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大木の枝には、鞦韆《ブランコ》が、ぶら下がっていた。


太くよった縄と板だけの簡素なものだった。


「ほお、鞦韆《しゅうせん》ですか」


「ああ、祭りでは、女達が鞦韆の立ち漕ぎを競うんだ。誰が、一番高く漕げるか、とね」


「いやぁー!坊っちゃん!そりゃあいい!べっぴんさんの、見放題!こりゃあ、良い目の保養になりますなぁ!」


弾けるパンジャに目を細めながら、夢龍の脳裏には、子供の頃の記憶が甦っていた。


──側に付く、下女《ねえや》が止めるのを振り切って、お下げ髪の少女は、鞦韆の板に立ち、体を縮め、そして、伸ばしと、繰返し鞦韆を漕いでいく。


下女は、落ちたら危ないと、ひたすら止めるが、少女は聞く耳を持たない。


ついに、天高く登り、纏う朱《あか》色の裳《チマ》が風を含んで大きく張らんだ。


──あの子は、まだ、鞦韆を漕いでいるのだろうか。


「坊っちゃん」


夢龍は、パンジャのやけに重い声で、今に、引き戻される。


「この木で、会いましょう」


「と、言うと?」


「あたしは、三日おきに、ここへ参りましょう。何か、知らせがある時は、縄でもなんでもよろしい、この鞦韆に、結び付けておいてくださいまし。そして、その夜、この楼閣で、落合いましょう。もちろん、その逆も、ございますよ。あたしからも、掴んだことを、お知らせしたい時はそうしますから」


うん、そうだ。と、パンジャは、矢継ぎ早に話し続けた。


「あの、木の根元に、暗行御史《アメンオサ》の証、「封書」「事目」「馬牌」の札「鍮尺」を埋めておきましょう。下手に持ち歩いていては、身元がバレやすくなるだけです。どうせ、急ぎの出動などないのです。仮に、必要に、なれば、ここへ取りに来ればよい。まずは、ご自身を守る事をお考えください」


真剣なパンジャの口振りに、夢龍は、村の入り口で出会った農夫の事を思いだした。


既に、警告だろうものを受けている。パンジャの言うように、身を守る事を考えるべきだろう。


そして、ここには、出動する悪事は、無い。言うように、証を使うことは無いのだ。


確かに、下手に持ち歩き、身元がバレては、何かと面倒な事になる。


「そうだな。と、いうことは、これからは、別行動なのか?」


「あれ、坊っちゃん、パンジャがいないと、寂しゅうございますか?いえね、余所者が二人つるんでいては、目立ちますでしょう?」


「確かに。それに、私は、身分をたばかる。従者がいては理に合わないからな」


「へい、そうゆうことで、では……」


パンジャは、途中で準備した、粗末な衣やら様々なものを用意するため、馬に括りつけている荷をほどき始めた。




人というものは、こうも分かりやすいモノなのかと、夢龍は痛感していた。


パンジャの用意した、ツギのある野良着に近い朽ちた衣に着替えただけで、すれ違う人々が向けてくる、あからさまな侮蔑を含んだ視線の数々──。


さて、このモノ達は、すれ違った男が、実は両班《きぞく》の出で、国王の密使であると知ったならどう身を翻すのだろう。


真実を唯一知る夢龍は、笑いが止まらなかった。


と、空腹を覚える。


衣装がどうあれ、腹は減るということか。


太陽は、頭上高く登っていた。昼時なのだろう。


しかし、夢龍には、金子《ぜに》が無い。パンジャの指示で、とことん、落ちぶれた男を演じていたのだ。


とはいえ、都育ちのお坊っちゃまである夢龍は、よくよく見れば、ボロを纏《まと》っていても、そこはかとなく品が漂っている。


そこを見抜ける者を探し、食事にありつけ。それが、パンジャの考えだった。


「ようございますか、そこいらの、農夫には、坊っちゃんの姿しか映りませんが、徳のある者には、坊っちゃんの生まれ持った品性が見てとれる。おおよそ、親に勘当されて、さ迷っているのだろうと、勘違いから心尽くしのもてなしを受けることができることでしょう」


「そんなものか?」


「ええ、儒教の教えたるものが、行き渡っている以上、そんなものなのです。ただ……、そうそう徳のある人物には、巡り会えません。そこの所をはき違えませんように」


パンジャは、ニヤニヤ笑っていた。


おおよそ、今の状況を分かっていたのだろう。


夢龍はというと、無残にも水を頭から浴びせかけられ、そして、道端に、へたりこんでいる。


それなりに、裕福そうな家の裏口を訪ねてみたが、物乞いとわかった途端の所業だった。


いや、何も水まで浴びせかけることはないだろう。


何処かで、食べ物を恵んで貰うか、などと、安穏としていた自分に目が覚めた思いだった。


成る程、これが、底辺の暮らしなのか。分かっていたつもりだが、まさに、見ると行うとでは、大違い。それにつけても……屋敷構えは、立派であるのに、なぜだか、活気が感じられない。


応対した使用人は、もう、いい加減にしてくれと、独り言のようなものを吐いていた。


なんと言えばよいのか、こちらが心配してしまうほど、その表情も態度も余裕が伺えなかった。


屋敷の主人が、強欲なのか。それで、仕える者を追い詰めるのか。


いや、そうではなく──。


南原府使、下学徒。


この地を治める長官の名が、夢龍の脳裏に浮かんでいた。

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