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翌朝。目を覚ますと、今日は僕の方が目覚めが早く、すぐ隣で眠っているルスの寝顔が目に入った。猫みたいに尖ったシルエットの獣耳がピクピクと軽く動き、少しだけ開いている口の端っこからは涎が垂れていて、無防備な姿がバチクソ可愛い。だがすぐにそう思ってしまった自分に腹が立ち、彼女を起こさない様にゆっくりベッドから這い出つつ、脳内でルスのふさっとした大きな尻尾をこれでもかってくらいに踏み付けまくった。
本当に着替えるのは面倒なので、着替えをした風に装う為に服装を変えておくかと決めて昨日山猫亭に居た客の着ていた格好を真似てみる事にした。ゆったりめで丈の長いカウルネックの白いシャツとグレーのジョガーパンツ、外に出る時用にパンツと似た色のボタンアップブーツを靴箱の中にしまっておく。靴は別の場所から拝借してきた物だが、それ以外は自分自身の姿をちょっと変える要領で着替えていくので、『脱ぐ』という行為が出来ない。だが、消し去る事は可能なので不自由はないだろう。
(さて、早速二人が起きる前に朝食を用意しておくとするか)
それこそ面倒だと何処かから出来合いの品を頂戴する事も可能だが、早急にルスの心を僕のモノにしてしまうにはやはり手作りが一番だ。早く心酔させないと、僕の方が彼女の持つ善意性に毒されてしまいそうだから、本当に急がねば。問題は食材だが、これに関しては昨日の午後にきちんと買い揃える事が出来たので、今日は真っ当な料理が可能だろう。まず手始めにジャガイモとトマトのスープでも作ろうと決めて鍋を用意した。
——昨日はあの後、山猫亭で昼ご飯を済ませ、マリアンヌの仕事が落ち着くのを待ってから家賃を払うと、僕達は逃げるみたいにして店を後にした。彼としては『つるぺた胸発言』に対しての謝罪と言い訳をもっと沢山したかったみたいだが、流石にリアンが暇を持て余し、ルスの尻尾で遊んだり噛んだりし始めたので向こうも無理に引き止めようとはしてこなかった。せめてものお詫びにと、日持ちしそうなお菓子を大量に持たされはしたが。
その後一旦貰ったお菓子を置く為に部屋に戻り、今度は露店の並ぶ市場へ向かった。一昨日の夜は閑散としていた場所だったが、昼間はとても騒がしく、買い物に来る人達でとても賑わっていた。家族らしく、何か摘みながら三人でデートでもと思っていたのだが、今度はリアンが眠そうにし始めた為食材だけを大量に買い込み、早々に切り上げる流れに。
部屋に戻ってからはすぐにリアンを寝かせて食材を全て異世界からもたらされた“冷蔵庫”とかいう物をモデルにして作られた、箱型の貯蔵庫の中にそれらを詰めた。“冷凍庫”をモデルとした物も発売されたらしいが、そこまでは買えていないそうだ。
少し休憩をしてから食事の用意を始め、夕飯や風呂の後にはルスのナカに刻まれている契約印に魔力を流し、気が付いたら朝だった。
昨夜の彼女の痴態を思い出すと少しニヤけてしまう。“夫婦”と言う、距離の近しい関係性のせいか、そういう行為のもっと先を想定してしまって無自覚にニヤけ始めてしまう自分も、その先を考えてしまう自分も、そのどちらも許せずに僕は前髪をくしゃっと掴んだ。
料理を作り始めてから三十分程経った頃、ルスが起きてきてキッチンに顔を出した。
「おはようございますぅ…… 」
ショートボブヘアの髪も尻尾もボサボサで、ひどい寝癖だ。声が枯れているのは完全に昨夜の僕が原因なので指摘せず、髪をくしゃっと撫でながら、「酷い事になってるぞ。シャワーでも浴びて来た方が良いな」と勧めてみる。
「でも、ご飯の用意…… 」
「いいから。僕が作るって昨日も言っただろ?」
まだ眠そうな顔をしながら『やる』と言われても、危ないから手伝わせる気にはなれない。そもそも、あんな仕上がりの朝食を作る様な奴には任せたくはないので、背中を押して風呂場まで運んだ。
「着替えはこの後持って来てやるから、先に浴びてろ」
「いいの?ありがとぉ」
気の抜けた、へらっとした笑顔を返された。どうもルスは『下着は見ないで、恥ずかしい!』といった感覚も持ち合わせていない様だ。
寝室までルスの着替えを取りに行こうとしたタイミングでリアンも起きて来た。こちらも寝相が酷かったみたいで、姉と同じく尻尾が酷い有様だ。ルスと違って獣そのものなのもあってか、背中や頭部の毛もあらぬ方向にハネている。
「おはよう、リアン。お前も姉ちゃんと一緒にシャワー浴びて来ような」
有無を言わせずにひょいっと義弟を抱きかかえて風呂場の方へ戻る。バスタオルの用意を終えたルスにリアンを押し付け、彼女の着替えを用意してから僕は再びキッチンへ戻った。
ダイニングテーブルに朝食を並べていく。昨日買っておいたパン屋のバターロール、瓶入りのイチゴジャムとマーマレード、ジャガイモとトマトのスープ、目玉焼き、千切りキャベツとコーンのサラダ、二人が好きそうなこんがりと焼いた厚切りベーコンは多めに用意した。
二人分のカトラリーとリアン用の顔ふきタオルを並べ、飲み物も用意した辺りで風呂場から二人が戻って来た。タオルで必死に毛を拭いた形跡はあるものの、どうしたって限界があるせいで湿っている毛の水分を影の中に吸い取って一気に乾かしてやる。昨日の夜もやってやった行為だったのだが、二人揃って不思議そうに「おぉー!」と言う様子は、二度目だろうと、正直すんげぇ可愛かったのだが…… 絶対に、絶対に口に出して言うものか。
三人共席に座り、冷める前に食べようとしたタイミングで玄関から何者かの気配を感じた。影を介して調べれば誰かくらいすぐにわかるが、嫌な予感がして確認する気にもなれない。敵意を感じられないから警戒する必要もないなと考えていると、トントンッと玄関扉をノックする音が聞こえてきた。
「はーい!」と反射的にルスが答え、座っていた椅子から腰を浮かせる。
「朝から誰でしょうね?」
思い当たる人物がいないのか、そう言いながらルスが不思議そうに首を傾げた。
「頼もぉぉぉお!」
玄関前から聞こえてきたその声を聞き、ルスと僕が顔を見合わせる。どうやら突然の来訪者が、昨日山猫亭で会ったシュバルツである事は間違いなさそうだ。