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放課後の相談室は、冬の夕方の冷えた空気を静かに閉じ込めていた。 ノックの音。ドアを開けたのは、フード付きのパーカーを着た男子だった。
「……入っていい?」
遥は机の向こうから軽くうなずく。
「どうぞ。寒いからドア閉めてな」
男子は椅子に腰を下ろし、視線を落としたまま言った。
「俺、変わりたいんだ。けど、何をしても変われない」
その言葉はため息のように低く落ちる。
「どう変わりたい?」
「人とちゃんと話したい。明るくて、怖がらない自分になりたい。
……でも、教室に入るだけで声が出なくなる。無理して笑っても、変な空気になる」
遥は頷きながら、ペンを指先で転がした。
「無理して笑うって、結構きついよな」
「うん。しかも、がんばっても周りは何も変わらないし」
男子は拳を膝に押しつける。
「“自分が変われば世界も変わる”って言うけど、俺には無理だって思う」
遥は少しだけ目を細めた。
「俺もさ、変わりたいって何回も思った。
家でも学校でも、何もかも変えたくて、消えたいくらい嫌だった。
でも結局、今もここにいる」
男子が顔を上げる。
「じゃあ、どうしてるの」
「……小さいことだけ変える。例えば、靴を自分で磨くとか、部屋の椅子の向きを変えるとか。
“世界”じゃなくて、“今日の自分”だけ。
それなら壊れないし、誰にも邪魔されない」
男子は少し考え込み、かすかに眉を動かした。
「そんなことでいいの?」
「いい。むしろそれが一番むずかしい。
俺はそれで、“何もできない自分”をちょっとずつ裏切ってる」
室内の時計が小さく時を刻む。
男子は拳をゆるめ、弱い笑みを浮かべた。
「小さいこと……。やってみる」
「うん。あと、変わりたいって思ってる時点で、もう動いてる」
遥はさらりと言った。
「何も感じないやつより、ずっと強い」
男子はその言葉を胸の奥で反芻し、深く息を吐いた。
「ありがとう」
「別に礼いらない。
……また来いよ。小さい変化、教えてくれたら、ちょっと面白いし」
窓の外は群青色に染まり、街灯がひとつ、またひとつと光を増していく。
男子は立ち上がり、ドアを開けた。
外の冷たい空気が一瞬入り、すぐに消える。
遥はその背中を見送ったあと、机の上のペンを再び転がした。
――変わりたい気持ちは、きっと自分の中にも残っている。
だが今日、少しだけ温かい余韻が胸に広がった。
誰かの一歩が、ここで静かに始まったのかもしれない。