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母から問われた時、柚乃はカットメロンを口に入れたばかりだった。もぐもぐと口を動かし、ごくんと飲み込んでから、あっさりとした口調で母に訊き返す。
「男の子って、どうして知ってるの?」
「リビングから見えたのよ。お母さん、別にボーイフレンドに関してとやかく言うつもりはないのよ。ただ、初めて見る顔だったから、誰なのかしら、って単純に思ってね」
「ボーイフレンドなんて、そんなんじゃないよ。あの人は、単なる大学の先輩だよ。彼も私と同じ集中講義を受けてて、この辺に住んでる人なの。それで昨日は、帰り道でちょっと一緒になっただけ。戸崎さんって言って、詩乃も知ってる人だよ」
「あの人、ご近所さんなの?」
「そうよ」
もうこの話題は終わりとばかりに柚乃は母に短く答え、器に残っていた最後のメロンを口の中に放り込んだ。
「ごちそうさまでした」
姉は両手を合わせて食後の挨拶をし、席を立った。空いた食器をまとめてトレイに乗せ、それをキッチンに運んでいく。
片づけるなら一緒にと、私は席を立とうとしたが、カウンターの向こうから柚乃に止められた。
「後片付けは私がやるよ。詩乃はお母さんと一緒にのんびりしてて」
けれど私は柚乃の言葉を笑って聞き流し、姉の元へ行く。
「二人でやった方が早く終わるでしょ。お母さん、お風呂、ゆっくり入ってきたら?ここは柚乃とやっておくから」
母は嬉しそうに笑う。
「あら、任せちゃっていいの?それなら、お言葉に甘えちゃおうかな。実はね、見たいと思っていたドラマがあってね、今夜からスタートするのよ。初回はリアルタイムで見たいと思っていたから、ありがたいわ」
「ドラマって、九時からの?だったら、早く入ってきた方がいいんじゃない?」
柚乃に促されて、母はいそいそと腰を上げる。
「じゃあ、後はお願いするわね」
「任せて」
母が廊下に出て行くのを見送って、私と柚乃は後片付けを始めた。
柚乃が洗った食器を拭き、棚に戻す。その作業の間中、私は心の中で疑問をくすぶらせていた。昨日に続いて今日もまた、柚乃が戸崎と一緒に帰ってきた。その理由がなんなのか、気になって仕方がない。
後片付けが終わり、柚乃が言う。
「お風呂、お母さんの後に入ったら?」
「うん……」
柚乃と戸崎のことで頭を一杯にしていた私は、つい、気のない返事をしてしまった。
「詩乃、どうかした?」
柚乃の怪訝な声にはっとする。姉が私の顔をじっと見つめていた。
「あっ、うぅん、なんでもない。えぇと、お風呂がどうしたって?」
「お母さんの後、入ったら、って言ったんだけど……。ねぇ、やっぱり、今日は大学休んだ方が良かったんじゃない?実は本調子じゃないんでしょ」
「そ、そんなことないよ」
柚乃はふっと苦笑を浮かべて、私をソファへと促す。
「とりあえず、ゆっくりしなよ。ハーブティー淹れるから、一緒に飲も」
柚乃は私がソファに腰を下ろしたのを確かめてから、再びキッチンに戻った。しばらくして、甘い香りのするお茶を入れたマグカップを二つ運んできて、テーブルの上に置き、私の隣に腰を下ろした。
「ありがとう」
「どういたしまして」
柚乃はカップを両手で包み込むように持って、お茶に口をつけた後、はぁっとため息をつく。
姉がこんな風にため息をつくのは珍しい。
「何かあったの?」
「ん、何かというか……」
柚乃はカップをテーブルに戻してから、ソファの背もたれに体を預けて話し出す。
「昨日ね。帰ってくる途中、大学近くの本屋に寄ったの。そこで本を探してたら、変な男の人に絡まれちゃってね。その人、同じ学部の学生で、私のことを知ってるって言うんだけど、私は全然知らない人だったわけよ。で、その人、これからご飯でも食べに行かないかって言い出したの。ま、いわゆるナンパってやつよね。もちろん、即、断ったわ。ところが、もう、しつこくてさ……」
柚乃は苦々し気な顔をする。
「最初のうちは、いちいち丁寧に断っていたんだけど、だんだん面倒になっちゃって、最後にはその人を完全無視して本屋を出たの。ところが諦めた様子がまったくなくて、後を着いてくるわけ。家を知られでもしたら厄介だから、その人を撒くために、遠回りして帰ろうと思ったの。そしたらね。ちょうどそこに戸崎さんが通りかかって、助けてくれたのよ」
「……そんなことがあったの」
人目を引く容姿というのも、良いことばかりではなさそうだ。これまでも、似たような話を聞いたことはあったが、今回のような、付きまとい一歩手前の話を聞くのは初めてだった。
戸崎が通りかかってくれて良かったと安堵し、感謝する一方で、悶々とする。この出来事がきっかけとなって、今後二人の接点が増えてしまうのではないかと心配になった。
柚乃は話し続ける。
「それでね。その人を撃退してくれた後、万が一まだ着いてくるようだったらまずいからって、戸崎さんが言うわけ。後は一人で大丈夫だから、って何度も言ったんだけど、結局、私の遠回りにわざわざ付き合ってくれて、家の前まで送ってきてくれたのよ。どのみち帰る方向は一緒でしょ、って言われちゃったら、助けてもらったこともあって、それ以上頑なに断るわけにもいかないかな、って」
昨日家の前に二人でいた理由は分かった。けれど、彼のアパートは神澤大側から見て私たちの家の手前にあるのに、今日もまたわざわざ自分のアパートを通り過ぎて、柚乃を家まで送ってきたのはなぜなのか。理由が気になる。
「じゃあ、今日は?」
柚乃は苦笑を浮かべる。
「念のために、だって。自分と一緒に歩いていれば、もしも昨日の人に出くわしたとしても牽制になるんじゃないの、とか言って」
「牽制……」
「つまり、まぁ、いわゆる恋人のふり、みたいな?昨日も、そんな感じのシチュエーションで助けてくれたんだよね」
「へぇ……」
柚乃は単に事実を話しているだけなのだろうが、「恋人」の単語を聞いた途端に胸が苦しくなった。戸崎がそういう風に見せかけようとしたのは、実は、柚乃とそうありたいと思っているからではないのかと勘繰ってしまう。
「助けてもらったことは、本当にありがたかったわ。だけど、ものすごく気まずかったの。だって私ったら、詩乃に怪我させた人だっていうんで、初対面の時から今までずっと、戸崎さんに対して、会うたびにつんけんした態度を取ってきてたんだもの。普通なら、そんな相手を助けようなんて思わないよね。それなのに、彼は私を助けてくれた。きっと心が広い人なんだね。でも、もしかしたら、詩乃に怪我をさせちゃったから、その償いの意味もあったのかな」
私の怪我はたいしたことはなかったし、あの出来事からすでに三月近くは経っている。柚乃の言う通り、本当に償いの意味もあっての行動だったとしたら、ずいぶんと義理堅い人だ。しかし、困っていた相手が柚乃だったから助けたのではないかとしか思えず、胸の奥がずきずきとした。
「なんにせよ、戸崎さんが通りかかってくれて良かったよ」
その気持ちは本当なのに、うまく表情を作れない。強張った表情筋を無理やりに動かして、私は微笑んだ。