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こうして、簡素なものではあるが、滞りなく両家の結納は執り行われ、無事に終了した。西条家側は皆引き上げ、あの御前様も、佐紀子の態度が気に入らないとか、平民風情がとか、ぼやきながら帰って行った。
月子の母も疲れがたまるといけないと、梅子と共に先に帰り、居間では、岩崎、月子、男爵夫妻が、ほっと息をついていた。
「はあーー、清子!買って来た羊羹を出して頂戴!」
芳子が、皆で食べようと清子に言いつけ買いに行かせていたのだが、その清子は、盆に饅頭やら羊羮やら甘味を山盛りにして持って来た。後ろから、お咲が、芋羊羹をつまみ食いしながら、至福の笑みを浮かべ着いて来ている。
「奥様、亀屋さん他、皆さんからのお祝いの差し入れが……。こら、お咲!」
目敏く、つまみ食いを見つけた清子がお咲を注意する。
「おやおや、こりゃあ、食べきれないねぇ」
男爵が目を丸くした。
「おお!ちょうどいいところに来ましたねぇ!」
「いや、肝心の結納は終わってるだろー」
皆は、声がした居間の入り口を見た。
玄関から、図々しくも、あの記者二人組、沼田と野口が上がり込んで来ていた。
「あーー、京さんの結納だって言ったら、取材だ!ってことになってさぁ……」
二代目が、二人を連れて来たと言いながら、清子の盆から饅頭を取るとかぶりつく。
「まあ!田口屋さん!」
清子に注意されても二代目は、どうせ食べるんだからと飄々としている。
「なんだね?君達は?」
突然現れるのもだが、勝手に上がり込んでいるということに、岩崎は、一行をキッと睨み付けた。
「いやね、玄関の鍵かかってなかったし、なんとなく、忙しそうだったから、上がってもらったんだ」
二代目が、饅頭を頬張りつつ、新聞記者の沼田と雑誌記事の野口を案内したのだと悪びれる事なく言ってくれる。
「案内したというのは?というよりも、記者二人!何の用だ!」
岩崎が、不機嫌そうに食ってかかった。
「いや、結納って、こちらのお宅で……?男爵邸なら絵になったのに……」
野口が呟く。
「なんでもかんでも男爵邸とは、雑誌記者。あんた、本分をわすれてないか?!そう!独演会が決まりましたよ!そのご報告と打ち合わせも兼ねて、我々はお邪魔したのです!」
沼田が得意気に言う。
「独演会?!」
芳子が、何事かとばかりに叫んだ。
「……そういえば、そうだったねぇ。新聞社と雑誌社協賛で行うのだったか?」
男爵が、記者二人組へ念を押すように尋ねた。
「はい!花園劇場で!」
野口が得意気に答える。
「つきましては、立ち話もなんてすので……」
沼田と野口が居間に入り込み、座り込んだ。
清子が、はっとして、甘味の乗った盆を運び込むと、慌ただしく茶の用意に奥へ戻る。
「あっ、お嬢ちゃんは、そのままで」
野口が、お咲を手招いて、共に居るように合図した。
「そうだよなあ。やっぱり、お咲、いや、花園咲子の出番は大きいからねぇ。一緒に話を聞いといた方がいい!」
二代目が、ニカリと笑う。
「……二代目、なんだ?その、花園咲子というのは?」
「京さん!良い名前だろ!俺が徹夜で考えたお咲の芸名だよっ!」
「ええ、独演会といっても、やはり、前座は必要てすからねぇ。お嬢ちゃんの歌なら最適だろうと、二社共通の意見でありまして……」
沼田が満足げに言ってくれるが、岩崎はじめ一同は、なんのことやらと、呆然とした。
「まずは、初回は、田口屋さんのお声がけで、花園劇場を押さえました。その成功次第で、次の公演が決まります!」
勝手に饅頭に手をだしている野口に代わり、沼田が身を乗り出しながら説明し始める。
なんとなく、場違いな気がした月子は、清子を手伝いに行くと腰を上げた。
「いや、月子。一緒に話を聞いてくれ。私の独演会についてだからね」
岩崎に止められ、月子はそっと部屋の隅に腰を下ろすと、皆の話に耳を傾けた。
「……という訳ですから……」
沼田は、計画を語り終えると岩崎へ了承を得ようと更に身を乗り出して来る。
一度演奏して好評だった花園劇場を使う方が、客も集まりやすいだろうし、いざとなれば、二代目の口利きを利用できる。
新聞、雑誌に広告も載せるが、やはり、先の評判が強いはず。集まる客もほぼ同じ層だろうと、沼田と野口は読んでいた。
また、その層の方が、新聞、雑誌共に手に取ってもらいやすい。いわば、皆、損はしない。ただし、成功すればなのたが……。
「私は行けると思うんですけどねぇー。下手に大劇場を利用したら、客足が読めないし。お嬢さんの、にぎにぎなんとかーってやつも、お馴染みになってんでしょ?だから、花園劇場を使うのが無難だと思いますよー」
モグモグ、饅頭を食べながら、野口が沼田の言い分に補足する。
というよりも、二社の間では、そうゆう段取りで、すでに決まっているようだった。
「そうだな……。君達の言い分が、もっともだ。私はまだ無名だし、有名所の劇場でというのは、贅沢な話だろう。だが、お咲が前座というのは……」
岩崎が、渋った。あくまでも、独演会を拓きたかったからもあるが、あの発表会の騒ぎがまた起こるかと思うと、何か違うような気がしたのだ。
「えーー?!せっかくの花園咲子のデビューだぜぇ!京さん、お咲の事も考えてやれよ!」
二代目が、割り込んで来る。
世の中、少女歌劇団が大流行中。お咲をきっかけに、花園劇場でも、少女歌劇団を作りたいとかなんとかかんとか……。二代目は、必死に粘った。
「二代目!お咲は、まだ就学前だぞ!ちゃんと学校に通うのが先だろう!」
月子は、はらはらしていた。よもや、お咲が原因で言い争いになるとは思っていなかったからだ。そもそも、少女歌劇団というのも、話が飛びすぎている。さすがに、月子でも突拍子もない話だと理解出来た。
このままでは、お咲が、自分のせいで揉めていると誤解して、泣き出してしまうのではなかろうか。
そこへ助け船が現れる。
「どうかね。子供向けの、つまり、家族向けの演奏会にするというのは?日頃、本物の音楽に触れていない子供達に、京介の演奏を聞かせる……。それが、心に染み込み……新たな未来の音楽家が誕生するきっかけになるかもしれない。記者君達も、それなら、立派な社会貢献事業になる。購読目当ての商売を越えた、崇高な催しだ!」
男爵が、岩崎を見て目配せする。
今は、これが自分の限界なのだと、岩崎も悟ったようで……。
「ならば、各地の尋常小学校を巡らせてくれ。独演会は音楽教育の一環にしてくれないか?」
と、新たな案を持ち出したのだった。