「ここって、本当に何を話してもいいんですか?」
少女は最初、少し笑っていた。遠慮がちで、それでいて諦めを含んだような笑いだった。
遥は頷く。
「話したいことだけでいいよ。無理に言葉にしなくても」
少女は一瞬だけ迷って、それから、ぽつりと落とすように言った。
「殺された方が楽だって……毎朝思うんです。誰にも言ってないけど」
「……」
「でも殺してはくれない。そういう時に限って、人って優しい顔するんです」
彼女は机の上に視線を落としたまま、指先で制服の袖口をいじっていた。
「その優しさの裏に、“ほら、まだ頑張れるでしょ”って言葉が透けてて……」
「……わかる」
遥は静かに言った。
少女が顔を上げる。少し驚いたように。
「無責任な優しさって、息が詰まるよな」
「……ええ」
「優しくされてるはずなのに、息ができなくなる。どこにも逃げられなくなる」
遥の声には、どこかそれを“見てきた”重みがあった。
少女は、ふと遠くを見るような目をした。
「家で何があるかは誰も聞かない。学校では私の顔を見たくないって空気を出す。先生たちは、ちょっと目が合うと、すぐ逸らすんです」
「それで、“君には未来がある”って、笑って言うんだよな」
「そう、それです」
少女の口元が、歪んだように笑った。
「誰も助けないくせに、“未来がある”って。そんなのただの宣告ですよね。生きろっていう拷問」
「……俺も、そう思ってた」
遥の声は低く、乾いていた。
少女がまた彼を見た。睨むでもなく、探るでもなく。ただ、同じ深さを見ているようだった。
「ここまで話して、変ですよね。なんか……恥ずかしい」
「変じゃないよ」
遥は即答した。
「むしろ、よく喋ってくれた。……痛いのに、言葉にしてくれて、ありがとう」
「……」
「ここではさ。誰にも強制されないし、誰の期待にも応えなくていい。泣いても、笑っても、黙っても、全部そのままでいいんだ」
「……」
少女の目が、少し揺れた。
「私、もう、感情の出し方がわからなくて。笑うのも、泣くのも、うまくできないんです。どこまでが演技で、どこからが本音なのか……それすら、もうぐちゃぐちゃで」
「それでも、俺には見えてるよ」
遥の声は静かだった。
「君は、ちゃんと生きようとしてる。……笑いながら、必死に耐えてるのがわかる」
「……似てるんですか、私と」
「わからない。けど――」
遥は言葉を探し、それでも目をそらさなかった。
「君の目の奥の色は、俺が見たことのある色だよ」
少女はゆっくりまばたきをして、深く息を吸った。
蛍光灯の音が、またかすかにチリチリと鳴っている。
「このまま、また明日を迎えるのがこわいんです」
「じゃあ、今日はここで、少しだけ止まっていこう」
遥は優しさを装わず、ただ“言葉”として差し出した。
「逃げ場がないなら、ここに逃げればいい。少なくとも俺は、君の顔を見て、目を逸らしたりしない」
少女は、何も言わず、ただ頷いた。
しばらく沈黙が続いたあと、彼女はぼそっと言った。
「遥さんって、そういう名前なんですね」
「うん」
「……なんで知ってる気がしたんだろう」
遥は何も答えず、少女の沈黙に付き添うように、椅子の背にもたれた。
静かな部屋のなか、時間だけが、ゆっくり流れていった。