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スパルーニャ王国――
「後は頼む」
「承知いたしました」
玉座の間に、静かな声が響いた。
赤銀の甲冑をまとったレイナ女王は、
サクラへ視線を向ける。
その眼差しに迷いはない。
だが、それを受けるサクラの胸には、
重いものが沈んでいた。
女王が戻らぬ覚悟でいることを、
誰より理解していたからだ。
レイナは静かに踵を返す。
その先には、一人の少女が立っていた。
ジャスミンの忘れ形見――イザベラ。
まだ幼さの残る瞳が、
必死に不安を押し隠している。
レイナは膝を折り、
少女と目線を合わせた。
「サクラの言うことを、よく聞くのじゃ」
「……わかりました」
小さな声だった。
だが、その言葉は震えていなかった。
イザベラは唇を噛み、
涙を堪えながら頭を下げる。
「どうぞ、ご無事で」
一瞬だけ、
レイナは優しく目を細めた。
実の親子ではない。
だが、この少女を養女として迎えてから、
レイナは確かに母であろうとしていた。
その手が、
そっとイザベラの頭を撫でる。
「よい子じゃ」
短い言葉を残し、
女王は立ち上がった。
一方その頃――港では。
「あらー無理かなこれ……」
エレンが頭を抱えていた。
目の前には、
巨大な愛馬車《カボチャプリン》。
金装飾まで施されたそれは、
もはや馬車というより移動式屋敷だった。
「ばらしたら絶対組み立てられないしなあ……」
職人たちは無言で視線を逸らす。
「船に入るか?」
「入りません」
「横にすれば?」
「沈みます」
「くっ……!」
世界の命運を懸けた遠征を前に、
もっとも深刻な問題が、
カボチャプリン輸送問題だった。
ヴァンガルド帝国――
「まったく、次から次へと困ったものよ」
重厚な執務室で、
皇帝セヴェリウスは一枚の書状を机へ放り投げた。
赤蝋には、
グラム教教皇の紋章が刻まれている。
聖地エルガルド陥落。
サラディン討伐。
各国へ向けられた十字軍参戦要請だった。
側近ラディスは静かに頭を垂れる。
「教皇庁からの使者は、
即答を求めております」
「即答?」
セヴェリウスは鼻で笑った。
「予を便利な傭兵か何かと思っておる」
皇帝は立ち上がると、
巨大な地図の前へ歩み寄った。
そこにはエウロピア全土だけでなく、
さらに東方の広大な草原まで描かれている。
セヴェリウスの指が、
ゆっくりとある場所を叩いた。
「予が心配しておるのはこちらじゃ」
ラディスの表情がわずかに曇る。
地図に記されていたのは――
急速に勢力を広げる、
モンゴリア帝国。
草原諸部族を飲み込み、
東方世界を次々と征服しつつある、
新たなる覇者だった。
「つい先日まで、
部族同士で殺し合っておった連中が……」
セヴェリウスは目を細める。
「一つにまとまった途端、
化け物になりおった」
報告では、
彼らは恐るべき速度で移動し、
補給線を持たず、
壊滅したと思えば別働隊が現れるという。
既存の戦の常識が通じない。
「こちらに手いっぱいじゃと申しておけ」
「ははっ」
ラディスは深く一礼した。
だが去り際、
皇帝はぽつりと呟く。
「……まったく」
窓の外には、
帝都の黒旗が風に揺れていた。
「世界には怪物でいっぱいじゃ」
グラツィア王国――
「……やはり行くのか」
静かな湖畔の離宮で、
先王ヨシュアはゆっくりと口を開いた。
初夏の風が水面を揺らし、
遠くで鳥の鳴き声が響いている。
その向かいには、
片袖を揺らした軍師サイラスが立っていた。
「ええ」
サイラスは穏やかに頷く。
「王は……
エルガイム王国からの国王派遣要請を断ったことを、
今も悔いておられるのでしょう」
聖地陥落。
病王ボードウィン亡き後、
崩れていった王国。
あの時、
もしグラツィアが動いていれば。
そんな思いが、
今も王カスティーヨの胸に残っている。
「ですが」
サイラスは苦笑した。
「実際に王を行かせるのは、
止めたほうがいいでしょう」
ヨシュアも思わず苦笑する。
「ですので」
サイラスは続けた。
「王族代表としてエスカミオ殿を。
それと私、
あと暇をしているガイロでも連れて行こうかと」
「暇なのか」
「引退考えているようですし」
わずかに空気が和らぐ。
だがその後、
短い沈黙が落ちた。
遠い異国への遠征。
しかも相手は、
サラディン。
誰もが容易に戻れる戦ではないと理解していた。
ヨシュアは静かに目を伏せる。
「……苦労をかけるな」
サイラスは肩をすくめた。
「死なずに帰るよう、
心がけます」
それは冗談のようでいて、
どこか本気だった。
ユンナが静かに近づき、
サイラスの外套を整える。
「無茶はしないでくださいよ」
「善処はします」
「それ、絶対しない人の返事です」
珍しく即答され、
サイラスは少しだけ困った顔をした。
やがて二人は湖畔を後にする。
風が吹いた。
静かな水面に、
小さな波紋だけが広がっていた。
神聖ロウム帝国――
「皆の者、出陣ぞ!」
皇帝の声が、
帝都全域を震わせた。
赤毛の皇帝――
バルバロッサ。
齢を重ねなお衰えぬ巨躯を、
深紅の外套が覆っている。
その背後には、
幾千もの軍旗。
諸侯たちの紋章が、
風を裂くようにはためいていた。
聖地奪回を叫ぶ教皇軍の中で
もっとも巨大な軍勢を動かしたのが、
神聖ロウム帝国であった。
「陛下、本当に陸路で?」
側近の問いに、
バルバロッサは豪快に笑う。
「海など信用できるか」
「予はこの足で聖地へ向かう」
老いてなお盛んな覇気に、
諸侯たちは歓声を上げた。
十万とも噂される大軍勢。
騎士、
歩兵、
傭兵、
司祭、
荷馬車隊。
その列は地平線の果てまで続いていた。
まさしく、
教皇軍の主力であった。
だが――
その遠征路は、
決して平坦ではない。
それでも赤毛の皇帝は進む。
「道を塞ぐ者あらば蹴散らせ」
「聖地はその先にある」
黒鉄の軍勢が、
大地を揺らしながら東へ進軍を開始した。
エスカリオ商王国――
リチャード王子の出陣が発表されると、
王都最大の港は熱狂に包まれていた。
鐘が鳴る。
白帆が揺れる。
色とりどりの旗が海風にはためき、
人々は沿道を埋め尽くしていた。
壇上には、
カルド王と王妃、
そして王弟ジョンの姿もある。
隊列の中央で、
若き王子リチャードは
陽光を背に堂々と馬を進めていた。
金髪が風になびく。
鎧は磨き上げられ、
まるで英雄譚から抜け出してきたようだった。
歓声が上がる。
「リチャード様ーっ!」
「聖地を取り戻してくだされー!」
リチャードは笑みを浮かべ、
沿道の民へ大きく手を振った。
その姿は、
まさしく民衆の理想そのものだった。
「あれあれ、リチャード様だ!」
人混みの中、
一人の少年が目を輝かせていた。
周囲には幼馴染たち。
日に焼けた顔で、
背伸びしながら王子を見上げている。
「カッコいいなあ……」
少年はぽつりと呟いた。
「きっとエルガルドから、
お宝をいっぱい持ち帰ってくるんだろうな」
友人たちも興奮したように頷く。
「そしたら、
マリアンのお父さんもお母さんも、
暮らしが楽になるよ」
港町では、
聖地交易の混乱で生活が苦しくなっていた。
それでも子供たちは、
遠征を夢の続きのように見ている。
少年の瞳には、
憧れが宿っていた。
英雄への、
真っ直ぐな憧れ。
その少年の名を――
ロビンといった。
一方、
壇上のカルド王は、
静かに群衆を見下ろしていた。
歓声。
熱狂。
期待。
だが彼の視線は、
もっと遠くを見ていた。
「……荒れるな、たぶん」
ぽつりと漏らす。
隣のジョンが顔を向けた。
「父上?」
カルドは腕を組み、
難しい顔で港を眺める。
「この戦い、何をもたらすんだろうな」
「神様にでも聞いてみるか」
「いや」
ジョンは静かに聞いていた。
カルドはさらに小声で呟く。
「サイラスに聞こうか
とっとと終わらせることできないかなあって……」
無茶を言っている自覚はあった。
だが、
あの片腕の軍師なら、
本当に何とかしてしまう気もしていた。
「無理を承知で頼んだら、
案外どうにかするんじゃないか……?」
半分本気だった。
#魔法
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