名も知れぬ村の、小さな教会にふさわしい、小さな調理場で、なぜか、ナタリーは、ロマンチックなディナーとやらに、ありついていた。
調理台だろう、小さなテーブルには、白いリネンがかけられ、そして、蝋燭の灯りが灯る燭台と、薬草のような植物が生けられたグラスが、セットされた食卓に、焼きたてホヤホヤだよ。と、弾けながら、カイルが、厚切りベーコンと、目玉焼きを、フライパンからサーブしてくれている。
「まるっきり、朝食じゃない」
ナタリーの、嫌みにも、カイルは、めげることなく、自分のものを用意すると、向かい合わせに、席につく。
「あー、窓から差し込める蒼い月の光、そして、耀く、燭台の炎 。まるで、俺の胸の内を表しているかのような、ロマンチックな情景じゃないかい?ハニー?」
「バカらしい、こんな、薄暗い中で、食事なんか摂れるわけないでしょ、手元も、見えないわ。そこの、ランプをつけて頂戴」
「いやー、その上から目線にしびれちゃうけど、俺、思うんだけどさぁ。あんまり、明かりは灯さない方が、良いと思うんだぁ」
お忘れ?と、カイルは、ベーコンをほおばりながら、ナタリーへ忠告し始める。
「君の、お針子ちゃん、頭に来てたみたいだから、結構な締め付けがあると思うのよ」
「つまり、必要以上に、見張られるってこと?」
確かに、ロザリーが示した計画を、ナタリーが壊した。
しかし、それは、そもそもの、計画を成功させるためであって、と、いうよりも、そもそもの計画、なんて知らないのだから、そりゃー、好き勝手言いますよ、と、ナタリーは、思う。
そして、ワインでも、飲んで遊んでおけ、という、理由付けだった。と、いうことは、すでに、彼らなのか、なんなのか、不明の者が、ナタリーの動きを見張っているということになる。
「でも、ベーコンぐらい、食べたっていいでしょ、見られたら不味いわけ?」
「当たり前でしょ?俺といるんだよ?愛し合う二人が、ロマンチックなディナーを楽しんでいるのに、邪推な視線は必要ないでしょ?」
「……何が、愛し合うですか。なるほどね、あなた、が、困るって、こと」
ふふんと、ナタリーは、鼻で笑った。
カイルは、ここに、いることを知られたくないのだ。果たして、どうゆう裏が、あるのかは分からないが、やはり、これは、ロザリー、つまり、フランス側だけの話しではない。
(……ということは、多重スパイって奴と、一緒にいるって、こと?!)
「あー、カイル、あなたって人は。結局、なんなの??敵、見方?」
「まーた、もう!見方に決まってるじゃないか!」
前に座る男は、言いきってくれるが、じゃあ、何故、置き去りにした、そして、何故、教会で、司祭の真似事をしている。
おもむろに、不審な顔をするナタリーへ、カイルは、言った。
「まあ、細かな話は、食事の後、二人きりの時間を楽しみながら……と、言うことで、ねっ?」
パチリとウィンクする男に、ナタリーは、思う。
多重スパイだ、敵だ、という前に、こいつは、やっぱり、ただの、大バカ者だ──と。
教会の祭壇に備えられている、儀式用の燭台に、同じく、讃美歌時に使用するオルガンへ埃よけに被せているリネンのカバーと、調理場のスパイス置き場にあった、フレッシュハーブを数種類グラスに活け、最高にロマンチックなディナーの条件をつくりだしたと、悦に浸っているカイルは、なぜだか、ナタリーの為に用意したという、クローゼットとベッドしかない質素な部屋から出て行こうとしなかった。
「しかし、まあ、ロマンチックもなにも、祈りの場所の備品を失敬するとは、なんて、罰当たりな、司祭様なんでしょう」
差し出されている、ワインを、飲みながら、ナタリーは、呆れ返っていた。
そして、こいつは、いつ、部屋から出て行くのだろうかと、待っている。
明日は早いはずだ。のらりくらりと、話しなどしている場合ではない。
荷物をまとめて、と、本来行うべき作業は、逃亡のごたごだのせいで、着の身着のまま、ついでに、丸腰という最悪の状況の為、行わなくても良い。
どこかで、一通り準備しなくては、と、ナタリーは思いを巡らせていた。
ロザリーから、提供された雑誌には、これから出会わなければならない人物の、ゴシップ記事が掲載されたページに、列車のチケットが、一枚、挟まっているのみだった。
それだけ、で、どうやって、小国とは言え、社交界へ乗り込めというのだろう。
そして、この、男。
どこまで、ナタリーに、くっついて来るつもりなのか。
用意されているチケットは、一枚。
と、いうことは、カイルは、こちらの手の者ではない、もしくは、ここまで、の、人間ということになる。
しかし、まあ、ペラペラと、任務地である、王国の歴史やら、地理やら、一人で喋って、うるさいこと。
社交界では、やっぱり、恋人通しで、行くべきだとかなんとか、持論を述べてもくれ、なんで、最後まで、一緒にいなきゃいけないのかと、ナタリーが、抗議しようとしたその時、ふと、軽い目眩に襲われた。
いや、これは……。
「カイル!あなた!」
「あー、ごめん、ごめん、ワインが、少し強かったようだねぇー、もう、飲まない方が良いよ」
と、言って、カイルは、浮遊感に耐えられなくなり、ぐらりと崩れるナタリーを抱きかかると、手から、グラスを抜き取った。
「……あなた、やっぱり……」
「いや、やっぱり、って、そんな……」
カイルが、何か言い訳を言っているような気がするが、ナタリーの意識は、段々と、ぼやけていき、そして、朦朧としていくのみ。
(ワインに何か、仕込みやがって、この、男。 大バカ者は、あいつじゃなくて、私だったわ!!あー!もおー!!!)
己の失態に気が付いたと同時に、ナタリーの意識は、プツリと途絶えた。
──そして……。
彼方では、耳触りな外国語が流れ……、ゆらゆらとした、嫌な揺れのお陰か、ナタリーは、目を覚ました。
まだ、頭が、朦朧としている。
何事かが、起こっているのだろうが、それ、を、考える力が出ない。
薄暗く、何処にいるのか、いや、自分がどうなっているのかも、わからない。
床に横になっているようではある。
体を、起こそうと、動いてみれば、自由にならず。どうやら、手足は、縛られている。
ただ、痛みはない。かなり、気を使って、ほどほどの力加減にしてくれているようだが、それなら、最初から、縛らずに、鍵のかかる部屋にでも、閉じ込めておけば良いだろうに。
とにかく、何がしたいのか知らないけれど、あの男がやったのは、確か。
「ちょっと!カイル!出て来なさい!」
ナタリーは、怒りから叫んでいた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!