散々だったお茶会が終わり、帰宅してすぐに私は父に殴られた。玄関ホールで、多くの召使や侍女達が居るにも関わらず殴られて床に倒れた後も、直様脚を強く踏まれて、『どうしてあの二人を止めなかった!』と説教が始まった。そんな隙なんか無かったと父だって知っているから完全に八つ当たりだ。
『ごめんなさい、すみません』
体を丸め、痛みに弱い顔を必死に庇う。
姉は相変わらず惚けたままで、夢見心地といった雰囲気だ。末妹が父に殴られ蹴られているというのに、兄は姉の方に寄り添っている。二人が私を助けてくれる気配はもちろん微塵も無い。むしろこの扱いを見て嬉しそうに笑っているふうですらある。
シリウス公爵家の跡取りでもある兄・アエストは私達よりも三歳年上だ。甘えたい盛りに母を失い、『お前が母様を殺したんだ』という理由で兄は私をとても憎んでいる。先に生まれた姉は『母の忘形見』なのに、数分後に生まれた私の方は『忌み子』とは酷い扱いだと思うのが、この家では誰もそうだとは考えない。せめて父や兄みたいに、私にも“聖痕”があれば扱いも違ったのだろうかと、この時の私は、無いもの強請りなどせずにただ痛みに耐えるしかなかった。
結局、ティアンとメンシス様の婚約は渋々承諾された。
同じ公爵家とはいえ、最古参で、王族からの信用も厚いセレネ公爵家の令息からの打診を断るのは難しい。そのうえ、当事者である姉に断る気がまるで無かったのが一番の問題だった。『いやぁぁぁ!絶対に結婚するの!』と言って部屋に引き篭もり、三日三晩飲まず食わずの抵抗を続け、姉のみを溺愛する父と兄を説得したのだ。
(篭っていた三日間。部屋にこっそり食事を運ばせていたから、あの子は全然飢えてなんかいなかったんだけどね……)
『こんなに痩せて……見るに堪えない!』
『可哀想に。お前の好きにするがいいさ』
こっそり運ぶには量に限界があっていつもよりは食べていなかったから確かにちょっとは痩せたかもしれない。だがそれにしたって、父と兄は目が腐ってるのか?と子供ながらに思った出来事だった。
姉の婚約が決まり、私にも婚約者が見繕われた。ルチャル・タウルスという五大家内の公爵令息の一人で、兄のアエストとは同い年な為、幼馴染の関係にある。彼には“剣”の聖痕があり、七歳でありながら既に才能を発揮し始めていたので早々に王族の騎士団からスカウトがきていた。元々は姉の婚約者・第一候補だったのだが、当人はメンシス様との婚約が決まった流れで、『では妹の婚約者に』と決まったのだ。
姉の事が大好きだったルチャルは猛反発した。『絶対に嫌だ』と両親にも訴えたそうだが、ティアンの相手がセレネ公爵ではどうする事も出来ず、彼は渋々嫌々私の婚約者の座に落ち着いたのだった。
『……顔だけは、同じだし。お前をティアンだと思えば何とかなるか』
『彼女の義兄にはなれるんだ。まだ、機会はあるかも…… 』などとこぼしていたのは、聞いていない事にした。私には拒否権も無いし、神殿の奥にあるという“五大家専用の娼館”に送られるよりは、きっとマシなのだろうからと思ったから。
婚約者となったからか、メンシス様はあれから月に二、三度のペースでシリウス家に訪れる様になった。対して、私を全く愛していないルチャルの訪問回数はもちろんゼロだ。その事は当然侍女達の噂の的となり、心無い言葉ばかりが一人歩きしていたが、別に私は気にしていなかった。私には生活の手伝いをしてくれる侍女がいないので、既にもう生活のほとんど全てを見様見真似ででも自分でやらなければならなかったし、与えられている自室も敷地の隅っこにある旧邸の一室なので、わざわざ此処まで来る様な人は極端に少ないからだ。
『——こんにちは』
『……ど、どうも』
その極端な部類に入るのが、何故か、姉の婚約者になったはずのメンシス様だった。
ティアンに会いにシリウス公爵邸に来ているはずなのに、『義妹との親睦の為に』と私の部屋にまでこっそり顔を出す。姉とのお茶の時間はせいぜい三十分程度かそれ以下らしいのに、私の部屋には何時間も居座ったり、挙句の果てには昼寝をしてから帰る事まであった。
私相手にはそんなふうに自由な一面を見せる彼だが、親睦を深める為に会話をしようとティアンが必死に話し掛けても、『ただ静かに、貴女の美しい顔を見ていたい』と彼は言い、挨拶以外の言葉をまともに交わしていないと風の噂で聞いた。そんなのは暗に「黙っていろ」って言われているだけなのに、それすらも自分の美貌を褒められたとティアンは喜んでいたそうだから、恋は盲目といった所か。
五歳の誕生日の日。私は珍しく本邸に呼ばれた。『ワタシ達は双子の姉妹なのだから、一緒にお祝いしよう』と、侍女経由でティアンに誘われたのだ。この時点でもうとっくに彼女の事など信用してもいなかったし、どうせまた何か意地悪でもする気なのだろうと思っていた。
今までが全てそうだったからだ。
なのに今回だけが特別で、心変わりをしたなんて事があるはずが無い。呼ばれたから行ったのに私の席は無くって、『あら、誰も呼んでないのに来たの?』と冷笑されるとか、友人達を呼んだパーティーにボロボロの服で参列させられ、『プレゼントも無いければ、着る服すらも無いのね。まぁ当然か』と周囲から笑い者にされるとか——
(……その辺り、かな)
色々なパターンを考え、事前に覚悟しておかねば本邸になど入れない。こっそり裏口から入って、一日一食しか貰えない食事を渋々渡されるのとは訳が違うから。
だが予想に反して、今回は既に豪華なパーティーを開いているわけでもなく、家族での食事会の席のタイミングでもなかった。綺麗なドレスを着込んで何やら忙しそうに準備をしてはいたから、この後にはお祝いの席を設けてはいるのだろうけど、そっちはどうやら私には関係無さそうで少しホッとした。
『あのね、みんなが嫌がるからお祝いには呼べないのだけど、その代わりにケーキを用意したの。一緒に受け取りに行きましょう』
パーティーの準備で忙しそうにしている侍女達の目を盗んで部屋を抜け出し、二人で調理場に向かう。今日はまだ何も食べていないし、ケーキは貴重な食べ物だから……もし本当だったらちょっと嬉しい。だからか、姉と一緒だったのに、いつもとは違って足取りは軽かった。今日くらいは本当に優しくしてくれるのかもと、少しだけ期待し始めてもいた。
婚約者の誕生日ともあれば、プレゼントを持ったメンシス様も来るのだろう。浮かれ気分の延長で、『可哀想な妹』に慈悲の心でもくれてやろうって気分になったのかもしれない。
——と、この時の私は思ってしまっていた。
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