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さらに翌日、俺と有田さんは早速敵陣に乗り込んだ。
TOWA銀行は元々は地方銀行であったが、同じく地方銀行と合併や提携を繰り返して生き残ってきた複合体で、数年前に内部抗争がマスコミで取りざたされ、業績不振に陥っていた。
「体ばかり大きくなってしまって、コントロール出来ていないのが実際のところでしょう」
有田さんがTOWA銀行への道すがら、言った。
「ですが、若い副頭取が就任してからは、積極的な支店の閉鎖や人員削減で、規模は縮小されてきていますが業績は一定を維持できていますよね」
やり手の副頭取は日本人とアメリカ人のハーフで、年は和泉兄さんと同じくらいのはずだ。ウォール街での実績を買われ、TOWA銀行が破格の待遇で引き抜いたと聞いた。
「とりあえず、でしょうけどね」
「ただ、和泉社長の謹慎を嗅ぎつけた早さといい、他の提携企業への密告といい、我が社主導のプロジェクトに反感を持っているようですから、迂闊なことは出来ませんね」
俺はネクタイをきつめに締め直した。
緊張を隠せない俺と有田さんに、TOWA銀行の若き副頭取は笑顔で、驚くべき提案をした。
「私はこのプロジェクトを成功させたいと思っています」
……どういうことだ?
「ですが、統括である御社の社長が謹慎処分と聞けば、我々も策を講じなければならない。我々は生き残るためにノアの箱舟のチケットを購入したのであって、無料だと言われてもタイタニックに乗るつもりはない」
言ってくれるぜ……。
「同感です。ですが、ノアの箱舟といえども船長不在では難破船になりかねないのでは?」
俺は精いっぱいの虚勢を張って言った。
和泉兄さんが手を焼いた相手に、俺が太刀打ち出来るとは思っていない。和泉兄さんが復職するまで時間を稼げればいい。
「ごもっともです。では、船長がお戻りになるまで船長代理を立てませんか?」
俺も有田さんも、目の前のTOWA銀行副頭取が、自分が船長代理になると言うと思った。ところが、この男は意外な方向に舵をきった。
「城井坂マネジメントをプロジェクトに参加させてください」
「城井坂……?」
城井坂マネジメントは関西を拠点とする投資信託会社だ。
どうしてここで関西の投資信託会社の名前が出てくる……?
「プロジェクトの初期段階で城井坂マネジメントも提携企業候補として名前が挙がっていました。和泉社長のお気に召さなかったようで、途中で候補から外されてしまいましたが、当方としては心強い船長代理として推薦させてもらいます。城井坂マネジメントが参加されるのであれば、我々提携会社は和泉社長とのお約束通り、来週には正式契約を結びます」
「御社の考えはわかりました。ですが、二つ返事で了承できる問題ではありませんので、社に持ち帰らせていただきます」と、有田さんが言った。
「どうぞ。良い返事をお待ちしています」
ブラウンの髪をかき上げて、TOWA銀行副頭取が微笑んだ。
*****
「城井坂マネジメント?」
副社長も驚きの声を上げた。
「はい。そこをプロジェクトに参加させるなら、予定通り正式契約を結ぶと……」
有田さんは冷静だった。
フィナンシャルに戻るなり、有田さんは副社長へのアポイントを取り、部下に城井坂マネジメントについての資料を集めさせた。一時間ほどで集められた資料はわずかなものだった。
俺は一時間迷って、侑に電話した。呼び出し音が鳴る前に、留守番電話センターに切り替わった。
「侑、頼みがある。城井坂マネジメントについての資料を集めて欲しい。どんなに小さなことでもいい。夜、また連絡する」
副社長室に入ると同時に、内ポケットに入れたスマホが遠慮がちに震えた。
『了解』
侑からのメッセージだった。
「和泉兄さんが提携候補から外したのなら、うちにとっては好ましくない相手だということでしょう。まずはその理由を探ります。城井坂マネジメントとTOWA銀行の関係も」
突然、副社長のデスクの電話が鳴った。秘書の若木さんが受話器を取った。
「副社長室です」
黙って相手の要件を聞き、「このまま待ってください」と言って若木さんは保留ボタンを押した。
「副社長、観光の内藤社長がお見えだそうです」
広正伯父さんが……?
「こんな時に……。通してくれ」
副社長がため息をついた。
「お通ししてください」と、若木さんが電話の相手に伝え、受話器を置く。
俺と有田さんは資料をまとめて副社長室を出ようとした。
「副社長補佐は残ってください。内藤社長がお会いになりたいそうです」
「そう……ですか……」
有田さんが出て五秒ほどで広正伯父さんがドアを開けた。
「突然お邪魔して申し訳ない」と伯父さんが笑顔で言った。
「いいえ、構いませんよ」と慎治おじさんも笑う。
「蒼くんも、忙しい時にすまないね」
「気になさらないでください」
広正伯父さんが当然のように、応接用のソファの上座に座った。慎治おじさんは俺と向かい合って腰を下ろした。
いつの間に手配したのか、秘書室の女性がお茶を運んできた。
「それで、今日はどういったご用件です?」
慎治おじさんが聞いた。
広正伯父さんは返事を焦らすように、ゆっくりと湯飲みを手に取った。
「君たちの力になりたいと思ってね」
「どういう意味でしょう?」
「城井坂マネジメントを紹介してあげましょう」
は……っ?
どうして、広正伯父さんが城井坂マネジメントを……?
俺と慎治おじさんが驚く様を、広正伯父さんは楽しんでいるようだった。
「実はね、城井坂家は私の妹の嫁ぎ先なんですよ」
広正伯父さんは得意気に続けた。
「現社長は妹の旦那で、私の義弟になるんですが、以前から和泉社長が進めていたプロジェクトについては相談を受けていたんですよ」
嫌な予感がする……。
俺が広正伯父さんにいい印象を持っていないからだろうか……?
「和泉社長のお目に適わず、提携企業からは外されてしまったが、和泉社長が謹慎処分となって城井坂マネジメントに白羽の矢が立った。私は仲介役を頼まれましてね」
「そうでしたか……」とだけ、慎治おじさんが呟いた。
慎治おじさんも思っているに違いない。
いくら何でも都合が良過ぎる。
そして、早過ぎる。
「どうでしょう? 私がT&Nフィナンシャルと城井坂マネジメントが手を組むお手伝いをさせていただきますよ」
「それは……、城井坂マネジメント側もT&Nとの提携を望んでいるということですか?」
俺が聞くと、広正伯父さんが嬉しそうに言った。
「もちろんだよ。城井坂家は築島家との良好な関係を望んでいるんだ」
『城井坂家と築島家』という表現が気にかかった。
広正伯父さんは自己顕示欲の強い人だ。部下の功績を横取りし、父さんに取り入って、伯母さんと結婚したと聞いたことがある。
「ただ、城井坂マネジメントがT&Nフィナンシャルに代わってプロジェクトを統括するに当たって条件がある」
T&Nフィナンシャルに代わってプロジャクトを統括……?
何を言っているんだ。
「蒼くんには妹の娘、私の姪をもらってもらいたい」
「は——?」
耳を疑った。
姪をもらって……って……。
俺に広正伯父さんの姪と結婚しろと——?
「内藤社長、お話が性急すぎませんか」
動揺する俺に、慎治おじさんが助け舟を出してくれた。
「我々が城井坂マネジメントがプロジェクトに関係していると知ったのはつい数時間前のことです。突然、城井坂マネジメントとの提携や内藤社長の姪御さんと蒼を結婚させるなど仰られても、返答のしようがありません」
「そうだな。蒼くんほどのイケメンだ。女性を整理する時間が必要だろう。私も今日この場で返事をもらえるとは思っていないよ」と言って、広正伯父さんが立ち上がった。
「今日は城井坂家の意向を伝えに来たまでだ。あまり時間はないが、じっくり考えてくれ」
俺と慎治おじさんも立ち上がり、広正伯父さんを見送ろうとした。
「ああ。蒼くん、車まで送ってもらえるかな」
俺は広正伯父さんと副社長室を出た。
何を言われるのか、俺は身構えた。
「君なら、賢い選択をしてくれると思っているよ」
エレベーターの中で、広正伯父さんは言った。
君なら……?
「本当は充くんに姪をもらって欲しかったんだ。彼は私にとって息子同然だからね。だが、彼には決まった女性がいてね……」
充兄さん……、彼女のことを話したのか?
「社内でも仲の良さを見せつけられてしまって、諦めたんだよ」
社内でも……って、充兄さんの彼女は社員だったのか?
「君も複雑だろうね。元部下が兄の恋人とは……」
「はいっ?」
俺の元部下……?
「まさか知らないのか? 庶務課で君の部下だった……何といったかな……」
まさか……。
俺は疑いを払拭するために、彼女の名前を口にした。
「成瀬……」
「そうだ、成瀬くんだよ」
まさか……、そんなはずは……。
「本社の庶務課を辞めてうちにきた途端、充くんの秘書に抜擢されてね。社内では充くんが恋人可愛さに秘書にしたとの噂で持ち切りだよ」
咲が……充兄さんの秘書?
「まぁ、姪の年齢を考えれば君の方が似合いだし——」
それ以上、広正伯父さんの姪自慢は俺の耳には届かなかった。