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「え?じゃないよ。もしそうなれば最後、俺は社内中の笑い者になる。変人扱いされて信頼も評価も地に落ちる。それすなわち社が混乱におちいるってことだ。これがどういう意味か、おわかりだよね?」
きょとんとしているわたしに、課長は体面を取り戻したのをよろこぶように、口端を上げた。
「だって、我が社の未来は俺を中心としたソフトウェア部門にかかっている。もしそれが行き詰って業績不振になるようなことになれば…真っ先に切られるのは、キミのようなダメ社員だよ」
ひさしぶりに来た、トゲのある言葉。
だけれど、的は得ている。
たしかに今課長のカリスマ性を失うことは、致命的に等しい。
この秘密はなんとしてでも他の社員には漏らさないようにしなければならない。
けど。
「じゃあ…どうしてわたしにこんな重大な秘密を教えたんですか?」
「…」
「わたしは、課長が会社にいたのは海外生活の影響だって信じきっていたのに。なのにあえて真実を教えて『他人に漏らすな』だなんて…そんなの」
「…勝手?」
そう、勝手です。
無理やり部屋に連れてきて、自分の正体を明かして…。
まるで、わざと巻き込むかのように…。
「しかたないだろ」
床に視線を落としたわたしの頬に、不意に課長が手がふれた。
膝をついてのぞきこんでくるキャラメル色の瞳が、甘く細まって…長い指が、わたしの唇をそっと撫でた。
「気になっちゃったからだよ。キミの…」
…え…?
「キミの……お料理の味が、ね」
…!!
「昨晩お願いしただろ?作りたてほやほやのキミの手料理が食べたいって。ここでならできるよね、料理」
「あ、あれはだから冗談だと…。課長のお口に合うものなんて」
「昨日のおにぎりおいしかったよ。ああいう風でいいんだけどな」
「で、でも」
「俺はキミの残業を手伝ってあげたんだよ?わかってるのかな。一介の事務職員の仕事を二回もやってあげたんだよ、この俺が。
その代償が、おにぎり一個で足りると思う?」
…なんてイジワルな笑み。
うう…でも言うことも否定できない…。
料理を作るだけ…一回作るだけで、免じてもらえるんだよね…。
「わ、かりました…。ほんとに家庭料理ですよ?普段はお洒落なお店でお洒落なカタカナ名の料理を食べているんでしょうけど、わたしはそんなの作れませんからね」
「うんいいよ。どうせ大した食材も入っていないし。キッチン、好きに使って」
もしかして、わたし課長に試されているんだろうか。
実はこの一品にわたしのクビがかかっているとか?そんなぁ。
ちらと見ると「早く早く」って言わんばかりの課長の微笑。
う…そんなキラキラ王子様スマイルされたら、よけいにプレッシャーが…。
でも…気づいてきたけれど、この人ってキラキラ王子様じゃなくて腹黒王子ってやつなんじゃないの?
まぁいい。
お料理は得意だし…いつも通りにやればいいんだ。
気を取り直して、キッチンに向かった。
大きな冷蔵庫を開けさせてもらうと…
卵が…ある。
ハムもある。
ピーマンや玉ねぎもあるぞ。
あ、冷ごはんも…
意外にそろってるな。
レトルトばっかり入ってそうな想像してたけれど、冷ごはんなんか、昨日炊いたやつみたいだ。
お米ぐらい炊くよね。こんな定番材料だっておどろくものじゃない。
でも。
もしかして、作りに来てくれる人がいるのかな。
チク、と微かに胸が痛んだ。
…なにショック受けてるんだろわたし。
課長ほどの人なら、多少変わった生活をしていたってほっとく女の人はいないだろう。
こうして食材を調達して料理を作ってくれる人も何人かいるのかもしれない。
じゃあ…作った料理、密かに比較されちゃうのかな。なんだかやるせない。
「ふぅ」
考えてもしょうがない。
料理を作らなきゃ今夜は帰してもらえなさそうだし、ちゃっちゃとやっちゃいましょう。
一呼吸おいて、腕まくりをした。
※
「できました」
奮戦時間わずか十五分。
優雅に座って膝に乗せたノートパソコンをながめていた課長の前に、皿を置いた。
「早いね。どれどれ、なにを作ってくれたのかな」
「見ればわかりますよね。オムライスです」
「オムライス…」
うう…微妙な反応。
やっぱり気に入らなかった?お子様メニューは、やっぱり不味かった?
だって、これくらいしか思いつかなかったんだもん。あれだけの食材で、いったいどれだけ洒落た料理を作れと言うのですか。わたしは腕のいい料理人でもアイディア主婦でもないんですよ。
「やった。大好物なんだけど」
けど課長はにっこり。
しかも、初めて見るかもってくらい、満面の笑顔。
課長は早速ひとくち頬張った。
「…うん美味い。やっぱキミ、料理上手だね」
そして褒めてくれた。
「あ、ありがとうございます」
うそ。こんなので良かったんだ…。
こっちが照れるくらいのよろこびように、わたしは正直おどろいていた。
なんか、イメージがどんどん変わっていくな。
おにぎりも美味しいって言ってくれたし、見た目とちがって素朴嗜好なのかもしれない。
「うん美味しかった。ごちそうさま」
「おそまつさまでした…」
「また作ってね」
さらりと言われた言葉に、どきと胸が鳴る。
けど、絆されたくはなかった。
「じゃ、これで精算できましたよね?」
「なにが?」
「なにが、って…。課長がわたしの仕事を手伝ってくださった代償ってやつです」
「あー…」
あー…って、もしかして忘れてた?
「いやいやまだだよ。そうあせらないでよ。もうちょっと俺に付き合って?」
「…」
「とりあえず座りなよ。お酒は飲める?」
「…はいまぁ」
「そ。じゃ、今度は俺がキミにご馳走しようかな」
そう言ってYシャツの袖をまくると、今度は課長がキッチンに行った。
シェイカーやグラスを出して、キッチンカウンターにたくさん並んでいる中から慣れた様子でお酒を選んで、シェイカーの中にそそいでいく。
シャカシャカシャカ…
そしてシェイクする姿はもう、バーテンそのもの。
すこしネクタイを寛げたYシャツ姿が、罪なくらいカッコいい…。