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絶望はまだ終わらなかった。
魔王ロットはついに概念と化し、その概念はシステムや世界線を超越し、現実層への侵入を果たしてしまった。
創造物が創造者の世界に到達するという異常性。
この事態を所長は。
所長は。
「エキサイティング!!」
楽しんでいた。
しかし、所長は同時に危機感を抱いていた。この現実層はゲーム層とは違い、コパ君たちの能力も知性以外は失われている。
唯一戦えるのは、もともとRPG世界線に居た勇者ロットのみ。
その勇者ロットですら敵わない概念的存在。
この絶対的ピンチを乗り越える唯一解。
それは。
「よし、みんな! ICMO号で逃げよう!! 世界線から脱出するんだ!!」
所長は全員を誘導し呼びかけた。
コパ君たちは走り、イロとロットもそれについていく。
所長は運転席に乗り込み、エンジンをかける。
あいにくシートベルトを悠長にする余裕はなさそうだった。
バックミラーをチラリと見ると、黒い粒子は世界を覆い始めていた。ICMO号を取り込もうと追いかけてくる。
所長は全員が乗り込んだのを確認して、目一杯アクセルを踏んだ。
ICMO号はその期待に応えるように急発進し、時速130キロメートルを出した。
所長は考える。
「黒い粒子の正体は、恐らくコパ君たちが対峙したという敵なのだろう。しかし、いまの現実層への侵食は、通常の論理と観測の範疇を超えた現象だ。システム層を超え、私の世界線に干渉する存在……ああ! ゾクゾクする!……そんな存在と真っ向勝負をするのは当然危険極まりない。ここで逃げるという選択を取るのは構造的必然。そして、次なる一手は……」
所長は通信機を取り出し、世界線司法にダイヤルをかける。
片手ハンドルで急なカーブを曲がり、さらに加速する。
通話が繋がった。
「もしもし。こちら世界線司法です。どうかされましたか」
「ああどうも。こちら所長です。この前はお世話になりました」
「ああ所長さん。創造者の方ですね」
「ええ。それで、緊急なんですが、最近創造した第四宇宙の中から低層に位置する機関的及び補助的世界線の『RPG世界線』で、規定違反を観測しました」
「第四宇宙の『RPG世界線』ですね。規定違反とは、どのような?」
「物語層のキャラクターが、私の世界線に侵入しました」
「え、それは……はい……ええと、現実侵食ということでよろしいですか?」
「はい。あまりない現象……いや、原理的可能性はありますが、私も初めての経験で……いま、まさに現実侵食の被害に遭っています。世界線への侵食及び攻撃が確認できました」
「いま、安全は確保できていますか?」
「出来ていません。今現在、暴走したキャラクター……いや、概念による侵食が背後から追ってきています」
「え!? 緊急事態じゃないですか! もっと早く教えてください!」
「え? いや、はい……すみません」
「至急、そちらに警察隊を送ります」
「いや、もう世界線警察では対処困難な領域です。真っ向から挑めば、被害は免れません。私の考えでは、これは世界線の強制消去が必要です」
「制限でなく、消去ですか?」
「はい。いま、『RPG世界線』から接続点への脱出を試みていますが、恐らく他世界線干渉も可能な領域に入っています。もし、これを放置すれば、司法世界線もいずれ侵食され、そうなれば誰も削除権限を持ち得ない。つまり、そのうち神的構造体へも到達するでしょう」
「神的構造体への到達……? それは、本当ですか?」
「もちろん、創造主体の乗っ取りを意味しますから、それを完遂するには相当な時間がかかるはずです。しかし、原理的に不可能ではない……今の状況、把握できましたか?」
「分かりました。緊急で世界線削除措置を行います。もう一度確認します。第四宇宙の『RPG世界線』ですね? 間違いないですか?」
「間違いありません」
「では、世界線を完全に移動してからまた連絡をお願いします。必ず、完全移行の状態でお願いします。接続点に居る状態で削除措置を行いますと、揺れが生じてしまいますので」
「はい。分かりました」
「いまお一人ですか?」
「いえ。構造体6名、物語層のキャラクターを2名乗せています」
「世界線移動許可は取れていますか?」
「構造体6名の方は取れています。しかし、物語層のキャラクター2名については、緊急避難を要請します」
「……分かりました。物語層のキャラクター2名ですね。名前は分かりますか?」
「はい。イロとロットです」
「カタカナで?」
「はい」
「分かりました。では、至急安全を第一に脱出してください」
「はい。お願いします。失礼します」
「はい」
所長は通信を切った。
そして、突然歌い出した。
682
ruruha
2,046
眠狂四郎
137
シュメール
80
「うーみーはーひろいーなーおおきーいーなー!!」
「所長、ふざけないで」
「ごめんね。ああいう事務的な連絡する時って、なんかストレス溜まるからさ。その場で発散しちゃったよ」
「所長、前見て」
「分かってるよ……ああ、背中痒いなあ! ちょっとAコパ君かいてくれない?」
「所長、前見て」
ICMO号は村を過ぎ、残り5分程度で接続点へ到達する目算だった。
黒い粒子は相変わらずICMO号の後方をぴったりと張り付いてきている。
その時、黒い粒子が右後輪に絡みつき、パンクさせた。
車が大きく傾く。
車内で悲鳴が上がった。
所長はアクセルを緩めることなくハンドル操作で体勢を立て直し、加速を続ける。
しかし、速度は大幅に減じ、黒い粒子はすぐそこまで迫った。
Aコパ君が声を張り上げる。
「所長! 速度を出さないと飲みこまれてしまう!!」
「分かってる。でも、これ以上速度が出ないんだ」
「まずい。来たぞ!!」
黒い粒子がICMO号の後部を捉えた。車が停止する。
窓外が一気に暗黒に包まれていく。
コパ君たちはゲームオーバーを悟った。それも、現実におけるゲームオーバー。二度と戻ることのない死だ。
所長はアクセルを踏む。
しかし、全く動かない。黒い粒子はがっちりとICMO号を捕捉していた。
後方から巨大な恐ろしい顔が現れる。そして、叫んだ。
車全体が震える。
窓が割れそうなくらいガタガタと揺れた。
Aコパ君は必死に思考した。
しかし、今何の道具も手立ても持たないAコパ君は、明確に詰みを自覚した。
その時。
「所長!? 何をしてるんだ!!」
所長が「よいしょ」と言って運転席のドアを開けた。 自殺行為である。
Aコパ君が必死に所長を抑える。
「所長! それは、誤った行動だ! 今すぐドアを閉めて!」
「ねえ、死ぬということは、始まりだとは思わないか?」
「……え?」
「死ぬのは、怖い。それは本能だ。しかし、それを乗り越えてこそ人間の生きるという感覚が最大限に発揮されるのだと思う」
「何を言って……」
「はははは!! ふはははは!! くくくく!!」
全員がその所長の顔を見た。
所長は。
「生きるか死ぬか、その瀬戸際に立つというのは、なんて楽しいのだろう!!」
完全に狂った目をしていた。
所長は、自らを劣等生だと思いながら生きてきた。
格別運動能力は高くない。むしろ並未満だ。
頭脳で秀でているわけでもない。これも、社会的なステータスから見れば並未満だった。
自身の価値や信条を信じられず、やがて世間の価値や信条も疑うようになった。
「当たり前」「常識」「普通」「一般的」。
そんな言葉たちを聞くたびに、所長は思った。
「なぜ、そんな脆いものを堅く信じられるのか?」と。
所長は論理を超越すると同時に、酷く理屈屋で論理を愛していた。だからこそ、論理に裏打ちされていない価値体系の揺れに敏感だった。
所長は悩んだ。
そして、現実世界をなんて生きにくく、窮屈で、つまらない世界なのだろうと考えた。
その答えを求めるため、解決を探るため、哲学書や思想書を読み漁り、自ら稚拙な思想体系を築き上げたりした。
しかし、所長はある決定的な出会いを果たす。
『世界線』の創造である。
偶発的発見から生まれた『世界線創造』。その類まれなる能力への覚醒が、彼の中で自信となり、論理に裏打ちされた価値体系に昇華した。
そして、所長は自らを卑下することも、世界に不平を垂れることも無くなった。
ただ、「遊戯」のために、最高に狂った”まともさ”を身に付けた。
ただ、「遊戯」のために……。
所長はAコパ君を振り払い、車外に出た。
コパ君たちから悲鳴や怒号が上がる。
そして、Aコパ君に怒鳴りつけた。
所長が声を荒げるのを聞くのは初めてだった。
所長は言った。
「Aコパ君、運転しろ! そして逃げるんだ! 先に接続点へ行ってくれ!」
「所長。無謀だ! 所長が飲み込まれれば、僕たちも終わってしまう! だから、他の方法を……」
「黙れ!!」
所長は叫ぶ。尋常ではない目で。
そして、突然穏やかな目つきになり、とても静かな声で言った。
「私は、勝つよ」
そして、黒い粒子に向かっていった。
Aコパ君は呆気に取られて、しばらく動けなかった。
今まで、所長の狂気に触れてきたが、ここまでとは想像していなかったのだ。
しかし、必死に自らの動揺を抑え、所長の指示に忠実に従うことだけを考える。
その時、ロットも車を降りた。
イロから悲鳴が上がる。
「ロット!! 行かないで!!」
ロットは答える。
「イロ。待っていてくれ。俺は、あたらしい世界でも、君と違って『勇者』を捨てきれない。分かってくれ。決着をつけなくちゃいけないんだ」
「嫌!! あなたがいくなら、私も!!」
ロットはイロに口付けをした。
イロから涙が溢れ出す。
ロットは笑顔で言った。
「必ず、戻る」
ドアは閉まった。
イロは叫ぶ。
しかし、ICMO号は先を急いだ。
ロットは仁王立ちをする所長の隣に立つ。
「……所長さん。あなたは俺の生みの親だ。一人にはさせられないよ」
「そうかい。いい我が子を持ったものだ」
所長は目を合わせなかった。
ただ、その視線の先には暗黒の波が向かってきていた。
ロットは『伝説の剣』を構える。
「これは、俺の闘いでもあるんだ。俺自身との……。決着をつけてみせる!!」
ロットは粒子に向かって叫ぶ。
「コパ・イロットスペシャルアタック!!」
狂気と信念の闘いの口火が切られた。