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その日の夜。疲れを感じて早めにベッドに入ったエステルは、すぐに眠りに落ち、過去の夢の中にいた。
エステルは、田舎の小さな村で暮らしていた。
父が病弱だったため、少しでも両親の役に立とうと、幼い頃から一生懸命に家事を手伝っていた。
そんなある日、寂れた村に突然、王都の神官がやって来た。
神官はエステルの家を訪れ、驚く一家の前でにこやかに告げた。
「この子は聖女です」
従者が皮袋を出して、母親に手渡した。
中からジャラリと聞いたこともないような音がする。
「ああ……! これだけあれば夫に薬を買ってやれます」
袋いっぱいの金貨を手にした母親が涙声で喜びの声を漏らす。
「こちらと引き換えに、お嬢さんを神殿へ引き渡していただきたい」
「ええ、エステルは今日から神殿のものです。どうぞお連れください」
母親がエステルの背中を押し、神官に差し出した。
娘など、どうせいずれはどこかへ嫁いでいく身。 ならば今ここで神官に引き渡したところで、家を出る時期が少し早まるだけのこと。
しかも聖女だなんて、この上ない名誉。こんな田舎の冴えない男に嫁ぐより幸せだ。 この子も自分と引き換えに父親が助かると思えば、喜んで務めを果たすだろう。
滔々と語る母親と何も言わない父親は、そうやってエステルを売った。
神殿に連れてこられたあと、エステルは礼儀作法や教養を叩き込まれた。
田舎育ちでマナーも教養も知らずに生きてきたエステルにとっては、辛く厳しい時間だった。
いつだったか、勉強漬けの毎日に耐えられず、仲の良かった神官のハダルに少し八つ当たりしてしまったことがあった。
いくら「聖女」だからとはいえ、なぜこんなにも多くのことを短期間で学ばなければならないのかと。
するとハダルは困ったように眉を下げ、エステルに驚きの事実を告げた。
「聖女様はいずれ王族と婚姻する決まりだからです」
エステルは言葉を失った。
自分が王族と結婚?
こんな田舎生まれの平民が?
聖女だというだけで?
「わたしなんかが、本当に……?」
思わず呟くと、ハダルが申し訳なさそうに返事した。
「ええ、法で定められた決まりですから。本当はもう少し落ち着いてからご説明するつもりだったのですが……。まあ、今お話ししても問題はないでしょう」
「で、でも、わたしは聖女といっても歴代の聖女様と比べると力が弱いし、平民の出身よ。今までの聖女様は貴族出身の方しかいなかったのでしょう? そんなの、結婚相手の方だって落胆してしまうんじゃ……。あ、辞退するのはだめかしら?」
平民出身で力も微妙な聖女なんて、きっと王族にとってはありがた迷惑なお荷物に違いない。
聖女のほうから辞退してくれたらありがたいと思っているのではないか。
エステルはそう考えたが、ハダルは首を横に振った。
「辞退は許されません。それに……第一王子殿下が聖女様との婚姻をご希望です」
「第一王子殿下が?」
ハダルの話によると、王家には今、三人の王子がおり、エステルが平民出身であることから、当初は第三王子との婚姻が計画されていた。
しかし、第一王子がエステルとの婚姻に名乗りを上げ、現在さまざまなことを調整している最中なのだという。
「ですから、聖女様はおそらくこのまま第一王子殿下とご成婚いただくことになると思います」
「そうなんですね……」
結婚という人生の重大事を勝手に決められてしまうというのは、なんだか不思議だ。
しかも相手は王族であるし、やっぱりエステルは厄介者扱いされていた。
(でも、第一王子殿下は、わたしとの結婚を自ら申し出てくれた……)
もしかしたら、弟たちにエステルとの結婚が押しつけられることを嫌い、兄として守ってあげようとしたのかもしれない。
本当は、第一王子もエステルと結婚するのは嫌なのかもしれない。
それでも、自分から手を挙げてくれたことが、エステルは嬉しかった。
「──第一王子殿下のお名前は、なんと仰るんだったっけ……?」
エステルが頬をほのかに染めて尋ねると、ハダルは温かな微笑みを浮かべて教えてくれた。
「レグルス・アルゴル・グラフィアス殿下ですよ。もう少ししたら、お会いになれると思います」
「そう……レグルス殿下……」
エステルは、辛い勉強もあと少しだけ頑張ることにした。
◇◇◇
そして数週間後、基本的なマナーをひととおり身につけたエステルは、王族に挨拶をすることになった。
「お初にお目にかかります。エステル・ガーネットと申します」
「聖女エステル、顔を上げよ」
国王の言葉どおりに顔を上げると、厳めしい顔つきをした国王と、美しい王妃、そして三人の王子が視界に映った。
右端にいるのが、おそらく第三王子のようだが、彼はエステルに一切目を合わせようとしない。その隣にいる第二王子と思われる人物は、逆にエステルを厭わしげに睨んでいた。
そして左端、国王の隣にいる銀髪で長身の男性。彼だけは、エステルに優しい眼差しを送ってくれていた。
(きっとあの方がレグルス殿下だわ……)
エステルが見つめ返すと、銀髪の男性は美しい笑顔を浮かべて声をかけてくれた。
「僕が第一王子のレグルスだ。これからよろしくね、エステル」
「は、はい! こちらこそよろしくお願い申し上げます」
エステルはもう一度深くお辞儀しながら、レグルスの包み込むような優しい声に心が安らぐのを感じた。