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そういうことだから、夢魔については私に任せてね。
そう言い残して、乙守先生と井口先生(結局、井口先生はひと言も喋らなかった)は部室から去っていった。
僕らの間に、長い沈黙の時が訪れたのは言うまでもないだろう。
お互いに視線を交わし、何をどう言えば良いのかしばらく悩む。
空気が重い。息が詰まる。
夢魔を乙守先生の身体に移動させるだって?
真帆が魔法を使えなくなるだって?
本気でそんなことを言ったのか?
冗談ではなくて?
確かにそうすれば真帆は強大な魔力を失い、不老長寿を失い、普通の人生を歩めるようになるかも知れない。
僕と真帆が、同じ時の流れの中を生きていけるようになるのかも知れない。
でも、その代償が真帆の大好きな魔法だなんて、それはあまりに酷いことのように思えてならなかった。
せめて半分だけでも、魔法が使える程度の魔力を残すことはできないのだろうか。
夢魔の力を、分割することはできないのだろうか。
……たぶん、そんなことは不可能なのだろう。夢魔は魔力から生まれたバケモノであり、恐らくひとつの生命体と言っても過言ではない。昨年、夢魔と対峙したとき、僕はそれを強く感じた。
真帆の中には、ひとつの別生命体としての夢魔がいる。
そしてそれこそが、真帆の強大な魔力の根源であるのだから。
榎先輩も、鐘撞さんも、それをよく理解している。だから、ただただ乙守先生の言葉に動揺していた。
ただひとり、肥田木さんだけがワケもわからず右往左往しているようだった。
やがて最初に口を開いたのは。
「……今日のところは、帰りますね」
真帆だった。
真帆は普段とあまり変わらないような声色とテンションで、けれど違和感ありまくりの様子でひとり部室をあとにしたのだった。
そんな真帆の背中を呆然と見つめてしまう僕に、榎先輩が慌てたように肘で突っついてきた。
僕は「……あっ」と小さく声を漏らし、
「ま、待って、真帆!」
そのあとを、慌てて追いかけたのだった。
部室の出入り口である観音扉を抜けて外に出ると、真帆はいつものようにホウキに腰掛け、ふわりと空に浮かびあがろうとしているところだった。
空にはすでに夜の帳が下りており、丸い月を背景に浮かぶ真帆の姿は、とても神秘的に僕には見えた。
「……真帆!」
真帆を見上げながら声を掛けると、真帆はふわふわと宙に漂いながら、
「どうかしましたか? シモフツくん」
と首を傾げた。
その姿はなんだかあまりに不自然で、真帆もまた酷く動揺したままであることを物語っていた。
なんとか平静を保とうと頑張っている、そんな様子だった。
「僕も乗せてよ。一緒に帰ろう、真帆」
すると真帆は、「えーっ?」と眉を顰めてから、
「でもユウくん、私の運転、怖いんじゃなかったでしたっけ?」
「……怖いけど、スリリングで嫌いじゃないよ」
「そんなこと言って、また吐いちゃったらどうするんですか?」
「そうしたら、真帆が介抱してくれるんでしょ?」
「えーっ? めんどくさいなぁー」
「そんなこと言わないでさ、ふたりで月を観ながら帰ろうよ。だってほら」
と僕は真ん丸い月を指差して、
「あんなに綺麗な月なんだもの。せっかくだから、ふたりで観ながら帰りたいだろ?」
真帆はそんな僕の指さす月を、風になびく長い髪を右手で押さえながらすっと見上げて、
「――そうですね。それも良いかも知れませんね」
言って、ゆっくりと僕に向き直ると、徐々に高度を下げながら手を差し伸べて、
「……じゃあ、一緒に帰りましょう、ユウくん」
にっこりと、ほほ笑んだのだった。
真帆のホウキの運転は、とても穏やかなものだった。
普段の荒々しい、自由気ままな運転なんかじゃなくて、本当に、静かに、僕とふたり、夜の空をゆっくり飛んだ。
とても大きくて丸い月をふたりで眺めながら、何の会話もなく、真帆は僕を家まで送ってくれた。
その別れ際のことだ。
お互いに手を振り、「それじゃぁ、また明日」とあいさつを交わして飛び立っていく真帆。
それを見送り、自宅の玄関に身体を向けた直後、
「……ユウくん!」
すぐ後ろから真帆の声がして、慌てて振り向くと。
――チュッ
真帆が、ホウキに乗ったまま、僕の唇に、キスをした。
……本当に、一瞬のことだった。
特に特別感もない、たまにするような、普通のキス。
真帆はスッと僕から顔を離すと、本当に微かにほほ笑んで、
「――おやすみなさい。それから――ありがとうございます」
「……え、あぁ、うん……」
再び去っていく真帆を、僕はただ茫然と見送って。
そんなこんなでなかなか眠れない一夜を明かして、今日、この日。
僕は大きくため息を吐き、空を見上げて――
「おはようございます、ユウくん!」
空からふわりと、ホウキに乗った真帆が降りてきた。
真帆は紅いバラの花が鮮やかなとんがり帽子をかぶっており、いつも乗っているホウキにもまた同じく美しいバラがいくつもデザインされていた。
なんだか普段通りの真帆って感じの、朗らかな印象だ。
「おはよう、真帆。いいね、そのバラ。とても似合ってるよ」
真帆は嬉しそうにほほ笑んで、それからその口角を徐々に上げていき、にんまりと笑みを浮かべてから、
「――私、全力で抗います」
よくわからないことを口にした。
「……え、なに? なんのハナシ?」
訊ねる僕に、真帆はこくりと一つ頷いてから、
「私、絶対に、この魔力を――夢魔を手放しません」
「えっ、えぇっ? なに? どういうこと?」
目をまん丸くする僕に、真帆は僕の目をじっと見つめながら、
「だって、私が魔法を使えなくなったら、またユウくんと一緒にホウキに乗って、月を見られなくなっちゃうじゃないですか!」
え、そこ? 本当にそこなの?
僕はあんぐりと口を開けてしまう。
そんな僕に、真帆はふんすと鼻息荒く、
「私、そんなのは絶対にイヤです!」
力強く、宣言する。
「だから――戦います。乙守先生と!」
真帆は言って、ニヤリと不敵な笑みを浮かべたのだった。