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午前十時、瑠衣の手術が始まった。
侑は彼女の病室に備え付けられている椅子に座り、膝の上で手を組んでベッドの上をじっと見つめていた。
彼女の手術が無事に成功するように祈りながらも、彼の頭に駆け巡るのは瑠衣と初めて出会った立川音大での事だ。
師匠と弟子。
それも彼女は響野門下生の中でも特に『落ちこぼれ』で、厳しいレッスンで有名だった彼の指導に、どんなに苛辣な言葉を放たれても悔しそうな表情を見せながらも、四年間食らいついてきた瑠衣。
二人は、それだけの関係で終わるはずだった。
彼自身も、オーストリアへ渡った時、瑠衣とはもう一生会う事がないだろうと思っていたのだから。
彼しかいない病室で、侑の回想はそれだけに止まらない。
四年後の昨年七月、侑が恋人の浮気をきっかけに日本へ帰国したその日の夜、赤坂見附の娼館で『客と娼婦』として瑠衣と再会。
玄関ロビーで娼婦全員が一斉に出迎えた時、一番左端にいた瑠衣を見た瞬間、言葉を失った。
彼女の唇の右側にあるホクロ、大学時代とさほど変わらない外見ではあったが、女の色香を纏わせた容姿、探りを入れた質問に答えた瑠衣の言葉に、『コイツは、かつての弟子、九條瑠衣だ』と確信した侑は、約一ヶ月に渡って毎週通い、今思えば彼女が彼に気付くのを待ち侘びていたのかもしれない。
それでも侑に全く気付かない瑠衣に、侑は『宿題』として、彼女にある言葉を伝え、続きを答えるように鎌を掛けた。
『自分の演奏を追求する事、それは生涯勉強だ。追求する事をやめたら、演奏家として死んだも同然だ』
翌週、再び来館した際、瑠衣がこの言葉を辿々しく答えてくれた時、覚えていてくれた事に不敵な笑みを見せた侑だったが、内心、彼の存在を覚えていてくれた事が嬉しかったものだ。
以降、二人の間で止まっていた時間がゆっくりと動き始め、西新宿のホテルで同伴してからは二人の関係が徐々に加速し、『男と女』として深い関係へと進展していった。
娼館の火災、東新宿の侑の自宅で同居、トランペットレッスンの再開。
侑の小中学校の同級生、葉山怜と、怜の恋人でもありフィアンセの音羽奏との出会いは、瑠衣にとって大きなものだっただろう。
怜がいつか言った言葉が、侑の胸中にこだまする。
『侑が九條さんの全てを受け止められ、彼女を愛しているなら、九條さんに正直な気持ちを打ち明けてもいいんじゃねぇの? 目の前で起こっている奇跡…………逃すのは勿体ねぇよ』
このカップルの影響もあって、侑と瑠衣は恋人同士となった。