「ねえ、エステル。これ、もうちょっとで出てきそうじゃない?」
「あら、本当ね! 明日には顔を出してくれそうだわ」
ジョウロを片手に畑で水遣りをしていたミラとエステルが嬉しそうにはしゃぐ。
先日、種をまいた土から薄っすらと芽のようなものが見えたのだ。
「本当だったらわたしの聖女の力で一斉に芽吹かせることもできたのになぁ」
「聖女」というには微妙な力だし、なんの未練もなくアルファルドに封じてもらったが、こうして畑仕事をしていると、植物を育てるあの力が恋しくなってくる。
一瞬だけ力を使えたらいいのになどと考えていると、「エステル」と背後から名前を呼ばれて、エステルはびくりと振り返った。
「ア、アルファルド様……! 今のは別に愚痴を言っていたわけではなくて、アルファルド様に力を封じていただいたことは感謝していますし、それとは別で早く野菜が育つといいなと思っただけでして……!」
焦って一人でぺらぺらと言い訳をしていると、アルファルドが首を傾げた。
「何のことだか分からないが、私は少し外を見回ってくる。エステルとミラは決して結界から出ないように」
「え……は、はい」
文句を言うなと咎められるわけではなかったことに安心したが、アルファルドの表情は険しい。 結界から出ないようにという言葉も、真剣みを帯びていた。
「あの、もしかして、森で何かあったのですか?」
「……ああ、少し騒がしい。何もなければいいが、念のため様子を見てくる」
そう言って、アルファルドは結界の向こうへと消えていった。
「騒がしいって、わたしは全然気づかなかったけど……」
耳を澄ましてみても、騒がしい音など何もせず、風に揺れる梢の音や、小鳥のさえずりくらいしか聞こえない。
いつもどおり平和なように思えるが、何か異変が起こっているのだろうか。
少しだけ不安を感じて腕をさすると、そんなエステルを安心させるようにミラが微笑んだ。
「アルファルドは魔力があるから、それで気付いたのかも。何かあっても結界から出なければ大丈夫だよ。ほら、ほかの種にもお水をあげよう?」
「……そうね。水遣りの続きをしましょうか」
アルファルドもきっとすぐに戻ってくるだろう。
そう思って心を落ち着けたエステルだったが、アルファルドが戻ってきたのは、それから三十分ほど経ったあとだった。
◇◇◇
「森に王城の騎士たちが……?」
戻ってきたアルファルドの話を聞いたエステルは、手に持っていたジョウロを取り落とした。
ミラが心配そうな顔でエステルを見上げる。
「騎士たちは何をしていたのですか……?」
エステルが震える声で尋ねる。
答えはすでに分かっているが、それでもどうか違っていてほしいという思いを込めて。
しかし、アルファルドの返事はやはりエステルの予想どおりだった。
「君を探しているようだった」
「そうですか……」
エステルが両手をぎゅっと握りしめる。
もう追っ手がせまってきてしまった。
せっかく今まで平穏に過ごしていたのに。
聖女の力も封じたから、これからはあの人に見つかることもなく、自由に生きていけると思ったのに。
エステルが力なく笑う。
「お騒がせして申し訳ありません。わたしはこれ以上、ここにはいないほうがいいかもしれません」
「エステル!? だめだよ! そんなこと言わないで……!」
「でも、わたしが一緒だと迷惑をかけてしまうかもしれないから……」
自分のせいでミラが危険な目に遭ったらと思うと耐えられないし、アルファルドだって面倒ごとなく静かに暮らしたいはずだ。
折を見てここを出ていくのが一番いいだろう。
今度は見つかりにくいよう、もっと王都から離れた場所へ逃げよう。
「アルファルド様、すみません。タダ働きの約束を破ってしまうことになりますが、依頼料の不足分はいつか必ずお返ししますので──」
「だめだ」
「え……?」
アルファルドの声にさえぎられ、エステルがぱちぱちと目を瞬かせる。
「だめというのは……」
「君が出ていく必要はない。騎士たちはもうここには来ないから心配いらない」
騎士たちはもう来ない?
なぜそう言い切れるのだろうか。
エステルが首を傾げると、アルファルドがややためらいながら補足してくれた。
「……君はここにはいないと、騎士たちに思い込ませた。記憶を改竄して」
「記憶を?」
そういえば、彼は闇魔法使いだった。
闇魔法を使えば、騎士の記憶など簡単に変えてしまえるのだろう。
エステルが少し黙ってしまったのをどう思ったのか、アルファルドが尋ねる。
「──私が怖いか?」
記憶を改竄するなど、普通の人はもちろん、一般的な魔法使いにだってできないことだろう。
そんな強力な魔法を行使できるのだと知ったら、恐怖に感じるのが当然かもしれない。
けれど、どうしてかエステルはアルファルドを怖いとは思わなかった。
「怖くなんてありません。それよりも、わたしのために力を使わせてしまったことが申し訳なくて……」
「別に、私が勝手にしたことだ」
アルファルドの返事にミラも同意する。
「そうだよ! また誰か来てもアルファルドが追い払ってくれるから、エステルはどこにも行かないでずっとここにいて」
エステルの腕に抱きついて必死に訴える。
ほんのついさっき、出ていく覚悟を決めたばかりなのに、ミラにこんな風に言われてしまっては覚悟なんて捨てるしかない。
「分かったわ。ミラを置いていったりしない。ミラの言うとおり、ここが一番安全そうだし……それに本当はわたしも出ていきたくなかったの」
「エステル、よかった……」
ほっとして笑みを漏らすミラの頭をエステルが優しくなでる。
「ちょうど畑仕事も終わったし、おうちに入って遊びましょうか」
「うん、積み木で遊ぼう!」
「いいわね。そうしましょう」
「あ、アルファルドも一緒にするんだよ」
「……分かった」
エステルは落としたジョウロを拾って片づけると、ミラとアルファルドと一緒に家の中へと入っていったのだった。
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