——昔々。 とある世界の片隅に、人間達に『名も無き森』と呼ばれる広大な地域が、この大陸の北方に存在した。未開拓であるその森の奥深くには数多の魔物が有象無象に暮らしていて、法も秩序もなく、その場その場の勢いだけで目的もなくただ生きていた。そんな中に突然現れた指導者が一人。魔物達は自分達に比べて博識な青年をたいそう気に入り、“彼”の全てを受け入れ、自分達の王として祭り上げたそうだ。
“彼”の指示を元に城を造り、守りを固め、様々なダンジョンを仲間と協力して組んでいく。いつか確実に迎えるであろう『勇者からもたらされる魔族達の終わりの日』を、誇りを持って挑める様にと——
吹き抜けになっている広々とした豪奢な室内に美しい金細工の施された王座が一脚置かれている。此処はいわゆる『王座の間』と一般的に呼ばれる類の部屋だ。最奥の少し高い位置にその椅子は存在し、足元には赤い絨毯が敷かれ、壁には素晴らしい装飾が施されていて、いかにも煌びやかで豪華絢爛な雰囲気に溢れている。天井には蝋燭を使った巨大なシャンデリアがあり、「……オペラ座かよ。じゃあ俺はファントムか?あぁ……いいな、それはそれで」と、今や妄想くらいしか楽しむモノが無い俺はぼそりと呟いた。
「何か仰いましたか?魔王様」
俺の従者の一人であるキーラが不思議そうな顔をしながら、廊下に続く扉の方からこちらに近づいて来る。手には大量の巻物を抱えており、どうやら俺に、今日の分の定時報告をするつもりでいるみたいだ。
説明するのも面倒で、俺は「いいや、何も」と、羊を擬人化でもしたかの様な容姿をしたキーラの疑問を短く適当にあしらった。
「さてと……お前が来たってことは、定時報告だよな?早速教えてくれないか」
「はい!では、ご報告させて頂きます。まずはですねぇ……」と言い、腕に抱える巻物の一つをキーラが器用に開く。
「一番の功績からに致しましょう。人間達の王都付近の村の教会に召喚された新たな勇者の卵を、ケイト様が退治したそうです」
明るい声でされた報告に対して、俺は「またかよ!」と、衝動を我慢出来ずにすかさずツッコミを入れてしまった。
「え……いけませんでしたか?」
おろおろと慌てるキーラに対して「いや……まぁ……わかった」と渋々答える。 『余計な事をするな』とは、とてもじゃないが言えない。たとえ個人的には『レベル1の勇者の卵を、魔王の右腕クラスである竜人族が直接手を下すとか、ルール違反だろうが!』とは内心思っても、好意と忠誠心からの行動を止める事など、今回も、俺には出来なかった。
「あー……えっと、コレで何人目だ?異世界から召喚されてきた勇者を、間髪入れずに発見後、即座に撃退したのは」
王座の肘置きに頬杖をつき、気怠げな雰囲気を纏いながら説明調になりつつ訊く。自分からした質問ながら、答えを聞くのが正直怖い。
「えっとですね、一、二……あぁ、今回で百八十三人目になりますね。流石はケイト様ですぅ。ムカつくくらい、魔王様への愛に溢れたお方ですね!」
ずるっと手から顔が滑り落ちそうになったが、何とか耐える。
(流石に多過ぎだろう! 部下から好かれるのは嬉しいが、いいのか?これで)
「さてと、次の報告です。シュマリ地方にて発見した古代遺跡のダンジョンの攻略が最下層付近まで進みました。出来るだけ敵はそのままに、でも宝箱の中身はそうなめにしたので、もし現在取り逃した勇者が密かにいて、いずれ攻略の為にあのダンジョンへ入って来たとしても何も手に入らない状態にしておきました。回復系の薬品は商店の方に回し、武器や装備品は軍に配布、宝石などの類は職人に渡し、残りは全て魔王様の宝物庫にて保管してあります」
(そいつは金銭的にも装備面でも大赤字になって勇者様御一行は相当困りそうだな!)
ツッコミは口にせず、心の中に留める。
かなり地味な嫌がらせだが効果は抜群そうだ。しかも自軍の強化はちゃっかり済ます辺り、有能過ぎだろウチの部下達は。
「次はですねぇ、各所の森の入り口付近の配備も強化しましたので、低レベルの魔物達で経験を積む様な真似も出来ないようにしておきました。なので、また新たな勇者の卵が召喚され、我等の手から逃げる事が万が一あったとしても、魔王様に辿り着くなど到底無理でしょう」
「……そ、そうか」
「人間共にも、新たな勇者にも、絶対に魔王様には手出しをさせる気は無いのでご安心を!」
「……」
拳をぐっと握ってキーラが力強く宣言するが、その言葉を嬉しいと思うよりも、沈黙のまま遠い目をしてしまう。
彼らと出会ったばかりだった昔と違って、部下達が目覚ましい成長を遂げた最近では、俺が直接何かをする事はほとんど無い。ただただ部下達の報告を聞くだけの日々は正直つまらない。だがしかし、魔王としての存在意義を失い、城の中に引き篭もった状態が続く俺の心境など、全く配慮してはくれないみたいだ。
「……あ、あの!魔王様ぁ」
「ん?」
「ほ、褒めて……頂けますか?」
巻物の束を抱きしめ、キーラが顔を真っ赤にして俯いている。
これはきっと、『お前達は偉いな』と頭を撫でて欲しいのだなと察した俺は「あぁ、そうだな。いいぞ」と答えてやった。
「あ、あ、ありがとうございますぅ!」
嬉しそうに笑い、小柄なキーラが俺の足元に跪く。
彼がとても高揚しているのが顔を見なくても感じ取れて、いじらしい奴だなと思った。
「よくやったな。でも……その、程々にな?やり過ぎはよくないから」
(じゃないと、俺のやる事が何も無いままになるからな!)
羊型の魔物なだけあって、何とも言えぬふかふかとした触り心地の頭を優しく撫でてやる。部下達の好意も行為も無碍には出来ず、めちゃくちゃ遠回しに言ってみたが……絶対に真意は伝わらないだろう。
「ありがとぉございますぅぅぅ!」
喜び過ぎてキーラの全身からハートマークが飛び散っている様に見える。何故だかこれ以上撫でるのはマズイ気がして、俺はパッと彼の頭から手を離した。
「もう下がっていいぞ。さて……俺は部屋に戻るから、他に何かあったらそれらは明日で頼む」
「わかりました!ごゆっくりお休み下さい」
跪いたまま、キーラが俺に向かい頭を下げる。
王座から立ち上がり、黒い服の裾を翻して彼の横を通りすぎ、靴音を鳴らしながら段差を降りて行く。その間もキーラは律儀に頭を下げたままで、昔みたいな気易い関係が懐かしく思えた。
……仕事が無い。とにかく、暇だ。
己の存在意義も見い出せない。
魔物達が暮らす街の整備が終わり、城で勇者御一行を迎え撃つ準備も全て整い、『魔王』である今の俺はもう、勇者と最後に戦う為の存在としてしか価値が無い。なのに、その勇者が現れてくれる気配が微塵も無いというのに、自分が此処に居る必用なんかあるんだろうか?
だけど、部下達が優秀である事は喜ばしい。
彼等から愛されている実感もある。
でもな、今の俺の状態って、『ヤンデレな魔物達に監禁されている』と言えるんじゃないか?
王座の間を、出口を目指しながら一歩一歩進むたびにそんな事ばかりを考えてしまう。
最後の発想は部下からの過剰な愛情から勝手に抱いてしまう妄想でしかないとしても、自分の価値を見出せない気持ちが心を苦しめる。
(もう、部屋に帰って寝よう。でもその前に昨日の本の続きでも読むか?)
そんな事を考えている時。急に自分の足元に、両手で目元を覆いたくなる程の光源が現れ、パァと激しく光りだした。かなり眩しいながらも光源の塊自体は小さい。だが、ほんの数秒程度でそれは一気に巨大化し、今ではもう全身を覆う程のものになった。
(これは——召喚陣か!)
「魔王様⁉︎そ、それは一体っ」
「知るか!俺が訊きたいくらいだ!」
キーラが異変に気が付き、慌てて走ろうとした。——が、数歩動いた辺りで急に体が硬直したのかピクリとも動かなくなった。多分、召喚を邪魔させぬ為に連携して発生した拘束魔法のせいだろう。
「んなっ!足が、う、動かなっ、敵襲か⁉︎魔王様!ご無事ですか?」
「……何故だ?何故、今このタイミングでコレが現れるんだ……」
小声で呟いたせいか、召喚陣から巻き起こる風の音で自分の声が掻き消されてしまう。
「魔王様!魔王様ぁぁ!」
必死に俺を呼ぶ大きな声まで風の音でかすれて聴こえる。
「キーラ……」
体が動かせなくなり、焦り、困っているキーラに向かい、軽く腕を上げて手を伸ばす。
かなり距離があるので腕を伸ばそうが届くわけが無い。無いのだが、今ならまだ、この程度の召喚陣ならば逃げ出す事が出来そうだ。出来そうなのだが……『コレ。どう見たって、召喚士の使う契約魔法陣、だよな』と、頭によぎった考えのせいで逃げ出す気が薄れていく。
「魔王様!今お助けいたしますから——……まお……魔……さ」
聴こえる言葉に失望しつつ、自分の体が別の場所に召喚対象として引っ張られていくのを感じる。それなのに、俺はろくな抵抗もせず、体が全て召喚陣に呑み込まれていくのをそのまま受け入れた。
(こんな瞬間でも、俺を『リアン』とは……もう、呼んでくれないのだな——)
すっかり『俺』という存在の全てが城内から消えていくギリギリの瞬間まで、この先の心配なんかよりも、その事実の方がずっと心の中で重くのしかかってきた。
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