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カーネが朝風呂に入っている間にメンシスが朝食の為にと作った料理を皿に盛り付けていく。野菜のスープ、ポテトサラダ、ベーコンや目玉焼きといった定番の軽食をダイニングテーブルに並べた。あんな事があった後では隣でなんか眠れなかったので、彼はパンは生地からこねて焼き立ての物を用意してみた。カトラリーも一式並べ、保温効果のある布をサッと上に掛けておく。これで料理が冷める心配もなくゆっくりとカーネを待つ事が出来るだろう。
そわそわとした気持ちを抱えながらソファーに座っていると、ララがメンシスに話し掛けてきた。
『一緒に入りたいってお顔ネ、トト様』
「……まぁ、正直な所はそうだな」
入りたくないはずがない。だが強引な事をしては意味が無いからなと思いながら、メンシスは近くに置いてあったクッションを両手に抱いて、背もたれに体を預けながら天井を仰ぎ見た。
『本当ニ、コツコツいく感じなのネ。私達はてっきりすぐに耐えられなくなっテ、記憶をこちらの都合に合わせて書き換えるだろうなと思っていたワ』
「いやいや、まだ三日目だぞ?何年掛けても駄目なら……まぁ、有り得るかもしれないが」
『でもどうしてこんな面倒な真似ヲ?今のカカ様なら、「ずっと自分達は夫婦でした」「そろそろ子供でも欲しいよね」って記憶を与えておけば簡単に事が進むんじゃないノ?』
「まぁ、確かに簡単だろうな」と言い、メンシスが「ははっ」と短く笑った。
「……でもそれって、そういう『記憶』があるだけでしかないだろう?」
『それの何がダメなノ?』
ララが不思議そうに首を傾げる。
「私がもう、欲も何もかも枯れ果てたご老体だったり、コレが初恋だったのなら、その『記憶』を有する彼女が傍に居てくれるだけで満足出来ただろうね。だけど、今の私ではそれでは全然足りないんだよ。……“彼女”に、心から愛される喜びを既に知っているからね」
そう言って瞼を閉じると、聖女・カルムが満面の笑みを浮かべている姿の記憶が蘇ってきた。手を繋ぎ、幸せそうに頬を染めて私を見てくれる姿に心がギュッと苦しくなる。永遠に続けばと、続くと思っていた時間が、無惨にも砕かれた経緯までもが頭の中をよぎり、メンシスの奥歯からギリッと不快な音が鳴った。
「……心から、『好きだ』と思ってくれている時の笑顔と、『自分達は夫婦だ』と押しつけられた記憶のままにただ行動するのとでは雲泥の差がある。気持ちが共なっていないと、どうしたって歪が生まれてしまうものだからな」
『なるほド、そうなのネ』
「——とは言っても、正攻法のみで堕とすつもりも無いけどな。気が急いて、うっかりやらかした事に関しては、リセットさせてもらう気でいるからね」
『良いと思うワ。……だっテ、アタシ達はもう充分、沢山沢山待ったもノ』と言って、ララはメンシスの太腿に飛び乗り、励ますみたいに体を預けた。
「——お待たせしました」
風呂からあがったカーネがリビングに戻って来た。髪は魔法を使って自分できちんと乾かし、いつでも仕事を始められる様にとメイド風の服を着ている。ララはもうメンシスの膝の上にはおらず、カーネが最後に見た時と同じ様に窓辺でゴロンと寝転がっていた。
「ゆっくり出来ましたか?」
「はい、おかげさまで」
浄化魔法でパッと手軽に綺麗にするか、井戸から汲んで来た水を生活魔法で温めてそれで流すくらいしか出来なかったから、石鹸や香油などを使って身綺麗にするのは初めての経験だった。だからか今もまだちょっとテンションが上がったままの様だ。
「良さそうな物を片っ端から買ってみた感じなので、色々使ってみて、気に入った物があれば教えて下さい。次回からはそれを継続して購入しておきますので」
「わかりました」と素直に返し、カーネが頷く。
「じゃあ、早速朝ご飯しましょうか」とメンシスに促されてカーネがソファーに座る。彼が料理に掛けてあった布を取り除き、畳んで隅の方へ置いた。布に付与されている保温魔法のおかげで料理は並べたばかりの時と何ら変わらず温かそうだ。
「どうぞ召し上がって下さい」
「ありがとうございます。頂きます」
ロールパンを一つ手に取り、一口分に千切ってから口に入れる。美味しそうに食べる彼女の姿をメンシスがそっと盗み見ていると、カーネが「……あ、あの」と申し訳なさそうに声を掛けてきた。
「どうかされましたか?」
「今度、神力の扱い方を教えてくれるってお話がありましたよね?」
「えぇ」
「……我儘を承知でお願いします。良ければそのついでに、料理も教えて頂けませんか?あと、その、魔法の使い方も」
「僕は構いませんが、魔法は既に扱えますよね?」
「私が使えるのはほぼ生活魔法だけなんです。それも完全に独学で、きちんと習っていないから正しい方法なのかもわからない状態でして」と言い、気まずそうにカーネが項垂れる。当然の様に彼もその事実を知ってはいるが、「そうなんですか、それは凄いですね!」とちょっと大袈裟に驚いてみせた。
「魔法はなかなか独学ではマスター出来るものではないですよ。でもそうですね、独学だとどうしても抜けてしまう魔法の基礎的知識や、こう扱うと効率的で良いという手法が相当数あるので、興味のあるものから学んでいきましょうか。もちろん、料理もお任せ下さい」
長い前髪と眼鏡があろうが分かるほど、彼はニコッと笑みを浮かべた。頼られる事が余程嬉しいのか、いつの間にやら尻尾まで出現させて嬉しそうにパタパタと揺れている。
「ありがとうございます!でも、あの……恥ずかしながら、学校へ通ったり、家庭教師をつけてもらって学ぶという経験も無かったので、生徒としてきちんと出来るのかがちょっと不安です」
「それを言ったら、僕も学校には通っていませんよ。幼少期に少し家庭教師をつけてもらった事はありましたけど、それ以降はずっと僕も独学です」
「……そう、なんですか?」と言い、カーネが驚く。
「はい。もう七歳の頃から家業を継いで働いていたので、そんな暇も無かったですからね」
「……七歳から、仕事を?」
カーネの脳裏にセレネ公爵の姿がふと浮かぶ。子供の頃から家業を継いでいる者が他にも居た事に驚きを隠せずにいるが、『もしかして同一人物なのでは?』とはこれっぽっちも思ってはいない。
「親が早くに隠居したんです。独学でも難なく生きてはいけますし、学校に行っていないだ何だと気にする必要はありませんよ」
「同じ経緯の人がこんな近くに居るのは、心強いものですね」
ふにゃりとした笑顔を向けられ、メンシスも顔を綻ばせる。
「私もシスさんみたいに、色々出来るようになりますか?」
「もちろんですよ、手取り足取り教えていきますね」
「ありがとうございます」と礼を言い、カーネが食事の続きをする。メンシスも笑みを崩さぬまま食事を再開したが、心の中ではニタリと笑ていた。
共感と尊敬の念は一層心の距離を近づける。
着実にカーネの心を手に入れ始めていると実感してメンシスの心が浮き足立つ。そんな気持ちを必死に笑顔という仮面の奥に隠し、雑談をしながら二人は朝食を楽しんだ。