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校門を出たのに、
翠は家とは逆の方向に歩いていた。
気づいたときには、
もう理由なんて残ってなかった。
——帰れない。
それだけ。
駅前でもない。
公園でもない。
人通りの少ない、建物と建物の間。
夕方なのに、
日が当たらない場所。
翠は、
そこで立ち止まった。
鞄が、やけに重い。
肩に食い込む感覚が、
痛いのかどうかも、もう分からない。
「……あれ」
自分の声が、
少し遅れて聞こえる。
何しに、ここに来たんだっけ。
帰る途中だったはず。
学校、終わって……
それで……
そこから先が、
抜け落ちている。
壁に背中を預ける。
ひんやりして、
それが少しだけ気持ちいい。
膝が、勝手に曲がりそうになるのを、
必死でこらえる。
——立ってなきゃ。
理由はない。
ただ、
座ったら終わりな気がした。
ポケットの中で、スマホが震えた。
通知。
でも、
画面を見る勇気が出ない。
“確認しなきゃ”
“管理しなきゃ”
頭では分かってるのに、
指が、動かない。
「……俺」
声に出した瞬間、
喉が詰まる。
続きが、出てこない。
家に帰ったら、
また赫が心配されてる。
それは、
正しい。
でも、
その正しさの中に、
自分の居場所がない気がして。
「……いいな」
また、
小さく零れる。
誰もいないのに、
急に恥ずかしくなって、
口を押さえる。
視界が、
少しだけ、ゆらぐ。
あれ。
さっきより、暗くない?
空はまだ明るいのに。
呼吸が、
浅い。
一歩、
前に出そうとして、
足が、言うことを聞かない。
「……あ」
壁に手をつく。
力が入らず、
ずるっと滑る。
倒れはしない。
でも、
立ってるとも言えない。
ただ、
そこにいるだけ。
時間の感覚が、
薄れていく。
何分?
何十分?
分からない。
頭の中に浮かぶのは、
赫の顔。
黄の声。
瑞の笑い方。
桃と茈の背中。
——守らなきゃ。
その思考だけが、
細い糸みたいに残ってる。
でも、
自分自身の輪郭は、
もう、ぼやけていた。
翠は、
誰にも見つからない場所で、
ただ立ち尽くしていた。
帰る場所があるのに、
帰れないまま。
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