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眩い朝日の中、低く枝を広げた桜の大樹がたわわな蕾を開き始めた季節。俺は地元の2両編成な電車に揺られながら、約二年ぶりに登校している。
現在の時刻は午前7時37分。平日なら満員になる時間帯なのだが、今日は吊り革の世話にもならず朱色な長椅子に腰掛けている。恐らく今日で、早朝からこの電車に乗ることも無くなるだろう。もうすぐ自由になれる。
「今日で高校も卒業ねぇ。私は大学生になってもこの電車に乗るけど〜」
「え〜?実家から通うの?。あたしは一人暮らしになるのよねぇ。ちょっと古いマンションだけど贅沢は言えないのよ。いいバイト探さなきゃ。」
「えー?良いなぁ。わたしも親の眼を気にしない生活がした〜い。」
「そうかなぁ?。食事だって洗濯だって部屋の掃除だって、ぜんぶ自分でやる事になるのよ?。一人暮らしって何かと大変そうとか思わない?。」
「でもさぁ〜?彼氏は喜ぶんじゃない?。いつでも二人っきりになれるんだし〜♪。それにほらぁ〜『あんな事』だってやりたい放題だよねぇ♡」
「こっ!こんな所で何言い出すのよ!。…そんなの知らないわよ。もう…」
それでも半分の席は埋まっているだろうか?。カラフルな袴姿の女子たちが楽しそうに談笑している。同じ高校の生徒達だ。気のせいか何時になく華やかできらびやかに見える。薄っすらとだが化粧までしているらしい。
女子とは本当に不思議だ。名前は知らずとも見慣れている筈なのに、たかが服装の違いだけでこんなにも輝いて、しかも今日は特別大人に見える。
「………。『あの女子たちの顔に見覚えなんて無いけど、袴姿って事は俺と同じ卒業生なんだ。…まさかクラスメイトってことは…ないよな?』」
かく言う俺も、今日は詰め襟で真っ黒な学生服姿ではなく、使い古したカバンもぶら下げていない。いわゆる人生の分岐点のひとつとさえされる高校の卒業式なのだ。濃紺のスーツを纏い…蒼いネクタイまで巻いていた。
とにかく卒業式さえ終えれば、あの忌々しい実家から脱出ができるのだ。高校生になってから安心して眠れたことなど一度もない低俗な家庭環境。しかし俺は自由の身になって、一人暮らしを満喫したいわけではない。
思春期を終えた今の俺にとって実家での暮らしは、途轍もなく刺激が強すぎるのだ。息子の存在などお構い無しに子作りに励む両親がヤバすぎる。それこそ場所も時さえも選ばないのだ!しかも義母は義姉の姉!。そんな美人が糞親父の腰に乗って身悶えている姿を見た日には…死にたくなる。
「………。『いくら12歳下の嫁さんを貰えたからって!毎朝毎晩アンアンにゃんにゃんされたんじゃコッチが堪んないっての!。舞夜さんの喘ぎ声が俺の部屋にも聞こえてるの知っててヤッてんだろ?!クソ親父め!!』」
車窓から射す爽やかな朝日とは真逆な鬱憤を抱えたまま、俺は対面の景色を眺めている。走りすぎる町並みを見るのも今日が最後かも知れない。高校卒業後は隣町の大学に通うのだ。そこには義母の妹さんが通っている。
「……。『…愛夜姉ぇ…どうしてるかなぁ?。もう二年も音信不通だし。なんでいなくなったんだろ?。…まさか彼氏と…暮らしてるいのかなぁ?』」
一緒に暮らしたのは五年足らずか?。人見知りでコミュ症で陰キャな俺の唯一の理解者だった。彼女の過激な悪戯には振り回されたが、今となればそれもみんな懐かしい。まったく触れ合わない日など無かった気がする。
無邪気に抱きしめられた時の、あの張りの凄い弾力は今も忘れられない。彼女と同じ大学に通い、もし再会できたなら、この二年の間で気付いた確信をしっかりと伝えよう。これが片思いだったとしても後悔などしない。
人間の世界では、言葉にしなければどうしても伝わらない事柄など沢山ある。しかし、伝えてもよいものかと躊躇するのが恋心とゆうものだ。想いを吐露したが為に二人の関係性が歪んでしまうのは確かに怖い物がある。しかし、それでも、俺の伝えたいとゆう気持ちは抑えられなくなった。
「………ええっとぉ。と、隣に座ってもいい?。…八門…くん。おはよう。」
そんな考え事をしながら、春風が運ばれる車窓の外を眺めている俺の視界の端から女子が話しかけた。聞き覚えの無い声だが、俺は目前に立った桜色な袴をなぞる様に視線だけを上げてゆく。悪いが見覚えなど全く無い。
「ヤツカドは確かに俺だけど。…アンタは?どこかで会ったっけ?。」
「あ〜!ひっど〜い!。七月すずめよ、覚えてないの?。1年の時からずっとクラスメイトじゃない!。遡れば中2からずっとなんだからね!?」
「ええっと…二年ぶりなんだよね登校するの。パンデミックからずっとネットで授業を受けてたし。…ええっと。…俺の隣でいいなら座ったら?」
「それじゃあお邪魔します。…ネット授業は知ってるわ。わたしもパンデミックのせいで1年ほど登校してなかったし。でも卒業できるのね?」
「できるんだと思う。本当は出席する気なんて無かったんだけど…九頭竜先生が『卒業式には絶対に来い!』って、凄く怖い顔して言ってきたんだよ。仕方ないから行くんだけど、ほんと卒業証書なんて郵送でいいのに。」
「君ね…あの才色兼備でお淑やかな九頭竜先生を怒らせただなんて、いったいどんな状況だったのよ?。先生、八門君のこと気に入ってたのに。」
「気に入ってた?嘘だろ。授業中はいちいち当たりがキツかったぞ?。それに、スピーカーが壊れるかってくらいに怒鳴られたコトもあったし…」
「それは君が『寝落ちするから』でしょ。ほら、飴ちゃん食べる?。」
とても人懐っこい笑顔で、とても人懐っこい喋り方をする七月ずずめとゆう女子が、俺はとっても羨ましい。俺もこんな笑顔ができたなら。俺もこんなふうにはなせたのなら、きっと…もっと学生生活を満喫できたのかも知れない。人間には得手不得手があると言うが、つい見習いたくなった。
「ん?…ありがとう。…寝落ちしてた?俺。…あんまり覚えてないなぁ…」
「うふふふ。ホントに八門くんって不思議。何を言われてものらりくらりと躱して、そのくせどこか凛としていて。…面白いよねぇ貴方って♡。」
「ムグムグ。…いちご味か。何にも面白くないよ。誰かを笑わせたりできないし…何かに詳しい訳でもない。…久し振りに食べると美味いな…飴。」
高校生活最後の日に、思いも寄らない出会いがあった。少し背が高いくらいで何の取り柄もない俺が、こんなに可愛らしい女子から話しかけられ、おまけにいちご味の飴まで貰った。しかもこうして並んで座っている。
普段の生活では考えられない程の至近距離。肩先が少し腕に触れていた。若い女性独特の甘く良い香りが風に乗って鼻腔を擽る。こんな感じで女子の香りに包まれるのも二年ぶりだ。気恥ずかしさからチラリと横目で見ると、楽しそうに微笑みながら見上げている。猫目がちで凄く可愛らしい。
たぶん二年前の俺なら動揺して何も話せなかっただろう。どころか隣になんて座れもしなかった。そんな俺が今こうしていられるのも義姉のお陰だと言える。あの人のお陰で若干ながらも女性への免疫ができたのだから。
【ピンポン♫。お客様にお知らせ致します。間もなく到着する中央駅で、現在なんらかのトラブルが発生しているとの連絡が入りました。下車されましたら駅員の指示に従って下さい。安全な場所まで誘導いたします。】
音割れする車内のスピーカーから、突然伝えられた避難通達。俺達を乗せた二両連結のワンマン電車は、既にホームに差し掛かって減速していた。椅子から一斉に立ち上がった袴姿の女子たちは車窓の外に注視している。
「ん〜。いつも通りじゃないのぉ?。何となく人が少ないけどぉ、週末のローカル線なんてこんなもんでしょ?。……そっちはなにか見えるぅ?」
「あっ!?あそこっ!。ほら!人が倒れてないっ!?。…何人か周りにいるけど救護してるのかなぁ?。…もしかしてあれがトラブルだったり?」
「ああ、そうゆう事か。原因はどうあれ、公共の施設でお客さんが倒れれば運営会社が責任追及される事もあるから。そりゃあトラブルだわね。」
「そうかぁ。特に私鉄ともなれば人身事故とかに超敏感だもんね。たとえば原因が不明でも、場所が場所だから対応するしかないって事なのね。」
「あれぇ?。あっちにもあるよ?人だかり。あ。あっちにも。…ねぇ?なんか変じゃない?。……あの黒服たち、ホントに救護しているのかなぁ?」
電車がホームに停まりかけた頃、車内ではパニックが起こり始めた。あちらコチラからわらわらと集まり始めた沢山の黒影。それは異常に背が高く手足がひょろりと長かった。そして顔には…眼球が2つだけ並んでいる。
『人の形をした人ならざる者。』それが乗客全員が一瞬で合致した答えだった。近づいてくるごとに、その異様な存在の姿が恐ろしく見えてくる。その時の感覚は『蛇に睨まれた蛙。』とでも例えれば解りやすいだろう。
「ひっ!?。あれはなにっ!?。ヤダヤダヤダ!こっちに来るっ!!」
「運転手さん!電車を今すぐ出してっ!!。元の線路に戻るのよ!」
「キャーーっ!窓を叩いてるぅ!!。はっ!早く電車を出してーー!?」
色とりどりな袴姿の少女たちの叫びも虚しく、電車のドアは奴等に抉じ開けられた。乗車口から頭だけを覗かせ、丸い眼球をグルリとさせながら品定めするように見る黒い影たち。その丸い頭は…5つ6つと増えてゆく。
「七月さんっコッチだ!。急いで車内から出ようっ!早くっ!!。」
「えっ!?えっ!?えっ!?。なに!?なにが起こってるのっ!?」
「いいから俺と来いっ!!。こんなとこで殺されたいのかっ!?。」
「殺され……。や…八門くん!?。つっ!着いて行けばいいのね!?。」
俺は咄嗟に背後の窓ガラスを枠ごと蹴り破った。金属の枠で上下に仕切られた窓をそのまま開いたところで、人ひとり通るのがやっとな大きさなのだ。成長著しい女子高生が、袴姿で緊急脱出するにはあまりに狭すぎる。
そのうえパニックになった他の乗客たちが、ホームとは反対の壁に殺到していて、予め設置されている非常ドアを開けられそうになかったのだ。そして次々と上がった赤い飛沫。真っ黒な人型が長い指を突き刺していた。
「きゃ!?。…あの?大丈夫?ヤツカドくん。…あたし…重いでしょ?」
「七月さん…今は黙っててくれ。舌を噛むから。それに、走ってもらうよりも俺が運んだ方が早い。よし。…このままホームを全力で走って改札を抜けるよ?。もしも外に出られるようならそのまま逃げよう。いいね?」
「う、うん。(きゃー♡これは夢!?夢でしか見たことのない状況なんだけどー♡。あのヤツカド・レオくんに!お姫様抱っこされてるーっ♡。ああ…獅子丸様。わたしにこんな幸運を授けて下さった事に感謝します♪)」
広く開いた窓から先に飛び降りた俺は、戸惑いながらも続いて飛んだ七月すずめを体ごと受け止めた。その衝撃や重さよりも、触れてしまった女子ならではな柔らかさと、押し付けられた強い弾力に心拍数が跳ね上がる。
しかし今はそれどころではないのだ。とにかくこの場を離れなければ命が危ない。車内に残された全員を助けられれば良かったのだが、俺ひとりではどうにもならないのは明らかだ。今も車窓から鮮血が吹き出した。耳を塞ぎたくなる絶叫と悲鳴が俺の身体を強張らせる。だが…走らなければ。