって私にはキャンプなんて……それに……。
「私……泳げないから……」
「えっ、そうなの?」
「泳いだことないの」
「ええっ!マジで!?」
泳ぐのは当たり前のように禁止されていたから、泳いだ記憶がない。
泳げないというより、泳げるかどうかわからないというのが正確なところだ。
「ならちょうどいいじゃん!」
マシューが勢い込んで言う。
「覚えようよ、泳ぎ。オレ、教えてやるから!湖でさ」
「えっ……ほんと!?」
「うん!任せろって!……えと、だからさ……」
彼の声が急に小さくなった。
でもちゃんと続きが聞こえたから、大きく首を縦に振って答える。
「うん!」
彼は「早くよくなれよな」って言ってくれたのだ。
「私、絶対元気になるね。キャンプに行かせてもらえるように頑張る!ご飯もっとたくさん食べるようにするし、お薬もいっぱい飲む!」
「いや、薬はあんまいっぱい飲まない方が……」
「息止める練習もしておくっ。水の中で目を開ける練習も!」
「い、いいってそんなに気張んなくて!それより……あ、あのさ」
「泳ぎ方の本も読んでおくからーーえ?」
おずおずした声に、興奮して溢れ出す言葉を押し留めた。
見ると、なぜかちょっと赤い顔をしている。
「あのさ、オレ、ほんとはーー」
その時、出し抜けにドアがノックされた。
マシューが傍目でわかるほど、ビクッとする。
コメント
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ああ、第2話……レナの閉じた世界の輪郭が、少しずつ見えてくる感じが好きです。泳いだこともない、あの不気味な裏の湖だけが「湖」の全てだったんだなあ。マシューが「開かずの修道院」の話を避けるような素振りを見せたのも気になるし、何より「言いかけて止めた」告白の行方が……。アーウィンという住み込む男にも、何か裏がありそう。設定や伏線の置き方が丁寧で、世界にもう一歩引き込まれました。続きが待ち遠しいです。