テラーノベル
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「そんな理由だから、君は気にせず『相棒』を俺に預けてくれればいい」
「あのですね、そんな事、『はいそうですか』って簡単に言える訳ないじゃないですか! オーバーホールですよ!?」
「ん〜……じゃあさ、『俺のリペア技術向上のために協力して欲しい。そのために、奏さんの楽器を実験台にしてもいい?』って聞いた方がいいか?」
ああ言えばこう言うのか、この人は。
これ以上ウダウダ言ったら埒があかない、と思った奏は、渋々承諾した。
「わかりました。私の楽器でよければ協力します……」
「ありがとう。すげぇ嬉しい」
怜が破顔させながら奏にお礼を言うと、彼の白いセダンは、ちょうど自宅近くに到着した。
「ここで待ってるから、楽器持ってきてくれるか?」
「え? 今ですか!?」
「もちろん。『善は急げ』って言うだろ?」
「はぁ……そうですけ……ど……。じゃあ、少し待っててもらえます?」
「了解」
奏は、急いで車から降りると、小走りしながら自宅へ戻っていった。
「すみません、お待たせして」
「そんなに待ってないから大丈夫だよ」
「これ、私の楽器です」
楽器ケース中央に付いているハヤマのロゴプレートを見た怜は、ワクワクしている様子が伺え、まるで、欲しいおもちゃを買ってもらった少年のようだな、と彼女は思う。
「お、うちのラッパを愛用してくれてたんだな。ケース開いて見てもいいか?」
「どうぞ」
怜は丁寧な手つきで、楽器ケースからトランペットを取り出した。
高校三年間使い込んだ楽器は、へこみと傷もあり、塗装部分は輝きが失われ、所々燻んでいる。
「お、しかも赤ベルじゃん」
トランペットには、主に金と銀のものがあるが、奏のトランペットのベル部分は、通称『赤ベル』と呼ばれる、ピンクゴールドっぽい色合いのものだ。
「赤ベルって、女の子らしくて可愛いじゃないですか」
「確かに」
怜が丁重に奏の楽器をケースに収めた後、腕時計をチラリと見やる。既に外は真っ暗だ。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ。奏さんの楽器、しっかりとオーバーホールさせて頂きます」
「本当に色々ありがとうございます。よろしくお願いします」
「仕上がったらメッセージアプリで連絡するよ。では、また」
怜の白いセダンが滑らかに発進すると、奏は彼の車が見えなくなるまで、深く一礼した。
奏と別れた後、信号待ちの時に、怜はチラリと助手席に置いてある奏の楽器ケースを見やった。
「好きな女が、青春時代をともに過ごしてきた大切な『相棒』だ。最高の状態に仕上げないとな……」
フッと唇を緩ませながら奏の顔を思い出す。
クールビューティで、でもどこか気の強い女、音羽奏。
長い黒髪に、眉の下で切り揃えた前髪から覗く、大きく意思の強そうな瞳。
あの瞳に、怜は魅了されたのだ。
そして、何度か奏と会っているうちに感じた、心の闇のようなもの。
「あの目力の強い瞳の奥に見え隠れする暗い影……。俺は君を…………放っておけないんだよ……」
眉根を寄せ、憂いを纏わせながら、まだ点灯している赤信号を見やった。
「奏……」
自分だけしかいない車内で、好きな女の名前を呟いてみる。
いつか彼女の事を、そう呼べる日が来るのを信じて。
信号が青に変わると、怜はアクセルを踏み込み、白いセダンは漆黒の闇の中へ走り抜けて行った。
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