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明けてハロウィン当日。
僕はいつものように身支度を整え、いつものように家を出た。
いつもと何も変わらない一日の始まり。
けれど今日という日は、僕や真帆にとって、忘れられない一日になることだろう。
僕はよく晴れた空を見上げて、昨日、乙守先生が口にした衝撃的な言葉を反芻する。
『あなたの身体から夢魔を引き剥がし、封印します』
これだけ聞けば、とても素晴らしい話だと僕は思ったことだろう。
真帆の中に巣食う、魔力から生まれたバケモノ、夢魔。
真帆の永い寿命の根源たる夢魔を真帆から引き剥がすということは、詰まるところ、その強大なる魔力を真帆からなくすということ。
真帆の寿命を、僕たちとほとんど変わらないものに戻すということ。
けれど、本当にそんなことができるのであれば、どうして今までそれをしなかったのかという疑問が浮かぶ。
それを口にすると、乙守先生は、
「しなかったのではなくて、できなかったのよ」
そう首を横に振ったのだった。
「楸さんの魔力と夢魔が強く結びついてしまっていたために、当時の魔法技術では、無理やり引き剥がそうとすると、彼女に命の危険があったから。私たちだってこの十数年間、夢魔に対抗する手段を考えなかったわけではないのよ? なんとかして楸さんから夢魔を抜き出して消滅させられないか、たくさんの魔法使いたちが研究を重ねてきた。その中には、昨年あなたたちに危害を加えようとした馬屋原さんも含まれていたの。彼の執念はとてもすごかった。私たちも知らなかったとはいえ、夢魔という存在を創り出したのは彼自身だったから。夢魔に対する彼の情熱は、当然ながら人一倍以上のものがあったわ。けれどそれは、楸さんから夢魔を引き剥がして“消滅させる”ものなんかじゃなかったの。彼の行なっていた研究は、彼自らの野望を実現させるためのものでしかなかったのよ。それでも、彼の残した研究が本当に役に立ったわ。彼は夢魔について、様々な可能性を考えていた。そんな中のひとつに、夢魔を楸さんから引き剥がして、他者の身体に移動させるというものがあったの」
「……馬屋原先生が、そんなことを?」
僕はごくりと唾を飲み込み、
「まさか、馬屋原先生は、夢魔を自身に取り込むつもりだったってことですか?」
それに対して、乙守先生は「どうかしら」と首を傾げた。
「彼もそこまで考えていたかはわからない。彼の真意を聞き出そうにも――覚えているでしょう? 彼は自分で自分の記憶を消してしまった。だから、もはや真相は藪の中。私たちの手に残ったのは、未だ実現していなかったその研究の資料だけだった」
けれどね、と乙守先生は口角を上げて、
「そんな彼のおかげで、私たちはその資料を基に、ついに楸さんから夢魔を引き剥がす魔法を完成させることができたってわけ」
「ってことは、夢魔を消滅させることも可能になったってことですか?」
期待するような表情で口にしたのは、誰あろう昨年一番の被害者だったと言っても過言ではない、鐘撞さんだった。
そんな鐘撞さんに対して、乙守先生は首を横に振って、
「言ったでしょう、封印するって。残念ながら、夢魔を消滅させられるほどの魔法技術をわたしたちはまだ確立していない。ただ彼女から夢魔を引き剥がして移動させ、封印するだけ」
「それじゃぁ、ダメじゃないですか」榎先輩は呆れたように眉をひそめて、「引き剥がしたところで封印する前にまた暴れ出したら? 封印できたとして、移動させた先の人が去年の真帆みたいに夢魔と同化してしまったら? またたくさんの魔法使いたちが命を落とすことになるかもしれないってことですよね?」
「そうね。その可能性もあるかもしれない」
けれど、と乙守先生はニヤリと笑んで、
「少なくとも、楸さんから他の誰かに夢魔を移動させることができれば、彼女は普通の女の子に戻ることができるのよ」
乙守先生は真帆に顔を向けて、満面の笑みを浮かべながら、
「ね? 悪い話ではないでしょう?」
しかし、真帆自身は意外にも動揺したような表情で、
「……普通の女の子って、どういう意味ですか?」
静かに尋ねる。
その質問に、乙守先生は、
「言葉の通りよ」
と短く答えただけだった。
いったい、何が問題なのだろうか。普通の女の子に戻ることができれば、乙守先生のように永い時を生き続ける不安から解放される。
あの時、保健室で泣いていた真帆のその不安が払拭されるのであれば、それにこしたことはないように僕は思うのだけれど。
真帆はいったい、何をそんなに動揺しているのだろうか。
不思議に思っていると、そんな真帆の代わりに鐘撞さんが口を開いた。
「――それってもしかして、真帆先輩が魔法を使えなくなるってことですか?」
僕は思わず「えっ」と口にし、改めて乙守先生に顔を向けた。
あんなに魔法の好きな真帆が、魔法を使えなくなるだって?
自由気ままに空を飛んで、気に入らない奴は強い風で吹っ飛ばして、新しい魔法を見つけてはどんなことができるのか楽しそうに試していた真帆が、魔法を使えなくなるだって?
乙守先生は「そうね」と小さく頷く。
「その通りよ。彼女は、本当に、ただの普通の女の子になる。これまで持っていた強大な魔力のほとんどを失い、普通の人としての一生を送ることになるでしょう」
「……そんな」
僕は思わず口ごもってしまった。
夢魔を引き剥がすためとはいえ、真帆から魔法を奪うようなことは、なるべくならしたくない、僕はそう思った。
乙守先生は小さく息を吐くと、諭すように、
「あなたたちの気持ちも解るわ。けれど、そうすれば楸さんはシモハライくんと同じ時の流れに乗ることができる。同じ時間を過ごして、あなたたちと共に老いて、そして、死ぬことができる。それは楸さん自身も強く望んでいたことだったと私は思うのだけど、違う?」
そう訊ねられて、真帆はちらりと僕に視線を向けた。
僕はどう答えればいいのか判らなかった。
どう答えるのが真帆の為なのか、全然まったく、解らなかった。
しばらくの間、僕と真帆の間で視線だけの会話が続いた。
それをどう言語化すれば良いのか、どう表現すればいいのか、それすらも僕にはわからない。
ただただ時間だけが過ぎていき、なかなか答えなど出てこなかった。
そんな僕らに、乙守先生はため息交じりに口にする。
「――ひと晩だけ、考える時間をあげる。けれど、これだけははっきり言っておくわ」
乙守先生はじっと真帆を見つめて、そして、
「全魔境としては、あなたから夢魔を取り除くのはもう決定事項だから、そのつもりで」
「……わたしに拒否権はない、と?」
「……そうなるわね」
「ひどい」
「そうかもしれない」
真帆はそんな乙守先生に、むすりとした表情で訊ねる。
「……それで、いったい誰の身体に私の中の夢魔を移動させるつもりなんですか? 先ほど、封印するとおっしゃっていましたよね? それだけの魔力に耐えうる人ってことですよね?」
「えぇ、もちろん。もうわかっているでしょう?」
乙守先生は今一度頷いてから、自身の胸に手をあてて、
「――あなたから夢魔を移動させて封印するのは、私の身体の中よ」