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翌日の朝、邦和はいつもと変わらず功基の家にやってきた。
来ないかと思った。『契約』の破棄を伝えるメールは、まだ届いてない。
もとより会話は多い方ではなかったが、今日はいつにも増して少なかった。その理由は、常に話題を作っていた功基の気分が乗らなかった、というより、いつ契約解除を切り出されるのかと怯えていたからなのだが、自分に非があるとわかっていても、気は重くなる一方だった。
功基がやっとの事でまともに息が吸えたのは、変わらず調子の良い笑顔で現れた庸司が、隣に座ってからだった。
「ちょっ、何その顔。喧嘩でもした?」
「……ケンカっつーか、やっちまったというか」
「やっ、ちまったって、え? え!?」
「っせーな。……八つ当たり、しちまったんだよ」
「あ、ああ……なんだ、そういうこと……」
びっくりしたと息をついた庸司を怪訝に見遣ると、ヘラリとした顔を向けられた。いつもならイラッとくる顔だが、何故か妙に安心した。
昼時に周囲を確認し、昨日の出来事を大まかに説明すると、庸司は大きく頭を振った。ヤレヤレといった感じだった。
「ねぇー功基。そこまでいったんなら、告白しちゃえば?」
「こっ……!?」
予想外のアドバイスに、言葉が詰まる。
「で、きるわけねーだろ!?」
「なんで」
「だって、言っちまったら、完全に終わりじゃねーかっ」
「でもさぁ、現状『まだ』言われてないだけで、功基はあのワンコ君が『終わり』を言いにくると思ってるんでしょ?」
「そ、れはそうだけど」
「なら、どっちが先か後かじゃん。言わずに終わるくらいなら、スッキリ終わらせた方がよくない?」
(そう、なのか……?)
もっともらしい庸司の言い分に、功基の気持ちがグラリと揺れた。
確かに、このままただカウントダウンを待つだけならば、いっそこちらからというのも――。
「功基、スマホ鳴ってる」
「っ」
ちょんちょんとポケットを突かれ、慌てて画面をタップした。邦和かもしれない。そんな予感に心臓が騒ぐ。
だが、表示された差出人は知らないアドレスだった。あれ、でもどこかで……と既視感を抱きながら目を滑らせると、タイトル部分に名前が記載されていた。
「っ、昴さんだ」
まさか、昨日の今日で連絡をくれるとは。
功基は邦和に取り上げられてしまったが、昴の方は無事だったのだろう。
「昴? 誰ソレ。なんか聞いたことあるような気もするけど」
「あっと、邦和の働いてるバイト先の、先輩で」
言いながらメッセージを開いて確認すると、昴が今日、宿泊する予定のホテル名が書かれていた。次いでそこには宿泊者限定のアフタヌーンティーがあること。良かったら、講義後に立ち寄らないかというお誘いだった。
その限定アフタヌーンティーの存在は功基も知っていた。だが、そもそも宿泊するのにも気軽に行けるような値段でもないため、いつかと見送っていた場所である。
「なんだって?」
「あ、講義後、一緒にアフタヌーンティーしないかって」
「ふーん? その男って、確かイケメンって言ってた人だっけ?」
「あ? あー、と、たぶん」
「俺より?」
「庸司とはタイプが違うな。どっちかてーと綺麗って感じで……って、なんでそんなコト訊くんだよ」
「いやーだってさ、もし功基がホントに当たって砕けたら、どうなるかわかんないじゃん?」
「は?」
どういう意味だと功基が眉を顰めるも、庸司は変わらぬ笑みを携えたまま功基の頭を撫でた。
「ちゃーんと慰めてあげるから、俺んトコおいでよ?」
言われずとも、こうして常々相談をしているのだから、変わらず庸司には結果を伝えるだろう。
「お、おお……よくわかんねーけど、よろしくな」
「ウンウン、よろしくされてあげる」
「って、何だよ急に改まって……いい加減撫でるのヤメロ」
「えーいいじゃーん。こーやって弱ってる時じゃないと、触らせてくれないし」
「そもそも触る必要ないだろ」
「スキンシップは大事だよー」
軽い調子のやり取りに、功基の心がホッと和んだ。こうした何気ない日常が、今の功基にとって、とてつもなく心地よかった。
だから声をかけられるまで、その存在が近づいて来ていた事に気が付かなかったのだ。
「……功基さん」
不機嫌な低音に、恐る恐る顔を上げる。
緊張に固まる唇を動かす前に、庸司が邦和にニコリと笑んだ。
「功基に何か用?」
笑顔、だが、牽制を多分に含んだ笑みだ。功基には良く分かる。
久しぶりに見たなと頬を引き攣らせていると、邦和は無言のまま庸司から視線を外して功基を見た。
「……店から急遽応援の要請がありました。二時間程ですが、少々帰りが遅くなります」
「あ、ああ……そうか」
(普通に、普通にしねぇと……!)
その焦りがつい、まだ揺れ動いていた予定へと口をつき動かした。
「オレも、ちょっと用事あっから、丁度良かったわ。もしかしたらお前より、遅くなるかも」
「……どちらへ」
昴に気をつけろと言われた、昨日の光景が蘇る。
「そ、れは」
「なにー? 功基って予定はぜーんぶワンコくんに言わないといけないの?」
「っ、庸司」
「まるで『監視』だね。いったいどっちが『飼われて』んのやら」
毒気を隠す事無くニッコリと笑んだ庸司に、邦和が剣呑に双眸を細めた。
どちらも突き刺すような空気を纏っていながら、互いに引く気配はない。
大量の冷や汗をかきながら見守っていると、チラリと流された邦和の視線がぶつかった。反射でビクリと肩が跳ね上がる。そんな功基を見て、仕方なそうにつかれた溜息。功基の心臓がズキリと傷む。
「……仕事上がりにご連絡させて頂きます。功基さんも、お帰りのタイミングでご連絡ください」
「っ、わかった」
「それでは、お気をつけて」
「……おう」
頭を下げた邦和が去っていくのを見送り、その背が校舎の中へ消えた所で功基は項垂れた。
今度こそ、本当に嫌われたかもしれない。それと、まだ心臓が痛い。