次の週、その日の勘定が合った後杏樹は美奈子とお喋りをしながら元方の現金締めをしていた。
「美奈子先輩と杏樹先輩、お先に失礼しまーす」
あと片付けを終えた新人テラーの真帆が二人の傍へ来て言った。
「真帆ちゃん今日はデートでしょう? 楽しんでおいでー」
「デートなんだー、じゃあ早く帰らなくちゃね。お疲れ様」
「ありがとうございまーす、失礼しまーす」
真帆はご機嫌な様子でロッカールームへ向かった。
「真帆ちゃん彼氏出来たんですか?」
「そう…なんか大学時代の同期といい感じだーっていうのは聞いていたんだけど付き合い始めたみたいね」
「へぇー良かったですね。あ、だから最近嬉しそうなんだ」
「うん、だからライバルが一人減ったわよ」
「?」
「だからぁ、副支店長恋人候補のライバルよー」
そこで杏樹は美奈子の言っている意味がやっとわかった。
「私は最初からそのレースには参加していませんけど?」
「何言ってんの、杏樹こそ参加しなさいよ、れっきとしたフリーなんだから。で、ハイスぺ男を手に入れて森田をギャフンと言わせるのよ」
「いや…ギャフンと言わせる為だけに恋愛するのもどうかと思いますが…」
「えー勿体ないー。私がフリーだったら絶対参加するのにー」
「先輩は簡単に言うけど超絶ハイスぺ男ですよ? 絶対彼女いるに決まってるじゃないですか」
「え、でもさぁ、絵里や沙織は副支店長はフリーだと思っているみたいよ」
「表向きそう装っているだけで絶対にいますって」
「そうなのかなー」
「当たり前じゃないですか」
「あ、でね、沙織と絵里はレースから降りたらしいよ」
「え?」
「なんか攻めてみたけど駄目だったみたい。お色気仕掛けとか相談に乗ってもらうふりーとか色々やってみたけど全然脈がなかったんだって。あの押しの強い二人があっさり手を引いたんだよ、相当手強い相手なんだねー」
美奈子は感心したように言う。
「え? 二人とも本当に副支店長に積極攻勢を仕掛けたんですか?」
「もちろん。ただ副支店長の逆鱗に触れる一歩手前で手を引いたんでしょうね。こんな事で異動させられたらたまったもんじゃないしねー」
「…………」
杏樹は言葉を失う。まさか先輩二人が本当に副支店長にアタックしていたとは思わなかったからだ。
「まあ庶務の沙織は長く付き合ってる彼氏がいるし、融資の絵里だってボーイフレンドが沢山いるし。あわよくばっていう下心はあっただろうけど本気で攻めた訳じゃないと思うよ」
「そうなんですねー」
杏樹はパワフルな先輩二人の健闘ぶりに敬意を表したくなった。
「でさ、二人の分析の結果、今副支店長には恋人はいないけれど狙っているターゲットはいるんじゃないかって言ってた」
「ターゲット?」
「うん、よくわからないけど女の勘っていうやつ? 二人ともそう思ったみたい」
「へぇ……でも恋人はいないってなんで断言できるんでしょうか?」
「それは女の観察眼でしょ。普段の行動や言動、身の回りの雰囲気でなんとなくわかるんじゃない? あの二人は女豹だからそういうのに鋭いしこれがまた当たるんだなー」
「なるほど……勉強になります……」
「いやいや、感心している場合じゃなくて。だから私は杏樹にアタックして欲しいのよ」
「それは無理ですね」
「どうしてー? 毎日職場で顔を合わせていたら段々と情が湧いてくるでしょう? それに杏樹だけが副支店長に興味がなさそうだから返って彼の気を引きやすいかもよ?」
美奈子は楽しそうに目をキラキラさせて言う。
「いやー無理です、恋愛ゲームとか私苦手ですから。それに先輩、今私って一応振られたばかりの傷心女ですからね。そこのところを忘れていませんか?」
「ううん、だからあえて言ってるのよ。傷を癒すにはイイ男で上書きしないと♡」
その時北門課長が咳ばらいをしながら歩いて来た。
「ほらほらお嬢さん方、お喋りばっかりしていないでさっさと現金をまとめないと現金輸送車来ちゃうぞー」
「「はーい」」
それから二人は仕事に集中した。
帰りの電車で杏樹は吊革につかまりながらボーッと考え事をしていた。
『でさ、二人の分析の結果、今副支店長には恋人はいないけれど狙っているターゲットはいるんじゃないかって言ってた』
先ほど美奈子が言った言葉がグルグルと頭の中を駆け巡る。
(そりゃあそうよ。あんなにハイスペックで独身なんだもの、女の影が全くない訳ないじゃない。それにあんな凄いセックスをするのよ、あれは恋愛経験が相当ある証拠だわ。きっと彼が過去に付き合った女性達は絶世の美女ばかりなんじゃないの?)
杏樹は思わずため息をつく。
だから美奈子が言うように平凡な女性がアタックしたとしても、彼は一切興味を持たないだろう。
電車を降りた杏樹は駅前のスーパーへ寄り朝食用の食パンを買う。そして家路についた。
しばらくすると明かりが灯ったマンションのエントランスが見えてきた。
(この辺りは治安もいいしマンションも駅から近いので楽だわ……)
そう思いながら杏樹がエントランスへ向かった時、スーツ姿の男性が入口脇の壁にもたれかかっているのが見えた。
(えっ?)
植え込みのガーデンライトに照らされた顔を見た瞬間、杏樹は咄嗟に建物の影に隠れた。
(え、何? なんで正輝さんがここにいるの?)
食パンの入った袋を持つ手が一気に汗ばむ。
杏樹は頭が真っ白のまま後ろへズリズリと後ずさりをすると踵を返して駅へ戻ろうとした。
その瞬間 ドスン と勢いよく歩いて来た人にぶつかってしまう。
「アッ、すみませんっ」
杏樹が焦って謝ると聞き覚えのある低い声が響いた。
「どうした? 帰らないのか?」
杏樹がハッと見上げるとそこには不思議そうな表情をした優弥が立っていた。
(困っている時に突如現れるこの人はナニモノ?)
そんな事を思いながら杏樹は咄嗟に説明する。
「正輝……あ、じゃなくて森田さんがなぜかマンションの入口にいて……」
杏樹はアワアワしながら言うと優弥がマンションの方を覗き込む。
すると杏樹の言う通り正輝が入口の脇に立っていた。正輝は手元のスマホを見ている。
「なんで森田があそこにいるんだ?」
「わかりませんっ、私もびっくりしちゃって……」
「新住所は森田に教えているのか?」
「言ってませんっ、言う訳ないじゃないですかっ」
「だよな……」
そこで優弥は少し考える。そして杏樹に言った。
「よし、一旦ここを離れよう」
「えっ?」
「今二人でマンションに入ったら絶対に疑われるだろう? ちゃんと説明をしたとしても信じてくれるかどうか…。それに森田が何の目的でここへ来たのかわからない状況では対策のしようもない。だから一旦撤退だ。とりあえず腹減ったからメシ食いにいくぞ」
「えっ、でも……」
杏樹が言い返す間もなく優弥は杏樹の腕を掴むと今来た道を戻り始めた。
コメント
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正輝ストーカーだよ💦杏樹ちゃんが1人の時でなく良かった
きゃー、これはダメよ、正輝さん💦 怖いって!! 今回はひとまず優弥さんがいてくれてよかった! けどこれからもこういうことありそうよね。 対策を講じなくちゃ💦
二人が同じマンションってのをつけて来て知っているから、一緒に住んでいるのか気になるんじゃないかな? 振った女の男関係が気になるって未練たらたらじゃないね😔