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夜の相談室は、昼間よりも空気が柔らかい。 蛍光灯を半分だけ落とした室内に、街灯の明かりが細い筋となって差し込んでいる。
ドアがそっと開き、少年が顔をのぞかせた。
「こんばんは……」
掠れた声。まだ中学生くらいだろうか。
遥は軽くうなずき、向かいの椅子を示した。
「どうぞ。眠れないの?」
少年は小さく首を振りながら腰を下ろす。
「毎晩、同じ時間になると目が覚めてしまって……。
何もしてないのに、心臓が勝手に早くなる。
起きてる自分が嫌になるんです」
遥は机の端に置いたカップに湯を注ぎ、香りの薄いハーブティーを差し出した。
「飲まなくてもいいけど、温かいものがあると少し落ち着く」
少年は両手でカップを包み、湯気を見つめながらぽつりと続けた。
「昼は大丈夫なんです。友達とも普通に話せる。
でも夜になると、いろんなことを思い出して……。
失敗したこととか、誰かに嫌われてるかもってこととか」
「夜は、頭の中の音が大きくなる時間だからね」
遥はゆっくり言った。
「昼は周りの声がそれを隠してくれるけど、
静かになると、自分の考えだけが響いてくる」
少年が小さくうなずく。
「無理に消そうとすると、余計に響くよ」
遥は窓の外の夜空を見ながら言葉を選ぶ。
「だから、浮かんできた思いをそのままノートに書いてみる。
“眠れない”“怖い”“思い出したくない”――
ただ書くだけ。意味をつけなくていい」
少年は少し目を丸くした。
「書くだけでいいんですか?」
「うん。書いた文字が、自分の外側に置かれる。
頭の中に閉じ込めたままだと増幅するけど、
外に出すと、意外とそのまま紙に留まってくれる」
ハーブティーからかすかな香りが立ちのぼる。
少年はカップを傾け、ぬるくなった液体を一口だけ飲んだ。
「少し、胸が軽くなった気がします」
遥は微かに笑みを浮かべた。
「眠れない夜がまた来ても、
“あ、また書いてやろう”って思えたら、それで十分だ」
しばらく沈黙。
外では風が街路樹を揺らし、葉が静かに擦れる音がする。
「……ありがとう」
少年が立ち上がる。
「眠れなくても、ここに来ればいい」
遥は静かに言い添えた。
扉が閉まると、部屋には再び夜の匂いだけが残った。
遥は深く息をつき、次に訪れる誰かを待った。