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天井から零れる非常灯の橙色な明りも邪魔に思えた。俺達は身を寄せ合って陳列棚の角に隠れている。幾つかのショーケースの向こう側は駆け抜けてきたメイン通り。そこにはあの手足の長い黒い人影が徘徊していた。
奴等の身の丈は凡そ2メートル。全体的に細く、ひょろりとしている。二足歩行なのだが酷い猫背で、細い両腕をだらりと前に垂らしていた。人間の様な手の平は無く、その先には鈎爪状の細い指が2本だけ伸びている。
長い足をくの字に曲げて、引き摺るように歩いていた。普段の動きは緩慢なのだが、獲物である人間を見つけると異常な速さで追いかけはじめる。
頭の先から爪先まで艶のない黒一色。頭部が縦に細長く、ほとんど凹凸の無い顔面には大きな眼球が二つだけ、左右に飛び出すように着いていた。
「はぁはぁはぁ。…結局…外には出られなかったな。…ごめん七月さん…。(改札の外の方が酷い有り様だったな。数も多いし今は隠れるしか無い。救助を待つのなら持久戦になるのは間違いないか。それでもここなら…)」
「ぐす…ぐすっ。ううん。今は二人とも無事なんだから…気にしないで。でもスマホを置いてきちゃったわ。小物入れに入れたまま…電車の中に。(助かった…助かったのよね?アタシたち。…でも……他の人達は……)」
これは冷や汗なのか?。さっきから汗が止まらない。しかし、ようやく息は整ってきたし、周りの状況にも注意を払う余裕も出てきたみたいだ。だがその集中力を削ぐ問題がひとつある。七月すずめがずっと抱き着いたままで離れてくれないのだ。震える小さな背中と押し当たる弾力がヤバい…
「ごめん…俺が急かしたから。とにかく今はもっと安全な場所を探そう。(まずい、俺のスマホも無いんだよなぁ。この状況で誰とも連絡が取れないのはかなり不利だ。それに外がどうなっているのかも知りたいのに…)」
「うん。でも…もうちょっとだけこのままでいさせて。…ぐすっ…すん…。みんな食べられてた。…レイプされながら…食い千切られてたのぉ。ぐすっ…ぐすっ…ぐしゅっ…すん。…あんなの…あんなヒドい殺され方って…」
「…そうか。でも七月さんは大丈夫だ、そんな事にはならない。絶対に。(俺は逃げるのに必死だったから、細かい所なんて見る余裕が無かった。でも彼女は…凄く惨たらしい景色を見てしまったんだな。…可哀想に…)」
俺に身体を預けるように抱き縋る七月すずめの背中をそっと撫でる。桜色だった上衣も被害者達の返り血を浴びたようだった。この場に辿り着くまでに見た数え切れない惨劇。耳に刻みつくほどの断末魔を幾つも聞いた。
俺は電車の窓から飛び降りた七月すずめを、お姫様に抱いたまま駆け出した。整備用の階段からホームに上がり、人型な影の少ない場所を目掛けて全力で走る。見つけた改札を飛び越えて、駅ビルの大通りに飛び出した。
しかしそこで眼にしたのは通行人を襲う黒影の群れだ。点在する黒い人集りも殺された人間に群がっていたのだろう。鮮血と共に広がる阿鼻叫喚。横たわっている全裸な遺体は、その性別も分からない程に損傷していた。
「くそっ!?。正面出口はダメかっ!。また走るよ?七月さん大丈夫?。(アイツら人間を喰うのか?。これはマジでヤバいぞ?。生きるために、食う為に人を殺しているのなら、それは狩猟本能そのものじゃないか…)」
「大丈夫よ?。でもヤツカドくん…下ろして。あたしも走るから。(八門くん…お荷物なアタシを見捨てれば楽に逃げられるのに。…どうして?)」
「今はダメだ。心配しなくていい。息が続かなくなっても必ず逃げ切る。(最悪でも七月さんだけは逃さないと。せっかく出会えたのに、その日に二人とも殺されるなんて悲惨過ぎるだろう。絶対になんとかしてやる!)」
俺はその異様な群れを背にして駆け出した。しかし2分も走ると立ち止まってしまう。通路の反対側も既に黒い人集りで犇めいていたのだ。そこで目に付いたのは防火用の大きな鉄の扉だった。その先には火災の際に消防隊が往来するための非常階段がある筈だ。俺は迷わず鉄扉を押し開く。
「……七月さん。そろそろ動くよ?。イケる?。(この商業施設の周りはスケルトン・シャッターか。少なくともアイツ等には眼があった、外から丸見えなのは具合が悪いな。…にしても七月さんの…大きいな。…コラ!)」
「…うん。…ごめんね?ヤツカドくん。足手まといよね?。あたしを身体ごと持ち上げていてあの速さだったんだから、一人ならきっと建物の外に出られたはずなのに。(アタシったら…こんな非常時なのに…レオ君の匂いが好き過ぎるぅ♡。しかも!こんなに淫らに抱きついちゃってるし♡)」
「七月さんを助けたいと思ったのは俺の勝手だよ。そんな事よりも、眼の前に惣菜コーナーがあるだろう?。あそこまで移動するから着いてきて。(ここからは早く離れた方がいいな。照明が最低限だし、相手が真っ黒だから接近されるまで解らない。あれ?七月さんの身体が熱いぞ?。まさか体調を壊したのか?。とにかく休ませないと…酷くなったらヤバいぞ?)」
「…うん。ぐすん。…わかったわ。(決めた。レオくんと一緒ならどこにでも行けるわ。だがら足手まといになんて二度とならない。もう二度と…)」
俺たちが逃げ込んだのは地下の食料品売場だ。立ち並ぶ商品棚の間に座り込み息を潜めていた。直上から見たその売場の全体図を想像すると、真っ直ぐに横断するメインの地下通路に直面した長方形な商業区画?。明るい通路側にはステンレス素材な骨組みだけのシャッターが降ろされている。
俺達がいる売り場には、精肉店と鮮魚店。そして生鮮野菜に惣菜コーナーが最奥の壁に並んでいた。二人で身を隠している商品棚にも、CMでよく見る菓子や、日用品やキッチン用品などがところ狭しと並べられている。
棚の隙間からシャッター越しのメイン通りを凝視しながら、俺達はしゃがんだままで移動を始めた。のそりのそりと徘徊する黒い化物たちに警戒しながらジリジリと歩を進める。もしも気配を悟られれば逃げ場など無い。
「ふぅ。ここならホールよりは安全だ。ドアの鍵が開いてて良かったよ。(ここも暗いけど今は仕方ない。窓から漏れる明りに奴等が反応しないとも限らないし。…でも、非常灯の灯りだけでも結構見えるもんだなぁ…)」
「八門くん気付いた?。あの化物、シャッターの向こうから見てたのよ?すっごく怖かったわ。どこかの隙間から…ヌルって入ってくるかもって…(薄暗いのが…ちょっとムーディーねぇ♡。しかも二人っきりだし♡)」
そこは和室十畳な俺の部屋よりも遥かに広かった。冷蔵庫を兼ねたステンレス色の巨大な調理台を部屋の真ん中に据えた本格的な調理場だ。奥ばった壁には、見たこともない大きさの業務用冷蔵庫が3台ほど並んでいる。
流石はデパ地下の惣菜コーナーだ。火力の強い大型コンロとオーブンをはじめ、電子レンジや蒸し器、フライヤー等も充実している。ケースに刺された包丁も、数種の牛刀から柳刃包丁。四角い中華包丁まで揃っていた。
「マジで?。それは知らなかったよ。ん?。あの大きい扉の奥は搬入口かな?。外に出られるか見てくるから、七月さんはここで休んでいてくれ。でも俺がいない間に、うっかり電気を点けたりしないように。いいね?」
「ヤツカド君はアタシを何だと思ってるわけ?。そんなに『うっかり』してませんよぉ〜だ。…でも気をつけてね?。ちゃんと無事に帰ってきて。」
「うん大丈夫だよ、無茶はしない。…それじゃ、ちょっと行ってくる。」
俺達はようやく少しだけ安堵した。辿り着いたのは惣菜コーナーの薄暗いキッチン。灯りは意図して点けないでいる。あの化け物たちの習性が解らないからには下手に刺激したくない。ホールに向いた窓を塞いでからだ。
だが俺は、なにも籠城したい訳ではない。辿り着いた調理場は一時的な隠れ家に過ぎないのだ。あくまでも目標は、この残忍で危険な現状からの脱出にある。七月すずめと共に平穏だった日常に帰るのだ。何としてでも。
「お疲れ様〜ヤツカドくん♪。ほら見てぇ?この冷蔵庫。食べきれないほどの食料品がビッシリ詰まってるの♫。…どうかしたの?。…もしかして」
「いいや、なんでもないよ。安全を確認してきただけだ。搬入口のシャッターはしっかりと閉じられていたし侵入された形跡もない。ただ…外に何匹かうろついているからスグには出られそうもないんだよ。…ごめん…」
「な、なんで八門くんが謝るのよ!?。あたしを助けた君が判断したのならそれが正解なの。…そ、それよりもお腹空いたでしょ?ガスも電気も使えそうだから何か作るわ。ただし…灯りをなんとかしないと。だけど?」
「ははは。そう思って広げたダンボールを持ってきたよ。あとガムテープも。これで窓を塞いだら明かりをつけよう。それと、脱出方法は俺が必ず見つけるから少し時間が欲しい。…七月さん。…絶対に諦めないでくれ。」
確認に向かった大きな鉄扉の向こう側は、思っていたよりも小ぢんまりとしていた。ホールと同じオレンジ色な非常灯がコンクリートの床をぼんやりと照らしている。大小様々な大きさの箱が、壁に沿って積まれていた。
端に寄せられ並んでいる運搬用の骨組みな箱型キャリーには、同じ大きさのダンボールが山と積まれ、四角いプラスチックの網籠にも様々な野菜が積み込まれていた。それ以外は何もない、天井の高い四角い空間だ。向こう側の壁には波型なシャッターが、隙間なくきっちりと閉じられている。
俺はシャッターの横に配置されている鉄の扉を恐る恐る開けた。差し込む朝日が驚くほど眩しい。俺は目を細めながら倉庫を出ると、目前に広がる緩いスロープをゆっくりと登った。あの化物がいないことを祈りながら。
「ん。大丈夫。八門くんと一緒なら怖くないし。それと『すずめ』って呼んで?。これからアタシたちは一蓮托生なんだから、お互いの距離を少しでも詰めておいたほうが気兼ねしなくていいと思うの。…どうかしら?」
「解った、すずめって呼ばせてもらうよ。それなら俺も名前でいい。」
「じゃあ『レオ君』って呼ぶわね?。なぁに?その不思議そうな顔は。」
「本当の呼び名をどこで知ったの?。あの九頭竜先生でさえ『シシくん』って呼ぶのに。…ネット授業でも…呼び方を指摘したこと無いんだけど…」
「それは内緒で〜す♪。『獅子と書いてレオと読む』のはアタシの中では常識だから♪。あ、ほら?。窓を塞がないとゴハンが作れないわよ?」
「ああ、そうだったね。急ぐよ。(たとえ凄く可愛くても、今朝まで知らなかった女子に名前を知られてたって何だが不気味だな。…大丈夫か?)」
灰色なスロープを登り切ると、従業員専用の駐車場に隣接する裏通りに出た。そこに出るまでに感じていた何かの焦げる臭い。その駐車場を取り囲む木々の向こう側には、黒い煙があちらコチラから立ち登っていた。
そして駐車場を徘徊する細長い人影達。横転した数台の自動車は原型を留めてもいない。その側には赤黒く大きな染みができていて、人間だったであろう残骸が横たえている。裂かれた布切れが毟った羽毛のようだった。
見たくなかった現実と甘かった俺の想定。できることなら駅ビルだけで起こっている惨事であって欲しかった。しかもこうなると、外部からの援助や救出される事への希望すら薄くなってくる。いったいどうすればいい。