テラーノベル
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食事も粗方済んだところで、奏は怜に質問した。
「何でリペアの世界に?」
「うちの高校、中倉楽器のリペアマンが出入りしてたんだけど、すげぇ丁寧に楽器を調整してくれる人で——」
怜が大学を卒業後、リペアラーになったきっかけを話し始めた。
高校時代、吹奏楽部でのサックス演奏も楽しかったが、楽器修理の分野にも興味が出た事。
大学で音楽ビジネスについて学んだが、リペアの勉強も諦めきれず、父親に頼み込んで、リペアの専門学校に通わせてもらった事。
都内で有名なリペア専門学校を卒業後、お茶の水に本店のある中倉楽器で二年間、新大久保の管楽器専門店で二年間の合計四年間、リペアラーとして修行を積み、五年ほど前に、ハヤマ ミュージカルインストゥルメンツに就職したという。
現在、彼は営業課の課長だが、役職もリペアラーとしての経験も含め、社長である怜の父が入社前から予め用意していたらしい。
(なるほど。だから葉山さんの手って、俳優のような顔立ちに反して、手が無骨なのか……)
奏は、職人のような怜の手を見つめながら、その手で数多くの管楽器の修理や、個人に合わせた調整を手掛けてきたのか、と思うと、尊敬の念すら覚えた。
(その筋張った手で私の髪や頬に触れられたら……私はどんな気持ちになるのだろう……?)
奏は不覚にもそんな想像をして、顔が熱ってくるのを感じてしまった。
きっと顔が赤くなっているかもしれない。
もしかしたら、顔どころか耳まで染まっているかもしれない。
そういえば、あの創業パーティの時だったか。
ホテルのロビーで、怜がふわりと奏の頭をさり気なく撫でた事があった。
いや、それ以前に奏は、親友、奈美の結婚披露宴後に道端で体調が悪くなり、怜に抱き留められているのだ。
それを思い出した奏の顔に、ますます熱が集中していくのを感じると、怜は不思議そうな面持ちで彼女の様子を伺った。
「随分顔が赤いな。店内のエアコンが効きすぎて暑いのか?」
怜に突っ込まれて、奏は焦ってかぶりを振った。
「い、いえ! 違います! それはそうと、私が勤める日野の特約店にも、時々来てるんですよね?」
顔の事をはぐらかすために、慌てて話題を変える奏。
「日野の特約店は、たまに来てるよ。ハヤマでは一応営業課長の肩書はあるけど、それも名前だけって感じだな。俺は外回りして、お客さんや学生さんと楽器の事や音楽の事について話すのが楽しいし、リペアラーとしての仕事も楽しい」
怜は言いながら、営業スマイルを奏に見せた。
食事を終え、奏が財布を取り出し、怜にお金を手渡す。
「あのこれ、私の食事代です」
怜が奏の前に手を出して制すると、爽やかな笑顔を向けて答えた。
「俺が突然誘ったんだから、音羽さんは財布をしまって」
「でも……」
「いいから。ここは素直にご馳走になればいいんだよ」
彼はそのまま会計を済ませ、奏は一礼して、ご馳走様です、とお礼を述べた。
ファミレスを後にし、怜の車で奏の自宅に送ってもらっている時、思いついたように彼が彼女に問いかけた。
「そういえば、トランペット。片品高校に行ってたくらいだからマイ楽器は持ってるんだろ?」
「持ってます」
「高校卒業してから吹いてるか?」
「いえ、高校卒業してからは一度も吹いてないです」
「もったいないな。ならさ、俺が修理調整しようか。あ、いっその事オーバーホールの方がいいか。傷んだパーツも全部交換して、傷とかへこみを直したら、ほぼ新品に近い状態になるし。あ、それいいな。そうしよう」
「…………」
唐突過ぎる怜の提案に、奏の身体に寒気が走る。管楽器のオーバーホールなんてしたら、一体いくら掛かるというのか。
当然ながら、奏の一ヶ月の収入は全てすっ飛ぶだろう。いや、一ヶ月分どころではないかもしれない。
奏の表情が無言のまま訝しげになった事に気付いたのか、怜は穏やかな笑みを浮かべ、視線を前方に向けたまま、ステアリングを握り続けた。
「もちろん、これは俺が言い出した事だからタダな。それに、奏さんの高校時代の『相棒』を綺麗にしたいっていうのもあるし、トランペットのリペアは、俺もそんなに経験がないから、俺自身の勉強を兼ねてっていうのもある」
怜が言った不意打ちの名前呼びに、彼女の心臓が大きく跳ね上がった。
(葉山さん…………今……奏さんって……呼んだ……?)
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