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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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プロローグ

「コーヒーって、うまいの?」

声は突然、頭に響いてきた。

私はあまりに急な問いに少し驚いて、本に落としていた目は、前方の木製チェアに座る男へと向けられた。

男は美しかった。

目は大きく二重まぶたが印象的で、鼻は細い筋がまっすぐと伸びて、小ぶりな造りだった。

細い眉に、赤みがかった唇がセクシーだ。

端正な顔立ちだが、男性らしいというよりは中性的な印象を受ける。

私は持っていた本をテーブルに置き、男の問いかけに疑問を返す。

「どうしたの。急に」

「急にもなにも、さっきから何度か聞いてたんだぜ。アカリが反応してくれないから、俺、嫌われちゃったかと思ったよ」

「ああ、ごめん。ちょっと集中しすぎたかも」

「集中しすぎだな」

困った顔をしながら横目で、すぐ隣にある大きな窓ガラスを見る。

今日は 、生憎の雨だった。

窓ガラスを小気味よく雨粒が打ちつけ、店内の静かなBGMと調和していた。

読書に熱中していたのは事実だけれど、相手の声が聞き取れなかったのは自然の働きのせいでもあったろう。

だが、雨の日にレトロな喫茶店で読書に勤しむことが好きな私にとって、このささやかな悪戯に気分を害されることはなかった。

視線を再び男に戻し、微笑んで答える。


「気になるなら、コーヒー飲めばいいじゃん」

「だって、苦いんだろ。苦いのが美味いっていう感覚がわからないんだよな」

「アキラって子供みたい。もう大学生でしょう。昔から何も変わってないんだから」

「子供って何だよ」

アキラはムッとして、不機嫌そうな顔をする。

しかし、すぐに意地悪そうな顔をして見せて、腕を組んで椅子の背もたれに体を預ける。

続けて、彼はこう言った。

「俺、賢いから知ってるぞ」

「何を?」

「子供が苦いものを避けて、大人が苦いものを好きになるのって、大人の味覚が鈍感になってるからだってな」

「それで?」

「理論通りなら、アカリは味音痴で、俺の方がずっと味覚が敏感なんだ」

そう言って自慢げに小さく頷きながら、一人納得している様子だった。

その姿を見ていると、途端にいじめてみたくなる。

気づけば、私も彼と同じ姿勢をしていたようで、腕を組んだまま笑って応えた。

「アキラ。それを子供って言うんだよ」

「は?何でだよ」

「自分でも言ったでしょう」

「どの部分を言ってるんだよ」

「子供は苦味に敏感で、それを避ける。大人は苦味に鈍感で、それを好むって」

「それが何」

「子供みたい、なんて言葉の苦味に敏感に反応して、避けるために色々と屁理屈こねたでしょ」

「……」

「大人は苦味も大らかに受け入れるよ。だって、寛容というミルクで自分なりに甘くするから」

「……」

言葉の意味に気付いたようで、彼は誤魔化すように窓ガラス越しの景色をみつめた。

目の前には、何もない川が広がっている。

川は空の色を満面に写すため、より一層、目に映る光景は霧がかった街並みと相まって真っ白になっていた。

やはり、雨はずっと降り続けている。

暫くその様子を眺めていたアキラが、思いついたように私の目を見て訴えた。

「待って、おかしいよ」

「何が」

「子供の方が味覚は鋭いんだろう」

「そうね」

「やっぱり、アカリが味音痴なことは本当だし、子供みたいだとしても俺の方がすごいじゃん」

「子供みたいって自分で言っちゃう?」

「それはもういいんだ。言いたいことはわかったけど、比喩じゃなくて事実のみで話を進めたらやっぱり俺の方がすごい」


“すごい” の意味がわからなかったが、彼の前に置かれたオレンジジュースを見つめながら、言わんとしていることを理解した。

私は反論する。

「大人にとっての嗜好に適っているんだから、味音痴とは呼ばないし」

「しこうとか、かなうとかよく分からないけど、とにかく子供の舌の方が進化してるって俺は言いたいんだよ」

「進化?」

「そう、進化。大人より子供の方が味覚においては優れてるってこと」

「違うよ。進化という言葉は、別に劣ったものから優れたものになるという意味ではないでしょう」

「違うのか」

「そもそも、何で子供は苦味に対して、嫌な反応をするか分かる?」

「うーん」

虚空に目線を外し、素朴な疑問に首を傾ける。

仕草がいちいち子供っぽい。

アキラは釈然としない顔で、不思議そうにこちらに顔を向けた。

「なんでだろう」

「あはは。やっぱり知らないんだ」

「なんだよ。馬鹿にしてるのか」

「別に」

「ふうん……それで、焦らさないで早く教えてくれよ」

「はいはい」

もう少し “からかいたい” 気分だった。

しかし、彼の表情がいい加減に曇ってきたので、素直に教えることにした。

あまり怒らせると、面倒になるからだ。

息を浅く吸い、ゆっくりと話しだす。

「子供が苦味に強く反応するのは、舌に味蕾っていう味を感じるための器官が多くあるからなの。対して、大人は少ないから苦味を感じにくいわけ」

「つまり、どういうことだろう」

「言い換えれば、何のために子供は味蕾が多くあるのかってことね」

「それが、なんで子供は苦味に嫌な反応をするかってことに繋がるわけか」

「そういうこと」

「その先が本当に知りたいことだよ。一体、どういうことなの」

「それはね、味の学習……苦味とか酸味を避けるために必要だから。苦味や酸味は、腐った食べ物にもする味でしょう?」

「ああ、なるほど! それで、子供は苦味に嫌な反応をするってことか」

「そう。子供は本能的に腐ったもの、つまり毒になるものを避けようとするから味覚が鋭い。大人は子供の頃にたくさんのことを知ったからこそ、苦くても酸っぱくても食べていいものと食べられないものを区別できるから、その差が生まれるってこと」

「……そう考えると、大人の方が進化してるな」

アキラは、ぼそっと悔しそうに言った。

一応、私は弁解を込めて補足する。

「先に言ったけど、進化は優劣の問題じゃないからね。前は必要だったけど、今はいらなくなった。ある環境では便利だけど、もう一方では使い物にならないとか様々な理由がある。ケースバイケース、かな」

「難しいことはよく分かんないや」

「確かに子供みたいなアキラには、ちょっと早かったかもね」

「おい、アカリ。進化は優劣とかないんだろ。馬鹿にすんな」

「あはは。怒らないでよ」

「怒る」

「私たち、”双子” の仲に免じてよ」

姉、つまり私は穏やかに笑ってみせた。

「……許す」

諦めたように手を広げ、”弟” は歯を見せて笑う。

そろそろ読書に戻ろうと、テーブルに乗った本を手に取りかけたところで、自身が飲んでいたカップに目が留まった。

カップの持ち手を握り、あえて弟の方を向いてコーヒーを飲んだ。

カラン。

オレンジジュースの氷が敗北を宣言するように音を奏でた。

コーヒーは美味しかった。

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