幾度目かの取材を終えて、ベルッティは焦っていた。
「貴重なお話、ありがとうございました」
「いえいえ、いいんですよ。いいんです。大してお構いもできませんで」
喋っているのはルーニーばかりで、ベルッティはまったく会話に入れていない。
「それでは、失礼します」
「……失礼します」
また、何もせずに取材が終わってしまった。
滑舌を直し、本を読んだことで自分は完璧になったと思っていた。
だが、人前で。
それも初対面の人間とまともに話すことが、ベルッティは初めてだったのだ。
いや、話したことはある。
しかし、それは会話とも言えない一方的な暴言であって、ルーニーのように上品な言葉を出すにはどうしても時間がかかる。
言葉自体は知っているはずなのに、言おうとしても喉の奥でつかえてしまうのだ。
「あまり、手がかりにはなりませんでしたね」
「あ、ああ。そうだな」
土壁でできた二、三階建ての高層住宅が並ぶブロキオン住宅街を歩きながら、ルーニーに話を合わせる。
「正直、新聞の力がここまで強いとは思わなかった。誰に何を聞いても、おれたちが新聞に書いたことばかり話す」
「アーカードさんが言っていた。情報を征する者が世界を征するというのも、冗談じゃないのかもしれないな」
ベルッティの言葉にルーニーが熱く頷く。
故にこの力は正しく使わねばならない、とでも思っていそうだ。
なぜ、ただまっすぐに生きるだけでそんなにうまくいく。
ズルをし、近道をしているはずのおれが、なぜ追いつけない。
才能か?
経験が足りないのか?
それとも、おれが女だからか?
違いを考え出すときりがない。
ルーニーはベルッティにないものをすべて持っているような気がする。
「油を売っている暇はない。まだ、おれたちは何の情報も掴んでいないんだ。このまま帰ったら、役立たずだ」
二人が次の家を訪ねると、出てきたのは壮年の男だった。
「なんだ。ガキが何のようだ」
男の顔には茨の奴隷刻印があり、胸には高価な装飾具が三重にかけられていた。
腕には金の腕輪まで嵌まっている。
およそ、奴隷らしからぬ姿だ。
「印刷所の者です。今日は取材を……」
「インサツ? なんだ、それは。知らんな」
「帰れ」
ベルッティが瞬時に状況を把握し、言葉を紡ぐ。
「お、お騒がせしてすいません。アーカードさんの命でして」
男は驚いたような顔をして言った。
「アーカード様の。そうか、あがっていけ」
家の奥へと進む男の後を追いながら、ルーニーが不思議がる。
「え、何。なんでこうなったの?」
どうやら、何が起こったのかわからないらしい。
ベルッティが小声で説明する。
「あの男は元奴隷だ」
「奴隷でなくなった奴隷。解放奴隷なんだ」
奴隷身分から自由市民となる方法は存在する。
一つ目は金を積むことだ。
自分の値段と同じ額の金を積み、それを主人が受け取った場合。
二つ目は主人自身が奴隷を解放すると宣言すること。
ただ、奴隷を解放する際にはその奴隷の値段の何割かを税として、帝国と教会に納めるきまりになっている。
無差別に奴隷を解放されると、秩序が崩壊するからだ。
あの奴隷らしからぬ装飾品の数々を見れば、成り上がり者の解放奴隷であることはすぐにわかる。
おそらくは主人の下で商才を発揮し、金を積んで自由を得たのだろう。
同じ野望を持つベルッティがそれを見逃すはずがなかった。
もし、この男を奴隷扱いしていたら、ぶん殴られていたところだ。
男は陶器の器に茶を淹れると、これ見よがしに金粉をちらして二人に手渡した。
豪奢なレッド・ウッドツリーフォーク製の安楽椅子に腰掛けて、窓を眺める。
外では奴隷たちが重い荷を運び、背中が曲がっていた。
動きの鈍い奴隷に業を煮やしたのか、主人らしき男が拷問呪文をかけ、奴隷の悲鳴があがる。
罵声が飛び、奴隷が頭を蹴られる。
奴隷は頭を守りながら、謝罪の言葉を繰り返すが、主人には聞こえていないようだ。
……いつもの光景だ。
ほとんどの奴隷は老爺(ろうや)になるほど長くは生きられない。
奴隷身分から解放されたこの男は非常に希有な存在なのだ。
絶対におれも、自由になってやる。
その為に金を、金を稼ぐんだ。
ベルッティの瞳に燃える炎を見て、壮年の男は昔を懐かしむように、自慢話をした。
それは死ぬ気で働けば俺のように豊かな暮らしができるというもので、いわゆる老いた男の恥ずかしい武勇伝だったが、それは男なりのベルッティへのエールだった。
こうすればうまくいくなどという夢物語は存在しない。
それでも、必死にやるしかないのだ。
あとは運だ。それと自分を信じろ。
具体性の欠片もない助言だったが、ベルッティはかつて男が胸に抱いていた炎を分けて貰えたような気がした。
取材はいつも通り。
ルーニーが会話し、ベルッティは聞きに徹していた。
自分には足りない物が多すぎる。
無力さを痛感する時間が、静かに過ぎていく。
それでも、ベルッティの炎は消えなかった。
必ずやこの男のように金を稼ぎ、自由を得てやると思った。
ふと、頭上から物音がする。
ぱらりと、土のようなものが降ってきた。
土で固めた天井を見上げるベルッティの疑問に、男が答える。
「ああ、二階と三階を人に貸しているんだ。いいぞ。家賃収入は黙っていても金になる。まぁ、修繕費もばかにならんがな」
「そんなにお高いのですか?」
「いや、一回一回は大したことないが、しょっちゅう直さねえとならんからな。面倒だが必要な経費だ」
「おかげでまた借り手がついたよ」
「それは、何よりですね」
愛嬌のある笑顔を返すルーニーをよそに、ベルッティは一瞬険しい顔をして「本日はありがとうございました」と言った。「これで、いい記事が書けそうです」と。
これまでの流れでは、別れを切り出すのはルーニーのはずだ。
違和感をおぼえながらも、ベルッティと共に男の家を出る。
妙だ。何かがおかしい。
「ベルッティ。どうしたんだ。いくらなんでもあれじゃ失礼じゃないか」
「うるさい。早く次に行くぞ」
そう急かすと、何か大きな物が崩れる音がした。
ベルッティの舌打ちが響く。
振り返ると、先ほど取材していた男の家が無残にも崩れ落ちていた。
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