勇伸さんの顔は耳まで真っ赤で、いつもは目を合わせて話す人なのに、俯いている。
口調も、おかしなことになっている。
本当に、緊張して、恥ずかしがっているようだ。
それは、繋がれた手から私にも伝染し、互いの手が汗ばむのがわかる。しっかりと握っていなければ、滑って離れてしまいそうだ。
「この先百メートルにホテルがあるようです」
「え?」と顔を上げた勇伸さんと、ようやく目が合った。
私は空いている方の手で彼の背後を指さした。
電柱に、ラブホテルの看板が括られている。
勇伸さんが振り返り、それを見て、もう一度私を見た。
「ちゃんとしたホテルではダメですか?」
「え?」
「ああいう、いかにも、ってところではなくて」
「いい……ですけど……」
そこからは、素早かった。
勇伸さんはタクシーを捕まえ、乗り込むと、目的地はEMPIRE HOTELだと伝えた。
よりにもよって、陸さんのホテル。
せっかく高級なホテルに連れて行ってくれようとしているのに、変えて欲しいとも言えず、陸さんに会いませんようにと願うしかできなかった。
チェックインの時に化粧室に逃げた。たとえ陸さんがいても、見られることはない。
そんなことを考えていたから、手を引かれるままに入った部屋がセミスイートだと知って、驚いた。
スイートと名のつく部屋は、全て桁が増えるはずだ。
「すごい……部屋ですね?」
「気合い、入れすぎですかね?」
「だって……」
「はい?」
部屋を見渡す。
キングサイズのベッドに、五十インチくらいはあるだろう壁かけのテレビ。普通の部屋にはない、アメニティの数々。
プロポーズされるんじゃないかと心配になるような豪華さ。
「キス……だけだったらどうするんですか? 私が、それ以上は嫌だって言ったら、無駄に――」
「――全然、無駄じゃない。その、キス……だけでも……」
勇伸さんはコートを脱ぎ、クローゼットの中に掛けた。とりあえず、私もコートを脱ぐ。
「キスしたさにこんな部屋を用意した男なんて、きっと珍しいですよね?」
「そう……ですね」
「勇太も、こんなことしませんでしたよね?」
勇太?
付き合いだしてから、勇太の名前が出たことがなかったから、その意図がわからなかった。
「しませんでしたね」
「じゃあ、成功だ」
「え?」
少しだけネクタイを緩め、眼鏡を外す仕草が、やけに色っぽく見えて、ドキッとした。それは、きっと、わざとで、勇伸さんは眼鏡をテーブルに置くと、ゆっくりと私に歩み寄った。
「きっと、キスだけでも記憶に残る」
「記憶……?」
「それに、格好つけたかったんだ」
フッ、と微笑むと、勇伸さんは腰を屈め、軽く唇に触れるだけのキスを落とした。
きっと、一秒も触れていない。
「いい年をして、キス一つにあたふたしてるような情けないところを見せちゃったから、せめて場所くらいは格好つけたかったんだ」
本当に、どこまでも正直な男性だ。
今度のキスは長く、気づけば抱き合って、舌を絡め合っていた。
私も、正直であろうと思った。
「龍也以上に、勇伸さんを好きになりたい」
そう言って、私は彼のネクタイを解いた。ワイシャツのボタンに指をかける。
軽蔑されるかもしれない。
他の男を忘れるために利用するんだから。
それでも、誰でもいいわけじゃない。
「無理だって思ったら、言って」
少し乱暴にニットをたくし上げられ、ブラのホックを外される。硬くなった熱を押し付けられ、私は彼の首にしがみついた。
思っていたのと、全然違う。
冷静とか余裕とか、そんなんじゃなくて、夢中とか必死とか、そんな言葉がふさわしい。
「あきらさん……」
耳朶にぬるりとした舌の感触と、熱い吐息。少し痛いくらいに胸を揉みしだかれ、ベッドに倒れ込む。
龍也とは違う、声。
触り方も、流れも、重みも、違う。
当たり前だ。
勇伸さんは龍也じゃない。
龍也は、私の反応を楽しむように、焦らしたり、急に激しくしてみたりした。
勇伸さんは、それどころじゃないようで、服を脱ぐのも中途半端に、私の胸にキスを落とす。
考えちゃダメ……。
勇伸さんに抱かれながら、龍也を思い出すなんて、有り得ない。
「あきらさん……」
龍也とは違う声に、背筋が冷える。
勇伸さんは、私を欲しがってくれてる。
このまま彼に身を任せても、きっと後悔はしないと思う。
だけど――――。
どんどん熱くなる、勇伸さんの身体。
どんどん冷えていく、私の身体。
感じていないわけじゃない。
なのに、疼かない。声も出ない。
自分の身体が、自分の物ではないようだ。
勇伸さんが胸から顔を上げ、私を見下ろした。
気づけば、既にワイドパンツもストッキングも脱がされていた。
彼の手がお腹を撫で、ショーツの中に滑り込む。
「好きだ……」
甘く蕩けるはずのその言葉に、我に返った。
「待っ――!」
私が制止するより先に、勇伸さんが目を見開いた。
それから、素早く瞬きをして、唇を噛んだ。
ショーツから手を引き抜き、首の周りで丸まっているニットを伸ばした。
「すみません。焦って、がっついて……」
勇伸さんがぎこちなく微笑み、私の上から下りて、ベッドの脇に腰かけた。
「なんで謝るんですか……」
勇伸さんの見上げていたまま、天井を見上げて言った。
「謝らなきゃいけないのは私なのに」
「キスだけ……って言ったのに、我慢できなくなったのは俺ですから」
「そんなの――」
「――折角のホテルだから、風呂入って、休もう。これ以上はしないから」
さすがに高級ホテルの高級なベッドは、勇伸さんが腰を上げたくらいでは軋まない。
「どこまで優しいんですか」
「臆病なだけだよ」と、勇伸さんは振り返らずに言った。
「じゃあ、なんで怒らないんですか」
「どうして? きみは正直に気持ちを話してくれた。きみの身体も正直だった。それだけだ」
勇伸さんは、振り返らない。
「風呂、入れてくるよ。帰らないで」
乱れたワイシャツの背中が、バスルームへと消えた。
最低だ――。
少しも濡れなかった。
期待させるだけ期待させて、身体は拒絶した。
頭で、心で龍也を忘れようとしても、身体だけは忘れない。
身体だけが素直に龍也を求めてる。
龍也だけを――。
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