コメント
0件
「あなたは特殊な能力をお持ちである。間違いありませんか?」
「さきに質問したのはこちらです」
「オーナーの意向をお伝えするには、前提として南海さんの素性確認が必要なのです」
「前回会ったときにも言いましたが、選球眼に優れ、ミート打法には定評があると言われています」
ツトムはわざとらしくアゴに手を当てた。
「雑談をお望みですか」
「雑談じゃありませんよ。現にぼくはこの能力を駆使して、厳しいプロ野球の世界でどうにか戦ってるんですから」
「では訂正させていただきましょう。雑談ではなく冗談はやめておきましょう。私とあなたのあいだに、冗談がはびこるような領域はないように見受けられます。
あなたは愚鈍ではない。こちらの質問の意図など容易に理解しているでしょうに」
「美濃輪さん。それなら質問はやめてもらえますか。ぼくがあなたがたに連絡したのは、質問に答えるためではありません。あなたがわざわざ球場までやってきて、接触を試みた理由を一方的に述べていただきたい。それだけです。
ぼくが特殊な能力をもっていると言うのなら、そうした仮定のもとでさっさと本題を進めてくれませんか。面倒な駆け引きは、試合中だけでじゅうぶんなんだ」
美濃輪雄二への苦手意識が、ツトムの語調をやや狂わせた。
自身を戒めるためにゆっくりと目を閉じ、白石ひよりの豊満な胸を思い浮かべた。
体育倉庫のとび箱に白石ひよりが座っている。
あの日、触れられなかった胸――。
決して近づかず、決して離れず……。
ツトムはただ優しく見守った。
白石ひよりが石灰となって消えると、ツトムは落ち着きを取り戻した。
ウォーターサーバーの床掃除を終えた大垣が、ソファへともどってきた。
「おまえら相性が合わねぇな。南海ツトムは特殊能力者である。そう仮定して、話を進めてやれ」
「かしこまりました。……では南海ツトムさん。大垣オーナーの提案を伝えさせていただきます」
「わかりました」
ツトムはなるたけ平坦な声でそう言った。
「私が名刺に書き込んだメモは、ご覧になりましたか」
「シェアハウス……。能力者たちのシェアハウス」
美濃輪雄二の浅黒い肌や切れ長の目と、シェアハウスなる温厚な単語がうまく結びつかない。
「南海ツトムさんには、是非、大垣オーナーが所有するシェアハウスに入居していただければと思っております」
「入居?」
美濃輪雄二の機械的な口調からは、嘘も真実も読み取れそうにない。
かといって痴呆症の疑いがある大垣から真意を引きだすなど不可能だろう。
腕を組んで目を閉じる大垣は、なにかを熟慮しているというよりは、なにも考えていないようにしか見えなかった。
「美濃輪さん。あなたは球場で会った際、異なる人生の選択肢を提案したいと言いました。つまり、野球を引退してシェアハウスに入居しろと言うわけですか」
「いえ、すべては南海さんの自由です。シェアハウスの入居を断るのも良し、野球を引退して入居されるも良し。あるいは野球をつづけながら、シェアハウスで生活されてもかまいません。
しかしせっかくの機会です。我々としては、最後の案を勧めさせていただければと思っています」
「べらぼうに高額な入居費用を請求する。そうした腹づもりですか」
「入居費用など必要ありません」
美濃輪雄二はちらりと窓側に目をむけた。
「はい?」
吐きかけたため息が急停止する。
「南海さん。一度こちらへ」
美濃輪は環七通りに面した大きな窓のまえに立った。
通りはいつしか闇に包まれていたが、気道が詰まったような渋滞はまだつづいていた。
「あちらの物件が、オーナーが所有するシェアハウスです」
通りを挟んだ反対側に、アンティークな備前レンガ造りの建造物が見えた。
4階建ての1階にはふたつの店舗が並んでいて、上階は居住空間となっている。
室外機や洗濯物からして人が住んでいるようだが、明かりの灯る部屋はほとんどなかった。
屋上には衛星放送のアンテナと、凍ったようなテーブルセットが置かれている。
1階に並ぶふたつの店舗は、まるでなにかの強いライトでも浴びたように霞んでいてよく見えなかった。
「1階の片側は洋菓子店のようですが、となりも飲食店ですか」
「はい。いまはよく見えないかもしれませんが、あそこはイタリアンレストランです」
美濃輪雄二は含みある表現をした。
ツトムは息で曇った窓ガラスをコートの袖で拭き取り、1階を凝視した。
すると強いライトの光がわずかに薄くなり、店の輪郭が浮かびあがってくる。
それでもどこか靄がかっていて、はっきりとは見えない。
まるで老眼を擬似体験しているようだった。
「あそこのシェアハウスへ住めと言ってるわけですか。異なる人生の選択肢として。しかも入居費用はかからないと」
ツトムは窓の反射を利用して、ソファに座る大垣を見やった。
大垣は腕を組んだまま、置物のように座ったままだ。
「南海さんがシェアハウスに入居されたあかつきには、家賃や光熱費、生活必需品などはすべて弊社にて負担します。そのうえ活動費という名目で、毎月一定額の給与をお支払いします」
「給与?」
「ええ。また入居費用が無料である見返りとして、弊社からあなたに要求するものは一切ありません。南海さんはただシェアハウスに住み、そこで自由を謳歌していただければいいのです。これが大垣オーナーの提案です」
「入居費用が無料であるうえに、住むだけで働かずして給料がもらえると?」
「そうです」
「破格すぎて、きな臭いどころか、冗談にすら聞こえませんね。
それともぼくの聴覚が、なにかの力によって狂わされているのでしょうか」
「南海さん、警戒なさる必要はありません。私の外見や物言いを、判断材料のひとつに加えないでもらいたい」
「自己評価はまともにできるのですね……。ですが、そうした要素を加えなくても、誰だってこんな提案、うさんくさく思いますよ」
美濃輪雄二の手もとには、シェアハウスのパンフレットやその他の資料もない。
ただ口頭でうますぎる話を持ちかけているだけだ。
こうした条件を鵜呑みにする人間が、この世にいるとは思えなかった。