テラーノベル
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九尾の瞳が、わずかに細くなる。
――お前だろう
縫季は、ほんのわずかに息を吐いた。声は出さない。だが思考が、返る。
――知っている
九尾の尾が、ゆっくり揺れる。九本の尾が、煙を静かに払う。それぞれが別の意志を持つように。
――ここにいる存在ではない
短い沈黙。九尾の声が、少しだけ低くなる。
――この王に触れるな
――触れれば――線は崩れる
沈黙。
――お前が頼ってきた記録の先も
縫季の胸の奥で、何かが軋んだ。その言葉が、別の声と重なった。管理官の警告と。形は違う。温度も違う。だが、言っていることは同じだった。知っている。分かっている。だから、越えなかった。
九尾は続ける。
――去れ
縫季の目が、静かに閉じる。
――ああ――そのつもりだ
九尾の瞳が、一瞬だけ揺れた。哀れむでも、責めるでもない。ただ――長い時間を生きた者が、短い時間しか持てない者を見るような目だった。
煙の中で、影が薄くなり始める。
その静寂が、広場を満たした。
誰も動かない。誰も声を出さない。
影が消えかけるまで。
その時間が、やけに長かった。
やがて――
「祖霊が怒っている!」
神官が叫んだ。
「香が乱れている!」
堰が切れたように、ざわめきが広がる。
貴族の一人が縫季を指した。
「あの者、祭祀に列する血筋ではない!」
「王家の血を持たぬ者が場を穢したのだ!」
「天が拒んでおられる!」
声が重なり、煙が消え、火が戻る。鼎の腹が、静かに冷えていく。太鼓は鳴らない。祭壇には、人間のざわめきだけが残った。
◆
謁見の間は、静かだった。ざわめきの余熱だけが、空気に残っている。帝辛は上座に座っていた。表情はない。王太子の顔だ。
臣下が並ぶ中、子嘉が、前に出た。ゆっくりと。落ち着いた足取りで。膝をつく。
「殿下」
穏やかな声だった。怒号ではない。だからこそ、よく通る。
「本日の祭祀にて、天の異変がございました」
帝辛は答えない。子嘉は続ける。
「祖霊の怒りは、場の乱れから生じると申します。縫季殿の出自を、改めてお調べいただきたく」
静かな上奏だった。追放とは言わない。調査と言う。だが、意味は同じだ。
縫季は、その言葉を聞きながら、胸の奥で何かが止まるのを感じた。
(……この手順は)
知っている。清朗を追い落とすとき、縫季が使った手順と、同じだった。直接攻撃しない。制度の問いとして立てる。王に判断を迫る形で、追い込む。子嘉の口から出ているが、この論理の形を、縫季は知っている。自分が動かした形だから。
謁見の間に、沈黙が落ちる。臣下たちが、帝辛を見る。帝辛は、動かない。縫季を見ない。子嘉を見ない。ただ、正面を。
帝辛の指先が、わずかに動いた。膝の上で。誰にも見えない場所で。布を、一度だけ握った。
「……子嘉」
帝辛が口を開いた。
「調査は、追って命じる」
短い。答えでも拒絶でもない。ただ、保留だった。
子嘉は頭を下げる。
#BL
#ヒューマンドラマ
Hp2
409
「御意」
縫季は、その声を聞いた。焦りがない。待てる、という余裕があった。
(……清朗のときも、こうだった)
子嘉が動いた。帝辛は、止めなかった。それだけで、決まった。速かった。恐ろしいほど。同じ構造だ。今度は、縫季が清朗の位置にいる。
縫季は、ゆっくりと息を吐いた。怒りはない。当然だ、とさえ思う。自分が仕掛けた罠に、自分が落ちた。それだけのことだ。
謁見が終わる。臣下が退出する。縫季も、頭を下げて、部屋を出た。
◆
廊下に出ると、香の波が揺れた。管理官からの照合香波が、薄く触れる。縫季は先に口を開いた。
「分かっている」
気配が、静止する。
「去る」
声は、震えていない。気配が、遠のく。縫季は一人になる。
廊下の奥で、かすかな灯りが見える。あの中で、帝辛はまだ座っているのだろう。指先を、膝の上で握ったまま。縫季は、その灯りに手を伸ばさない。見つめるだけで。そして、背を向ける。
背後で、青銅の鐘が風に鳴った。
低い音。
長い余韻。
縫季は振り返らない。煙はもう、空へ真っ直ぐ昇っていた。
コメント
1件
第47話、めっちゃ良かった…。九尾と縫季の会話、静かで重くて、一字一句が刺さったわ。「お前だろう」「知っている」って、お互いの正体を確かめるようなやりとりがもう、胸に来る。 最後の謁見の間のシーン、帝辛が指先で布を握るところ、あれだけで全部伝わってくるのがすごい。縫季が自分で仕掛けた罠に落ちる構造、緻密で怖い…。応援してるわ🔥