テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「もう遅いから帰りは奥村と一緒に帰るんだぞ」
そう言うと、優奈と奥村から視線を外し雅人はフロア奥の自席へと向かってしまい、そのままパソコンを開き何やら作業を始めてしまう。
再会した頃、いいや、この会社に来たばかりの頃も。朝は優奈の顔を必ず確認してから仕事を始めていたし、帰りにはできるだけ雅人のマンションまで送ってくれるか、帰宅を確認する連絡をくれていたりしたけれど。
(もう、それもなくなっちゃったな)
雅人は本格的に優奈と奥村がうまくまとまればいいと思っているんだろう。
それはただ気持ちを受け入れてもらえないことよりも優奈の心を深く抉りつける。
三人だけのフロアはとても息苦しい。優奈は奥村に質問をしつつ必死で仕事を片付けてしまおうと集中する。
千春に手伝ってもらい、もうほぼ終わっていたのだ。すぐに終わらせてみせる。
と、意気込んだ成果だろうか。
そこから三十分とかからずに「うん、大丈夫問題ないよ」そう言って、奥村からのオッケーが出た。
「終わった……! 高遠さん、データ送ったので確認お願いします。明日の十四時からの会議分です」
優奈は立ち上がり雅人の元へ向かうけれど、すぐに「わかった。奥村はもう帰れるのか?」と、優奈を見ないまま奥村へと尋ねた。
「そうですね、うん。琥太郎さんも今日はいないし急ぎはないので、瀬戸さんを送りつつ帰らせてもらいます」
「ああ、お疲れ」
自席を立ち、けれど雅人の元へ辿り着けたわけでもなく。立ち位置微妙な優奈の肩に奥村の手が触れた。
「帰ろっか」
優奈を気遣うような、困ったような苦笑い。
「はい……」
急いで帰る支度をし雅人の方を振り返る。 やはり、こちらを見てはくれない。
「お先に失礼します」奥村の声に、短く「お疲れ」と返した雅人が、顔を上げることはないまま。
二人は経営戦略室のドアを閉めた。
***
優奈が雅人の元で居候をしている身だと知る奥村は、マンションまで送ると主張してくれたが……気を使う気持ち半分。
そして誰かと会話しながら帰る気になれなかった気持ち半分。
罪悪感を抱きつつ申し出を断り、トボトボと帰路についていた。
いつもよりも歩くスピードが遅い。
電車を降りればたった数分の距離になのに……やっと到着だ、と老婆のように疲れ果ててそびえ立つマンションを見上げていると。
静寂の中カツカツと派手な足音が響いていることに気がつく。
夜空から、その足音へ。
優奈はゆっくりと視点を移した。
少し風がある。パリパリと音を立てて落ち葉がタイルの上を流れるように飛んでいく。
その落ち葉を踏みつける、ハイヒール。
エントランスの自動ドアの方からその足音は響いていたようだ。
目に入ったのは、ゆるく巻かれた腰のあたりまである長い黒髪だ。ボリュームがあるのに艶がありまとまっていて、街灯の光を反射して輝いて見えるほど。
その次には、大きなサングラス。
夜だというのに視界は悪くはならないのだろうか。くだらないことを考えつつも、少しずつこちらに近づいてくる女性を眺めた。
小さな顔がサングラスで隠れてしまっているように見える。それはすなわち超小顔。
(マンションの住人かな?)
芸能人など有名な人物ももちろん住んでいるであろう、このマンション。顔を一般人に見られては困る人なのかもしれないが。
もちろんそんな有名人、優奈には雅人を除き縁がない。
しかし素通りもどうかと思い、軽く会釈をして通り過ぎようと考えていたのだが……しかし。
その女性は優奈の目の前で歩みを止めてしまった。
「こんばんは。あなたが妹ちゃん?」
「はい?」
優奈は目を丸くしながら素っ頓狂な声を上げてしまう。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!