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沙里央
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柘榴とAI

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みぅです🤍 第7話、読み終えました……。 最初の殺意から、ペンダントとの出会い、真琴さんとの交流、そして過去の傷と向き合っていく椿の姿が、とても丁寧に描かれていて泣きそうになりました。 咲良さんの執着と、それに振り回される瑠衣さんの関係も重くて……。 「許す」ことの意味、ちゃんと椿の中に根付いていってよかったです。 ラストの店主の言葉が、すごく刺さりました。 続き、気になります……🌙
分かり合いたい。
分かり合えない。
違うところがない人間なんて、どこにもいないのに。
そんな時、目の前に不思議な宝飾店が現れるらしい。
「その人にぴったりのジュエリー」を用意してくれるんだって。
+
「このN町って『あの通り魔』が住んでるらしいぜ」
「あの通り魔って、どの通り魔だよ」
「何年か前に男が女子中学生を刺した事件、覚えてねぇの?」
「うーん……。似たような事件が多いから、どれがどれだか分かんないや。精神鑑定で無罪になったやつ?」
「そうだったったっけ?あ!それよりさ、今朝のニュース見たか?あの芸能人がさあ……」
エレベーターが降りてくるのを待っていると、横を通り過ぎる大学生達の雑談が耳に入ってきた。
なかなか降りてこないな……。
エレベーターの到着を待っていると、会社員らしき男性二人が、改札の近くにやってきた。
五十代と二十代くらいのサラリーマン、上司と部下だろうか。
五十代くらいの男性の方が、私の姿を見つけるや否や、指を差して話し始めた。
「見てみろ。 あの女子高生、若いのにエレベーターを使おうとしてるぞ。今の若者は体力がないなあ!俺はエレベーターは乗らない主義だからな。おい!お前、見とけ!」
そう言うと五十代くらいの男性は、エレベーターの隣にある階段を一番飛ばしで「ほっ!ほっ!」という掛け声と共に上り始めた。
呆れた顔をしながら、二十代くらいの男性も階段を上り始める。
私だって、二年前までは階段を使っていた。
だけど今は、エレベーターを使わないと上り降りが辛い。
二年前に起こった事件の後遺症で、左足に障害が残ったからだ。
リハビリを乗り越えて杖無しで歩けるようになったが、まだ痛みは完全には取れず、左足を庇うようにして歩いている。
今日は、人を殺すためにこの町にやってきた。
エレベーターが開いた。
中に乗り込み、『閉』のボタンを押す。
『あいつ』の現在の行動は、ちゃんと把握している。
今からそこに向かい、あいつを……。
私は、バックに忍ばせている包丁の柄にそっと手を添えた。
エレベーターが地上に着いた。
ゆっくりとドアが開いたのを確認し、一歩を踏み出した途端、異変に気が付いた。
「え……?」
「ずいぶんと殺気立っておられますね」
二メートルほど先にいた長身の男性が、そう言った。
地上に出るはずのエレベーターのドアの先には、何故か宝飾店のような空間が広がっている。
包丁に気付かれた?
「ごめんなさい。間違えたみたいです」
くるりと背を向け、エレベーターの方へ戻ろうとした。
しかし振り返った先にあったのは、さっき降りてきたはずのエレベーターのドアではなく、アンティーク調の大きな扉。
どうなっているの……?
「もうお帰りですか?南條椿様」
どうして私の名前を?
再び振り返り、その店の中央に立っている男性の方を見た。
「刃物を持ち歩いていたら、銃刀法違反で捕まってしまいますよ。 ……これから人を殺しにいこうとしている方に響く言葉ではありませんね」
言い当てられた恐怖と罪悪感で、膝ががくがくと震えだした。
「紅茶の準備ができております。 少し休んでいかれてはいかがでしょうか?」
私はバッグの中の包丁をおもむろに取り出し、店の男性の方に向けた。
「今すぐ私を帰してください! そうしないと……!」
「『そうしないと』?どうなるのですか?」
「……っ!」
店の男性の態度があまりに冷静すぎて、自分が馬鹿みたいに思えてくる。
もう終わりだ。 私は包丁を自分の首に当てた。
「いけません!」
店の男性の声が聞こえたと同時に、首筋に添えた包丁が紙のようにぐにゃりと曲がった。
「どうして邪魔するの!」
「あなたに人を殺める事はできないからです」
眉尻を下げ、微笑を浮かべながら店の男性はそう言った。
+
「少し落ち着かれたようですが、殺意は完全には消えていないようですね」
観念した私は、もう逃げられないと、アンティーク調の椅子に腰掛けていた。
店の男性が、カップに紅茶を注いでいる。
「……捕まってもいいです。 警察に連絡してください」
「物騒な事をおっしゃいますね。深刻な事情がお有りのようで。私でよければ、お話を聞かせて頂けないでしょうか?」
店の男性が差し出したカップを、会釈をしながら受け取る。
この紅茶の中に、毒でも入っていたらいいのに。
そんな事を考えながら、カップに口を付ける。
おいしい……。
そして、心が落ち着く。
「……私、T学園に入学が決まってたんです」
「T学園、演劇の名門校ですね。今でも数々のOGが、芸能界や舞台などで活躍されておられます」
「……でも、二年前に起こった事件で怪我を負って、入学は取り消しになりました」
「たしか、受験資格は十五歳まででしたね」
「T学園に入る為に、ずっと頑張ってきたんです。歌も、バレエも、演技も。なのに……」
「努力してこられたのですね。ご安心ください。通報などしませんよ。代わりにこれを」
店の男性の手の上には、いつの間にか細長い箱が乗っていた。
店の男性が蓋を開けると、ペンダントがキラキラと光っていた。
「こちらは宥恕ペンダントという商品でございます。宥恕という言葉をご存知ですか?」
私は首を横に振った。
「『許す』という意味です。今のあなたの殺意を抑える為には、この商品を使うしかありません」
許す……?
「憎いからと言って殺めてしまっては、相手と同じ穴の狢になるだけで、得られるものは一つもありません。失うものの方が多いのは、あなたも分かっているはずです」
この店の男性の言う通りだ。 正直、少しほっとしている。
もうどうなってもいいと衝動的に包丁を持ち出したものの、あの勢いのまま人を殺してしまっていたら、取り返しの付かない事になっていた。
「このペンダントを着けていれば、許せない気持ちを制御する事ができます。どうか、あなたらしい人生を歩んでください。……当店の商品は、きっとあなたのお役に立つ事でしょう」
+
気が付くと、私は駅から数百メートル進んだ場所にある大通りに立っていた。
今のは夢?
……いや、違う。
喉元を触った手には、確かにさっきのペンダントの感触があった。
バッグの中を見ると、包丁がなくなっていた。
……私、何の為にここに来たんだろう。
左足が痛い。
無理してこんな所まで来なければ良かった。
事件の後は、通学も、近所のコンビニに行く時さえも家族に付いてきてもらっていた。
もちろん足の事もあるが、精神面の方もかなり大きかった。
一人でいると、また誰かに襲われるのではないかという不安が押し寄せてきて、怖くて仕方がない。
「南條さん?」
道の端でうずくまっていると、頭上から声がした。
頭を上げると、見覚えのある顔があった。
同級生の黒須さんだ。
クラスは違うけれど、通学の電車の中でよく見掛けていた。
黒須さんは何故か、制服のスカートではなく、いつもスカートと同色のズボンを履いている。
「どうしたの?しんどい?」
「……ううん。大丈夫」
私はゆっくりと立ち上がり、無理やり笑顔を作った。
「笑ってるけど、顔青いよ? 駅まで送っていくよ。あんたら、手伝って」
黒須さんの側には大勢の男女が立っていた。 体格のいい弁髪の男性や、アフロにサングラスの女性、髪の色がカラフルな性別不明の方、 二の腕にカラフルな模様がふんだんに掘り込んである男性など、バラエティー豊かな面々が十数名。
「い、いいです!一人で帰れます!」
私を支えようとしてくれていた黒須さんの知り合いの人の手を、思わず振り払ってしまった。
「……あ!ごめんなさい!」
「いいよ。無理しないでね。どこかで休んでいった方がいいよ、マジで」
口元しか見えていないけれど、アフロにサングラスの女性が笑顔でそう言った。
「……はい、そうします。黒須さんも、ありがとう」
「どういたしまして。気を付けてね。じゃあみんな、行こうか」
黒須さん達は私に背を向け、友人らしき人達と歩いていった。
黒須さんが誰かと一緒にいるの、初めて見た。
私も人の事は言えないけれど。
私は痛む足をゆっくりと動かし、駅へ向かった。
+
「ねえ、あれって南條さんじゃない?」
柊瑠衣がパンケーキを食べる手を止め、窓の外を見ると、大通りの向こう側に南條椿の姿があった。
「本当だ。こんなところで何してるんだろ?」
森丘咲良も南城椿の姿を確認し、複雑な表情を浮かべている。
「声、掛けなくていいの?」
瑠衣が提案をしてみるが、咲良は視線を戻し、ストローをくわえてジュースを少し口に含んだ。
「いいよ、もう。私、椿に嫌われてるから。でも、足……まだ治ってないんだね」
「そうみたいだね」
「椿、学校ではどういう風に過ごしてるのかな。……え、何?あのガラの悪い集団」
咲良が再び窓の外を見た時、南條椿の姿はなかった。
「……南條さんの事、まだ気になる?」
「当たり前だよ。友達だったんだから」
咲良がストローをもてあそびながら、淋しげな表情を浮かべた。
「でも、仕方がないよ。椿はT学園に受かる実力があったんだから。私とは違う世界の人間だったって事」
「違う世界とか……、友達だったらそんなの関係ないよ」
「でもいいんだ。私には今、橘さんがいるから」
咲良はそう薄く笑うと、再びストローを口に付けた。
+
「南條、五時間目の体育が始まる前に、更衣室と倉庫の鍵を開けておいてくれ」
四時間目の授業が終わった時、廊下で偶然すれ違った体育教師に、二つの鍵を渡された。
体育の授業は、足に負担が掛からない種目は参加し、それ以外は見学している。
親にも学校側に説明してもらい、週に一度のレポート提出で単位が貰えるようになっていた。
そして今のように簡単な雑用を頼まれる事も。
ちょうどいいや。
体育館でお昼を食べよう。
私はどこで食べようか迷って抱えていた弁当袋と鍵を持ち、体育館に向かった。
+
先に体操着に着替えておいた方が楽かも。
ええと、更衣室の鍵はこっちだっけ。
二つの鍵から更衣室の鍵を選び、鍵穴に差し込む。
あれ、開いてる?
ドアノブを回し、そっと押して開けてみた。
そこには、長椅子に座る下着姿の黒須さんの姿があった。
「南條さん?ああ、次はE組の授業だっけ」
私に気が付いた黒須さんはそう言った。
「私の着替えがまだだったから、クラスの子に先に鍵を返しといてもらっといたんだ。ごめん、ややこしかったね」
黒須さんが私に話し掛けている時、私は黒須さんの右足に視線がいっていた。
義足…?
「何、見とれてんの」
黒須さんがはにかみながら、制服のブラウスに袖を通し始めた。
「ち、違うよ!」
慌てて視線を逸らす。
「びっくりさせちゃったね。 私、右足が義足なんだ。いつもズボンを掃いてるから気付かなかったでしょ」
「……うん」
ブラウスのボタンを留め始める黒須さん。
私は次に何と続けていいか分からず、黙り込んだ。
「南條さん、お弁当、持ってきてるんでしょ。一緒に食べない?」
+
舞台に上がり、体育館全体を見渡す形で並んで腰掛け、私達は昼食を取り始めた。
昼休みを利用して、バスケットボールを楽しむ女子生徒達。
シュートがなかなか決まらないらしい。
「驚いた?」
黒須さんが私に聞いてきた。
私は戸惑いながらも、こくりと頷いた。
「小さい時に病気で切断したんだ」
卵焼きを頬張りながら、黒須さんが行った。
「そうだったんだ」
私はポテトサラダを箸でつまみ、口に運びながら答えた。
「電車も、ラッシュがキツいから早い時間に乗ってたの?」
「そうだよ。南條さんもだよね?よく見掛けた」
「うん。混んでる時間帯に優先座席に座ったら怒られた事があって……。自分から『席を譲ってくれませんか』って言いづらいし、ヘルプマークもあんまり役に立たなくて」
「分かる。そういえばこの前、大丈夫だった?N町でしゃがんでた時」
「うん。何とか帰れたよ。声を掛けてくれてありがとう」
「アッサンの忠告、守らなかったね」
黒須さんがニヤリと笑った。
「アッサン?」
「アフロでサングラスだから『アッサン』。どこかで休むか、ちゃんと駅まで行けるか、みんなで後をつけてたんだ」
「え、嘘!」
「私の仲間も心配してたからさ。頑固だよね、南條さんって」
あのカラフルな人達と黒須さんは、どういう関係なんだろう。
「あいつら、私の劇団仲間なんだ」
「劇団?」
黒須さんはサブバッグの中から一枚の紙を取り出し、私に渡した。
舞台のフライヤーだ。
目を通していると、その中に「黒須真琴」という名前を見つけた。
私は「あ」と言葉を発しながらその名前を指差し、黒須さんの方を向いた。
「私、役者を目指してるんだ」
黒須さんが真っ直ぐ私の目を見ながらそう言った。
漆黒の宝石のような黒須さんの瞳。
見つめ続けていると、その中に吸い込まれてしまいそうだ。
不意に昼休み終了のチャイムが鳴る。
「ヤバ!授業始まる!じゃあ、行くね。南條さんも早く着替えないと間に合わないよ!」
黒須さんはサブバックを持ち、紐部分を肩の位置で担ぎながら体育館を後にした。
+
その日の夜、私は黒須さんに貰ったフライヤーを眺めていた。
怪我をしてからは舞台を観に行かなくなったし、自分から距離を置いていた。
ベッドの上でうつ伏せになり、フライヤーをミニテーブルの上に置く。
睡眠薬が効いてきたらしい。
+
事件後、すぐに手術が行われた。
麻酔が切れてからは、痛みで眠れなかった。
傷口が塞がってからは、T学園に通っている自分の夢を見た。
仲間と練習に励む自分の姿。
足が自由に動く……! あの事件は夢で、こっちが現実だったんだ!
ほっと胸を撫で下ろしたところで、何かにつまづき転んでしまう。
私を追い抜いて颯爽と歩いていく仲間達。
「待って!」
叫ぼうとするが、声が出ない。
立ち上がろうとした時、私の足首を誰かが掴んだ。
手首はぬかるんだ地面から生えていて、徐々に全身が浮かんでくる。
「許さない……。許さない……」
私の足首を掴む力が強くなる。
誰か助けて……!
私は心の中で何度も叫ぶ。
やっと私に気付いた人物が一人、こちらを振り返った。
しかし、その人の顔は私にそっくりで、体中が血塗れだった。
手にはナイフ。
私を追い越していく人達に逆行しながら、こちらに近付いてくる。
やめて!来ないで!
立ち上がれず、声も出せない私の前に、『私』がぴたりと立ち止まる。
青白い表情。生気のない瞳。
『私』は私を目掛けてナイフを振り降ろしてきた。
嫌!!
+
いつも同じ場面で目が覚める。
夢で良かったと安堵すると同時に、せめて夢の中では楽しく過ごしたいと考えてしまう。
いつもの朝。
空いている駅のホーム。
よく眠れなくても、早い電車に乗らなくちゃ。
電車がホームに入ってきた。
私は車両に乗り込み、座席に腰掛けた。
+
「南條さん、もうすぐ着くよ」
聞き覚えのある声に、はっと目を開ける。
黒須さんが私の隣の席に座っていた。
いつの間に眠っていたんだろう。
……私、黒須さんの肩にもたれ掛かってた!?
「ほら、着いた。行くよ」
右側の扉が開く。
私の鞄をひょいと持ち上げ、電車を降りる黒須さんを追った。
「はい、寝ぼけてたでしょ」
改札の数メートル手前で、私の鞄を差し出す黒須さん。
ありがとう、そう言おうとした時だった。
「ねえ、お姉ちゃん」
見下ろすと、幼稚園児くらいの女の子が、黒須さんの足元を不思議そうに見つめている。
黒須さんの右足のズボンが少し捲れ、義足が見えていた。
「お姉ちゃんの足、どうしたの?」
私は辺りを見渡したが、保護者らしい人物は見当たらなかった。
黒須さんは少し身を屈め、右足のズボンを更に捲った。
周りの視線が黒須さんに集中する。
「小さい時に怪我をして、足がなくなっちゃったんだ。だからこれは、新しい私の足」
「新しい足?痛くないの?」
「痛くないよ。心配してくれてありがとう」
黒須さんが頭をポンポンと撫でると、女の子は笑顔になった。
「ちょっと!うちの子に何してるの!」
母親らしき人物がやっと現れたかと思うと、黒須さんにいきなり罵声を浴びせた。
「ああ、大丈夫。怪しい者じゃないですよ」
あっけらかんと答える黒須さんの足元を見て、母親らしき人物の表情が更に険しくなった。
「ママ、これ。お姉ちゃんの新しい足なんだって!」
女の子は黒須さんの右足を指差す。
「あなた、娘に変な事を教えないで! 行くわよ!」
「……あの!」
思わず反論しようとした私の肩を黒須さんが掴み、首を横に振った。
母親らしき人物はそのまま女の子の手を引っ張り、足早に歩き出していた。
明らかに歩幅のテンポが合っていない女の子は、何とかこちらを振り返り、私達に手を振っていた。
「卑猥な話を聞かせた訳でもなかろうに」
黒須さんが女の子に手を振り返し、ズボンの裾を直しながら独り言のように呟いた。
+
「酷いよね!」
まだ生徒がいない通学路。
高校へと続く遊歩道には、季節の花が咲き乱れている。
「慣れてるよ。嬉しくはないけどね」
「だって時代とか技術は進化してるのに、障害にはまだまだ理解がないとかって、やっぱり酷いよ!」
「南條さんも、私のツレを見てビビってたでしょ?あんまり変わらないよ」
……え?
「だってあの人達は、好きでああいう格好をしてるんでしょ?私はなりたくてなった訳じゃないもん」
「どんな見た目でも、人に迷惑さえ掛けないように生きてたら自由だと思うけどね。上品そうに見えたでしょ、さっきの女の子の保護者の人」
……そう言われてみたら、そうだ。
黙っていたら、あんな言葉が出てくるような人には見えないかもしれない。
……私も、自分の事を理解してほしいとか言っておきながら、他人には偏見を持ってるって事……?
+
あれから、黒須さんと同じ車両になった日は一緒に通学し、体育がある日は一緒に昼食を取るようになった。
「怪我をしていなかったら……。T学園に通えてたら、卒業後……ううん、在学中に舞台に立ててたかもしれないって。どうしても、今の状況と比べちゃうんだ」
高校に入学してから、誰かと昼食を食べるのは初めてだったけれど、黒須さんには少しずつ本音を話せるようになっていた。
「舞台、本当は観に行きたいんでしょ?」
黒須さんが水筒に入ったミネラルウォーターを飲み干し、手の甲で口を拭いながら私に聞いてきた。
「うん。実は最近、DVDとかは家で観てる。でも何だかもう、ドキドキとかワクワクとかしないんだ」
そんな私を見ながら、黒須さんが口を開いた。
「ねえ、南條さん。放課後、空いてる?」
+
「あれ?その子って」
アフロにサングラスのアッサンが口を開いた。
小さな劇場の一室。
舞台が始まる前に、黒須さんに『仲間』を紹介された。
「そう。前にN駅まで後を付けた子」
「南條椿です。あの!この前はごめんなさい!せっかく心配してくれてたのに」
以前に見かけた弁髪の男性が私の前に立った。
「そんなん、まだ気にしてたの?別にいいよ。それより、今日は楽しんでってよ!」
弁髪の男性がニカッと大きな口を開けて笑った。
「じゃあ私達、もう準備しないといけないから。客席はさっき教えたところ」
黒須さん達の後ろ姿を見送り、私は客席に着いた。
久し振りの観劇。
直視できるだろうか。
+
……圧巻だった。
飛び散る汗までもが演出の一部のように、綺麗で力強い演技。
「いつまで泣いてんの」
黒須さんがタオルで汗を拭いながら、感激して号泣している私の方に近付いてくる。
私は幕が降りた後、再び楽屋に招かれた。
「……だって、すごかったんだもん……っ!!」
「今の舞台、役者の半分が何かしらの障害があるんだよ」
「そうなの!?気付かなかった……!」
「一人一人の個性を最大限に生かして、フォローも欠かさない脚本になってるからね」
「脚本家の人は、今日来てるの?」
「いや。脚本家のヒカルは引きこもりだから」
引きこもり!?
「小学校の時にトゥレット症候群になって、イジメに遭い、中学で不登校になった。人と会うのが嫌いだけど、文章を書く才能があったから脚本をまかせてる。SNSで偶然読んだヒカルの脚本に惹かれてスカウトしたんだ」
トゥレット恐怖症、前に世界素っ頓狂二ュースで見た事がある。
本当に実在するんだ。
「顔立ち、身体能力、家庭環境。みんな生まれながらにして平等じゃない。だからって、それを理由に卑屈になってたらいつまで経っても何もできない」
黒須さんは続ける。
「オーディションもたくさん受けたけど、たくさん落ちた。だから、今の自分自身を必要としてくれる場所を探そうって思った。そして、そんな私を受け入れてくれたのがここだったんだ」
演技に照明や音響が上手く調和していて、まったく違和感を感じさせないお芝居。
久し振りに心の底からワクワクした。 私は無言で何度も頷いた。
「ところで椿……」
あ。初めて下の名前で呼ばれた。
「さっきから、自分も演じたくて仕方がないって顔してるけど?」
黒須さんが少年のような笑顔を私に向ける。
そして右手を私の方に差し出しながら言った。
「一緒に舞台に立とう?うちの劇団においでよ」
「……はい」
私は迷う事なくその手を取った。
+
それから放課後や休日、劇団の手伝いをしながら端役を貰い、みんなと一緒に舞台に立つようになった。
数ヶ月が経ち、ミーティングをしている時、リーダー兼監督、両腕にタトゥーを入れているスミ君が、ある提案をしてきた。
「次から始まる舞台を、毎回ネットで生配信しようと思う」
稽古場で集まったメンバー達がざわつく中、スミ君は続ける。
「直接来られない県外の人達とか、今まで興味がなかった人達に見てもらいたい。自宅とかで観ながら、コメントも自由に書き込める。リアルな感想を見られるから、劇団全体の向上にも繋がると思う」
「いいね、賛成」
パイプ椅子に座っていた真琴が手を挙げた。
「新鮮だよね。配信を切っ掛けに、劇場に足を運んでくれるお客さんもいるかもしれないし」
「どのシーンが観客の心に刺さったとか、コメントで確認できるのもいいよね」
他のメンバー達も次々と手を挙げる。
もちろん、私もその中の一人だ。
「全員賛成という事で。じゃあ、次の配役を発表する」
スミ君が手元にあった紙を取り、配役の名前を読み上げた。
+
「配信見たよ。南條さん、お芝居やってたんだね!準主役だなんてすごい!」
「私もアーカイブで見た!A組の黒須さんも一緒の劇団なんだって」
「劇団って何?南條さん、演技するの?」
劇団の生配信は、想像以上に話題になった。
「うん。元々、演技が好きで。真琴が誘ってくれて入団したんだ!」
今は昼休み。
「黒須さんも誘って一緒に食べない?」という提案に、中庭でやっと見付けた真琴は「大勢で食べるの苦手。椿だけ行っておいで」と、一人で弁当を食べ始めた。
「でも、残念。黒須さん、かっこいいからたくさん話を聞きたかったのに」
クラスメイトが残念そうにサンドイッチをかじる。
それもそうだな、と心の中で納得する。
端正な顔立ちに、スマートな振る舞い。
そして人を惹き付ける魅力的な演技。
女子達が真琴にときめくのも無理はない。
他校の女子達が、真琴にプレゼントや手紙を渡す為に、わざわざ早い時間帯の電車に乗ったり。
「真琴さん、ここに座ってください!」と、席の譲り合いになったり。
真琴と一緒にいる私に、バチバチと敵意むき出しの視線が飛んできたり、近頃周りが騒がしい。
当の真琴は、女子達に丁寧に礼を言いながらとびきりの笑顔を見せる。
生配信という、時代の流れに乗ったのが結果的に効を奏したのだろうが、何だか複雑な気分だ。
しかし、そんな真琴の人気っぷりよりも気になっている事が私にはあった。
舞台を配信している動画サイトには、チャット機能が付いている。
生配信中にだけ観覧側がリアルタイムで書き込みができ、チャットリプレイという機能で後から見直す事ができる。
私も舞台を終えた後に、自分達の演技とチャットのコメントを何度も確認していた。
配信が五回目を過ぎた頃から、気になるコメントを見掛けるようになった。
【南條椿って下手だなww】
【こいつ、人の事を見下してそうだけど、お前の演技は大した事はないって教えてやりたい】
いい評価だけが貰える訳じゃないのは分かっている。
だけどやっぱり気になる。
本当に、私の演技が下手なのかな?
それとも、ただの中傷?
+
「今日もモテモテだな!」
運転席のベンちゃんが、ミラー越しに後部座席の真琴に視線を送る。
放課後、ベンちゃんは駅のロッカーに保管してあった真琴への大量のプレゼントを車に乗せ、稽古場まで送ってくれていた。
「食べる?」
真琴は私の口元に、プレゼントの手作りクッキーを近付ける。
私は目の前のクッキーをパクリとくわえた。
悔しいけれど、美味しい。
「でも俺達も差し入れ貰ってるじゃん。舞台終わりに、いつも出待ちしてくれてる土屋さん」
土屋さんとは、頻繁に舞台を観にきてくださっている五十代くらいのご夫婦だ。
「うん。本当、ありがたいよね。『みんなで食べてください』って、いつもたくさん」
「あ、そういえば今日、稽古の後にヒカルから話があるらしいぜ」
「ヒカル君?どうやって話すの?」
私は、今まで一度もヒカル君の姿を見た事がない。
「リモートだよ。俺らはヒカルに向かって画面越しに話し掛けて、ヒカルは俺らにチャットで返すって方法を取ってる。どうやら、配信の件で相談があるらしい」
+
【みんな、お疲れ様!気付いてる人もいると思うけど、最近、舞台配信のチャット欄が荒れてるんだ】
稽古場の一角。
私達はPCの前に集まり、画面に表示されるヒカルくんの文章を読んでいた。
初日に比べて視聴者もコメントも増えてきたが、アンチと呼べるような誹謗中傷コメントは私に対してしか付いていない。
ヒカル君はたぶん、その事を気に掛けてくれているのだろう。
「ヒカル君、私は大丈夫だよ」
メンバーが一斉に私の顔を見る。
「本当に大丈夫なのか?」
スミ君が、私に念を押しながら聞いてきた。
「意見や批判ならともかく、誹謗中傷をいちいち気にしてたら舞台に立てないし!」
真琴は黙って私の方を見ている。
【じゃあ、もう少し様子を見ようか。チャット機能は残しておくって事でいいね?】
「うん!」
PCに浮かぶヒカル君の文章に、私は大きく頷いた。
+
「あー、さっぱりした。ん?咲良、何を見てるの?」
橘瑠衣がシャワーを浴び、髪をタオルで拭きながら部屋に戻ると、森丘咲良が女子座りをしながらベッドにもたれ掛かり、スマホ画面をくいるように見つめていた。
デリバリーしたピザはすっかり冷め、コーラもほとんど減っていない。
『週末は橘さんの家に泊まってみたい』という咲良の提案を瑠衣はこころよく受け入れ、現在に至る。
咲良のスマホ画面を覗き込むと、舞台の生配信が行われていた。
瑠衣の気配に気が付いた咲良は、イヤホンを外した。
「もう終盤。毎週見てるんだ」
「南條さん、劇団に所属したらしいね。その舞台もなかなか好評だとか」
瑠衣はタオルで髪を拭き続けた。
「……椿、楽しそうだね」
咲良がようやく発した言葉は、舞台の感想ではなかった。
「橘さんのスマホ、たくさん鳴ってたよ。友達から?」
瑠衣はベッドの脇に置いてあった自分のスマホを手に取り、画面を確認する。
「ああ、そうみたい。今、何人もの友達の相談に乗ってて。 咲良もシャワー、入ってきたら?」
「うん。じゃあ、そうしようかな。 ……あっ」
立ち上がろうとしてよろけそうになった咲良の身体を、瑠衣は無意識に受け止める。
「大丈夫?」
「……ずっと同じ姿勢で見てたら足がしびれたみたい。もう少ししたら治まると思う」
瑠衣に寄り掛かる形になっている咲良の瞳には、うっすら涙が浮かんでいた。
「……まだ、南條さんと友達に戻りたい?」
しばらくの間、沈黙が流れる。
「……そうだ!私、今度、咲良の家にも泊まりにいきたいな」
あからさまに話題を変えた瑠衣の顔を、咲良は不思議そうに見上げた。
至近距離で見る咲良の肌は、きめ細やかで、白い。
「う……ん……、それは無理かも。両親が離婚するかもしれなくて。 今、揉めてるんだ」
「え、そうなんだ……!ごめんね、大変な時にこんな事言っちゃって」
「……足、治ったみたい。 じゃあ、シャワー借りるね」
咲良は瑠衣から離れ、部屋を出た。
+
【南條椿って、元々はT学園に受かってたらしいな】
【そうなん?
じゃあ、Tスターになれてかもしれないのか】
【二年前にN町で通り魔事件があっただろ?ソース貼っとく】
【これ知ってるわ。大学生の男がJCの足を刺したんだっけ。それが南條椿なん?】
【普通の高校に入って、小劇団にいるとか、ずいぶんと妥協したんだな】
+
大丈夫だとは言ったものの、誹謗中傷の内容はエスカレートしていった。
事件の犯人の名前は報道されたけれど、私の名前までバレているなんて…。
【誹謗中傷を頻繁に書き込んでくるアカウントは、ブロックしてコメントできないようにしよう】
ヒカル君の新たな提案で、目に余るアカウントはブロックしてくれたが、次々に新しいアカウントが作られ、結局はいたちごっこになっていた。
「ここまできたら、チャットを閉めるしかない。ヒカル、悪いけど頼む」
スミ君がPC画面に向かってそう言った。
【了解。舞台に関する反応は十分見れたし、問題ないよ】
「ごめんなさい、私のせいで…」
【謝らなきゃいけないのは、変なコメントをしてくる奴等だよ。椿の演技は荒削りだけど、まだまだ伸びしろがある。だから準主役にした。みんな、もうすぐ千秋楽だ。余計な事はなるべく考えないように】
そうしてヒカル君との通信は途絶えた。
「ほんと、暇な人間っているのね」
アッサンは肩をすくめた
「ああ、暇な奴等だな!他の事に労力を使えばいいのにな」
ベッサンは組んだ両手を上げ、伸びをしている。
劇団のメンバーには、事件と怪我の事は話してある。
それに、私がここにいるのは『妥協』なんかじゃない。
+
次の日、真琴と同じ車両に乗り、いつものように誰もいない教室に到着した。
数十分間、スマホで自分の演技を眺めていた時、いつも一緒に昼食を取っているクラスメイト達が教室に入ってきた。
「おはよう」
私はイヤホンを外しながらそう言った。
しかし反応がなかった。
「昨日のドラマ見た?キャストが変わってつまらなくなってたよね!?」
聞こえなかったのかなと思い、もう一度「おはよう」と言ってみる。
「ブルーレイ出ると思う?」
「さあ、無理じゃない?」
え?これって、無視されてる?
どうして急に?
「ねえ、みんな、どうしたの!?」
そう問い掛けても答えは返ってこなかった。
他のクラスメイト達も同じだった。
誰も私の声に反応しない。
私は、透明人間のように扱われたまま昼休みを向かえた。
+
弁当袋を持ち、いつものグループの所に行ってみるが、私の椅子が入るスペースは用意されていなかった。
「え?私だけなのかな、何か背後霊みたいなのが見るんですけど!」
「マジで?憑かれてるんじゃない!?」
わざとらしい笑い声に溜め息が出る。
……もういいや。一人で食べよう。
「ていうか、私達が繋がりたかったのは黒須さんの方だから。ちょっと注目されたからって、調子に乗らないでよね」
背中に、いくつもの視線が突き刺さるのが分かった。
自分の席に戻り、袋からお弁当を取り出そうとした時、「椿」という声が入り口から聞こえてきた。
「一緒に食べない?」
真琴がサブバッグを揺らしながら私を手招きしている。
「……うん」
私は立ち上がり、最小限の荷物を持って真琴の元に向かう。
このタイミングで真琴が誘いに来るって、何かあったのかな?
+
中庭で昼食を食べ始める私達。
「みんなの様子がおかしいの」
私は真琴に、朝から覚えていた違和感を訴えた。
「実は、その事で話があったんだ」
弁当箱を横に置き、スマホを取り出す真琴。
「うちの劇団、Twitterでも宣伝してたでしょ?そこに昨日、変なコメントとURLが貼られてたんだ」
「変なコメントって?また、私への中傷?」
真琴は目を伏せた。
「中傷っていうか……、そのURLに飛ぶと、ある画像と音声が流れるんだ。……椿、聞ける?」
「どういう事?画像とか音声とか、 そんなの見なきゃ分からないじゃん!」
「分かった……」
真琴は私の方耳にイヤホンを差し、スマホの画面を見せ、そこに表示されているURLをタップした。
『死ねばいい!あんたなんか、大嫌い!! 顔も見たくない!!私の前から消えて!!』
イヤホンから流れてくる聞き覚えのある声。
真っ暗な画面に、音声の台詞がそのまま白い文字で書き起こされている。
次に『南條椿はイジメをしていた。 この翌日から、この女子生徒は不登校になった』と、赤い文字が浮かび上がり、再生は終わった。
「これ、椿の声……だよね?」
「……そう。私の声」
「これは演技? 誰かを相手に台詞の練習とかしてたの?」
「……違う、演技なんかじゃない。私が思った事を、そのまま……あの子、咲良に伝えたの。そうしたら次の日から、咲良は本当に学校に来なくなっちゃった……」
あの日の事を思い出し、鼓動が早くなる。
「何か理由があるんでしょ?」
「……言いたくない。言えない」
私はその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。
「どうして……、どうして!!」
「椿……?」
どうして、あの時の会話が……!?
+
【南條椿を降板させろ】
【イジメで人一人の人生を台無しにしたのに、何でこいつは表舞台に立ってるんだよ!】
【たいして可愛くもないのに準主役とか。枕したんじゃね?】
【こんな奴の演技なんか誰にも響かねーよ】
劇団のTwitterは、誹謗中傷のリプライで溢れかえるようになった。
稽古場には、酷い内容の落書きや張り紙をする者が現れ、劇場にはクレームの電話が入っているらしい。
次が千秋楽だというのに。
迷惑が掛かるから代役を立てて公演を続けてほしいとスミ君に伝えたが、「キャストは変えない」の一点張りだった。
劇団のメンバーも、いつもと変わりなく接してくれている。
だけど私は、みんなに言っていない事がある。
+
千秋楽だというのに、観客の入りはキャパの半分にも満たなかった。
椿のものだと思われる音声がネットに流れてから、キャンセルを求める人達が増えた。
「っしゃあ!じゃあ、気合い入れて行こうぜっ!」
準備を終えたベンちゃんが、楽屋にいるメンバー達に声を掛ける。
「あら、椿は?」
アッサンが楽屋を見渡すが、椿はいない。
「ちょっと見てくるよ」
真琴は楽屋を後にした。
+
もうすぐ公演が始まる。
私は一人、劇場の外でうずくまっていた。
怖い。
少し前までは、千秋楽まで何事もなく、ただ楽しく演技ができると思っていたのに。
また何か書かれるのかな…。
「あら、椿さんじゃない。公演の準備はしなくていいの?」
ふと顔を上げると、土屋さん夫妻が私を見下ろしていた。
「……こんばんは。あの、ご存知ないんですか?」
私は急いで立ち上がり、恐る恐る聞いてみた。
「何の事?」
奥さんが不思議そうに首を傾げる、
もしかしたら、SNSを見ていないのかもしれない。
「いよいよ千秋楽ね。私達にも、あなたと歳の近い子供…、息子がいてね。とても努力家で、やっと夢を叶える事ができたのよ」
「そうだったんですか。自慢の息子さんですね」
「……ええ」
奥さんは微かな笑みを浮かべた。
「そうだ、これ。舞台が終わってから渡そうと思ってたんだけど」
旦那さんが、そう言いながら大きな紙袋を私の方に向けた。
「洋菓子なんだけど、よかったら皆さんで」
「ありがとうございます」
私は紙袋を受け取りながら、深く頭を下げた。
「私ね、久し振りに舞台を見て感動したの。だから何度も見にきちゃったわ。今日で最後だなんて残念だけど、何事にも終わりは来ちゃうのよね」
土屋さん夫妻は、あの音声の事を知ったら私を軽蔑するのかな。分からない。
……でもきっと、今日だけは喜んでもらう事ができる。
「精一杯、頑張ります」
そう言った時、真琴の声が聞こえた。
「椿、もう開場してるよ。……あ、どうも」
「これ、みんなでって」
私は真琴に紙袋を見せた。
「ありがとうございます」
「いいえ、ほんの気持ちよ。もう開場の時間?開演まであと少しね。私達も行きましょうか。じゃあ、また」
私達は、二人の姿が見えなくなるまで頭を下げ続けた。
++
その日、私はいつものようにメンバー達と街をブラついていた。
千秋楽を終えた後、椿が「劇団を辞めさせてください」と笑顔で言ったのが、ついこの間の事のようだ。
そして椿は学校に来なくなった。
いや、『来れなくなった』という方が正しい。
【南條椿、辞めさせられたらしいな】
【英断!俺は劇団を支持する!】
【やっとか。まあ仕方ないよな】
ネットに溢れる無責任な声。
何にも知らないくせに。
……私だって、椿の全部を知ってる訳じゃないけれど。
「信じないね、俺は。椿がイジメをしてたなんて」
ベンちゃんは納得のいかない顔をしている。
「例え過去に何かあったとしても、私達は今の椿を見てるんだから」
アッサンはサングラスを外し、目頭をつまんだ。
「みんな晩飯まだだろ。適当な店に入ってから今後の事を考えようぜ」
スミ君はスマホを取り出し、検索し始めた。
「あれ?こんなとこに店なんかあったっけ?」
ベンちゃんが指差す建物の方に、メンバー達が顔を向ける。
「この外装、高級レストランとかじゃない?予約とか必要なんじゃないかしら」
アッサンがそう言い掛けた瞬間、メンバー達はキラキラと輝く空間の中にいた。
「な、なんだぁ!瞬間移動か!?」
叫んだベンちゃんの後ろに、店の男性が立っていた。
「ひゃっ!」
いきなり現れた男性に驚き、ベンちゃんが飛び上がる。
「ようこそいらっしゃいました。南條様の所属されていた劇団の方達ですね」
「椿の事を知ってるんですか?」
私は店の男性に問い掛けた。
「ええ。存じ上げております。あなた方よりもずっと」
「南條様はある秘密を抱えておられます。……あなた方にはそれを知る権利があるようですね」
「何なんだよ!秘密って!椿は何を隠してるんだよ!?」
ベンちゃんは頭を掻きむしっている。
「教えてくれないか、俺達の知らない椿の事を」
スミ君が店の男性の目の前に立ち、そう言った。
「それでは、こちらをご覧ください」
店の男性は、アンティーク調の鏡を取り出し、スミ君に渡した。
鏡の中に、ぼんやりと映像が浮かんでくる。
メンバー達は鏡の中をしっかりと覗き込んだ。
+
幼稚園の頃、親がどうしても迎えに来られない土砂降りの雨の日があった。
仕方なく一人で傘を差しながら帰っていると、びしょ濡れになっている咲良の姿が見えた。
「咲良ちゃん、どうしたの?」
傘を差し出しながら、私は聞いた。
「お母さんがお迎えにきてくれないの」
咲良はしゃくりあげながら泣いていた。
「じゃあ、おうちまで送っていってあげる!」
二人で一つの傘を差し、咲良の家に向かう。
インターホンを押すと、中から咲良の母親が出てきた。
「……ああ、お帰り」
咲良の母親は特に慌てるでもなく、気だるそうな声でそう言った。
家にいるのに、咲良を向かえに来なかったの?
「早く上がったら?」
家に入るように顎で|促《うなが》された咲良は、小走りで玄関に入り、扉を閉めた。
その日を境に、咲良は私に声を掛けてくるようになった。
だけど少しずつ私は、子供ながら咲良にいくつもの違和感を覚えるようになってきた。
「椿ちゃんに手紙を書いてきたんだ。 あげる!」
小学生になると、咲良が私に可愛いイラストが描かれた手紙をくれるようになった。
「わあ、ありがとう!」
「返事は明日までね!」
そっか。
こういうのって、返事がいるんだ。
家に帰り、封筒を開け、中の|便箋《びんせん》を取り出す。
『私はようちえんの時にお母さんにぎゃくたいされていました。お父さんはその事を知りません。私は家ではハンストをしています。ハンストとは、出されたごはんを食べないことです。私はふこうだけど、つばきゃんはしあわせです。 私、つばきちゃんがうらやましい。 明日までにへんじをちょうだい』
生い立ちと呼ぶには余りに短いが、咲良は自分の事を私に知ってほしいのだろうという事だけは、幼いながらにぼんやりと理解できた。
しかし、その日は放課後にバレエ教室に行き、帰ってからは急いで宿題を済ませた為、咲良の手紙の返事を書くのを忘れてしまっていた。
+
「何で忘れるの?」
次の日、手紙を書けなかった私に対して咲良は苛立ちを隠せていなかった。
「忘れててごめんね。 もうちょっと時間が欲しいんだ。習い事とか宿題とか、忙しくてなかなか時間がないの」
私がそう言うと、咲良は無言で席に戻っていき、丸一日、私と話そうとはしなかった。
どうしよう。私、咲良を怒らせちゃった……?
+
次の日、睡眠時間を削って何とか書き上げた手紙を咲良に渡した。
「忙しいとか、やっぱり嘘だったんじゃん。でもいいよ。許してあげる。はい、次の手紙。返事は明日までね」
え?もう次の手紙を書いていたの?
『つばきちゃんは、私の友だちです。私はつばきちゃんの友だちでいてあげます。ずっといっしょにいようね』
+
「あの子が私の髪型を真似してるの。だから私、あの子が嫌い。椿ちゃん、違う髪型にしてってあの子に言ってくれない?」
私は戸惑った。
「何で私が言うの?たまたまかもしれないし、そんな事を言ったらあの子が嫌な気持ちになるよ?」
「どうして言ってくれないの!?そんなの、友達って言わないよ!?」
幼い私から見ても、咲良は異常だった。
「椿ちゃん、この前、あの子と遊んだんでしょ?何で私も誘ってくれなかったの?」
だって咲良ちゃん、あの子の事、嫌いって言ってたじゃない。
「お母さんの財布から一万円取ってきたんだ。 奢ってあげるから、二人で遊びに行こう」
「駄目だよ、そんな事しちゃ!お母さんに返して謝らなきゃ!」
「どうせ椿ちゃんだって、お金を取った事あるんでしょ?」
「そんな事、一回もした事ないよ!」
「嘘吐き。みんなやってるに決まってるじゃん!そんなんだから、椿ちゃんはみんなに嫌われてるんだよ!!だけど大丈夫。私がずっと友達でいてあげるから」
+
『え?椿、バス酔いするの?明日の遠足、絶対に吐かないでね。 私、吐く人、大嫌いなの。そうだ、前の子達の補助席に座らせてもらお!』
『もしもし、椿?相談があるんだ。あのね……。え?寝てた?だーいじょうぶだって!私達、若いんだから!』
『ほら、あの子。困ってるみたい。 椿、助けてあげたら?』
『ねえ、椿。あの子とは仲良くしない方がいいよ』
『私が行きたいライブのチケット、椿の住所も使って申し込んでおいたから、当たったら教えてね。何でって……、私の当選率が二倍になるからだよ?』
『住所を勝手に使ったって?知らない番号から電話が来るようになった?だーいじょうぶだって!それくらい!』
『椿、しんどそうだね。もう少し楽しそうにしてよ』
『椿、あのね。私は楽しい話しか聞きたくないの。分かった?』
『ブログに顔を載せただけで何でそんなに怒ってるの?載せていいから撮らせてくれたんでしょ?だーいじょうぶだって!このブログ、ほとんど外国の人しか見てないし!』
『……どうしたの椿。何でそんな事言うの?え、死にたいんだけど……』
『だから私に意見しないで! 今度言ったら……、私、死ぬよ?』
……私、咲良がしんどい。
+
学年が上がってクラスが変わっても、中学に入学しても、咲良はいつも私の元に来た。
「私、椿しかいないからさ」
そう言って、休み時間の度に私を訪ねてきた。
他の生徒や教師達は、咲良を大人しい生徒だと思っていた。
声を荒げるのは私の前でだけ。
咲良は、どれほど私に対して激昂して罵倒を始めても、誰かの気配を感じると即座に真顔になり、黙る。
咲良は私にだけ本当の顔を見せていた。
+
中学二年生になると、橘さんというクラスメイトと少しだけ仲良くなったようで、私のクラスに訪れる事はなくなった。
気が楽だった。
あれほど執着されていた日常にやっと余裕が出来、他のクラスメイトと仲良くしていても|咎《とが》められない。
友達とお弁当を食べ、くだらない話で盛り上がる。
私はやっと普通の学校生活を送れている気がした。
+
T学園に合格した頃、廊下ですれ違った咲良から久し振りに声を掛けられた。
「椿、T学園、受かったんだね。おめでとう!」
「……うん、ありがとう」
久し振りに話した咲良は、少しだけ雰囲気が変わったように見えた。
「椿、ずっと頑張ってたもんね。ねえ、今度一緒に遊びに行かない?」
卒業までもう少し。
T学園に行ったら、忙しくて中学の同級生と会う機会もなくなる。
私は少し迷ったが、咲良と遊ぶ事にした。
+
待ち合わせに三十分ほど遅れるのはやはり変わらなかったが、咲良自身は少し変わっていた。
会話が一方的ではなくなり、私の話にも少しだけ耳を貸しているように見えた。
「もう少しで卒業だね」
カフェラテを飲む咲良が、白い息を吐いた。
「うん。短かった。……やっぱり長かったかな?」
「どっちなの?」
咲良が私の方を向いた。
「なんだかちょっと淋しいかも。 高校に入ったら、彼氏も作れないしね」
「T学園は彼氏を作ったら駄目なの?」
「忙し過ぎて作る時間がないんだよ。中学では出来なかったし……」
「私はいたよ」
咲良がドヤ顔を決める。
「そうなの?知らなかった。同じ学年?」
だから咲良は少し変わったのかな?
「それは内緒。……ねえ、椿。 卒業するまで、また私と遊んでくれる?」
この頃の私は、憧れの高校に受かってかなり浮かれていた。
入学してからは、自由と呼べる時間はない。
それなら……。
「うん、そうだね。遊ぼうか」
私は咲良の提案を受け入れた。
+
何度目かの待ち合わせの日。
咲良はやはり遅刻していた。
LINEも既読にならない。
いつもの事だと灰色の空を眺めていると、目の前に停まった車から、大学生くらいの男が降りてきた。
「お待たせ。君、椿ちゃんだよね? じゃあ、さっそく行こうか」
男はそう言うなり、私の腰に手を回してきた。
「ちょっと……!何なんですか!?」
私は驚き、男の手を振り払った。
「あれ?咲良ちゃん、椿ちゃんに説明してないのかな?」
男は髪を掻き上げながら苦笑いをした。
え?この人は咲良の知り合いなの?
「咲良に……何かあったんですか?」
まさか、事故にでも……?
業を煮やしたらしい男が、私に顔を近付けてきて呟いた。
「椿ちゃんが『中学を卒業するまで処女を捨てたい』って言ってたから、相手をしてやってくれって。咲良ちゃんに頼まれたんだ」
咲良が!?
「私そんな事言ってない!警察に連絡しますよ!」
スマホを取り出し、110番を押そうとした私の右腕を男は強く掴んだ。
スマホがコンクリートの地面に落ちる。
「ここまで来といてお預けとかないでしょ」
車に無理やり乗せられそうになり、必死で抵抗した拍子に、男の顔に私の肘が当たった。
「……あのさぁ、何してくれちゃってんの?」
男はジーンズのポケットからナイフを取りだした。
逃げなきゃ……!
男に背を向け走り出すが、後ろから追いかけてくる足音は止まない。
住宅街に入ると、私はぬかるんだ地面に足を取られて転んでしまった。
急いで立ち上がろうとした時、男が私の足首を這いつくばりながら掴んでいた。
「…………あ……」
やめて。離して。
だけど、声が出ない。
誰か、助けて…!!
男は私の脅える姿を楽しむようにしばらく眺めた後、私の左足にナイフを突き立てた。
+
手術から数日後、警察にも事情を聞かれ、私は咲良の事を話した。
だけど、当の本人は「そんな事は知らない」と嘘を貫いた。
実際、咲良は証拠が残らないように男と連絡を取り合っていたようで、結局は私の虚言、もしくは事件のショックで妄想と現実との区別が付かなくなっているという事になってしまった。
やっと学校に通えるようになった日、音信不通になっていた咲良を呼び出した。
「どうしてあんな事をしたの?」
私の問いに、咲良は不服そうな顔をした。
「だって、あんな事をする人だとは思わなかったんだもん。私の夏服も五万円で買ってくれたんだよ?」
「……制服を売ったの?」
「だって、もうすぐ卒業だから着ないでしょ。大体、椿が警察に連絡しようとするからあんな事になったんじゃないの?」
……この女は何を言ってるの?
「まさか、前に彼氏とか言ってた人からもお金を貰ったりしてたの?……何人も?」
「当たり前じゃん。私達、現役のJCだよ?タダな訳ないじゃない」
咲良は続ける。
「私は椿に協力してあげただけなのに。そのまま素直に着いていってたらよかったんだよ。警察に私の名前を言ったり、最低だよ。じゃあ、私はどうすればいいの!?どうすれば椿の気が済むの?死ねばいいの!?ねえ、私、死ねばいい!?」
「……死にたかったら死ねばいいのに!あんたなんか、大嫌い!!顔も見たくない!!もう二度と私に関わらないで!!私の前から消えて!!』
今まで我慢していた言葉がとめどなく溢れてくる。
私は咲良を罵倒し続けた。
+
「こんなの、友達って言わねーだろ……」
ベンちゃんがポツリと呟いた。
映し出された鏡の中の映像に、メンバー達は動揺を隠せていなかった。
「あの音声は、やり取りの一部を切り取って編集したものだったのね。 まあ、売り買い言葉に買い言葉って言っても、『死ねばいい』だなんて絶対に人に言っちゃいけないけど。……椿ももう、限界だったのよね」
「私が、椿を劇団に誘わなければ……」
椿をこんなに苦める事にはならなかったのかもしれない。
「それは違うよ」
振り返ると、いつの間にか椿が立っていた。
「椿!いつからそこにいたのよ!?」
アッサンのサングラスがズレる。
「……わりと最初から。部屋でだいぶつの森をしてたら、急にこの店に。話し掛けるタイミングが分からなくて……」
「椿、どうして本当の事を言わなかったんだよ!誤解を解けばまだ演技を続けられたのに。学校だって……!」
【ベンちゃん。全部、椿が決めた事だよ】
鏡の中の映像をPC越しに見ていたヒカルからのメッセージが浮かぶ。
【学校も、命に関わるくらい辛いなら、行かなくていい。僕がそうだった。通学と劇団を無理に続けていたら、椿の心は今よりももっとボロボロになっていたはずだ】
「……咲良が欲しかったのは友達じゃなくて、自分が必要な時に自分の欲を満たしてくれる人形だったの。犯人は私を刺した後、車で逃走中に事故で死んじゃって。どこに怒りをぶつければいいか分からなかった。咲良と約束なんかしなければ、早く距離を置いていればって、ずっと考えてた。……N町で真琴が声を掛けてくれたあの日、私、咲良の事を殺そうと思ってたの」
私は椿の頬を両手で覆い、自分の額を椿の額にコツンと当てた。
「でも、思い止まったんでしょ?」
「……違うの。 それはこのペンダントの力で……、あれ……?」
椿は首元を触り、不思議そうな声を出した。
「南條様にはもう必要がないようですので回収させて頂きました」
店の男性の手の平の上には、いつも椿が着けていたペンダントが乗っていた。
椿は私の方を向き直り、口を開く。
「私、真琴が劇団に誘ってくれたから前に進めたんだ。……あの事があったから、みんなに出会えたの。だから誘わなければよかったなんて思わないでよ!」
とめどなく溢れ出てくる椿の涙を、両手の親指で拭う。
「『神様は乗り越えられない試練は与えない』とか、私は綺麗事だと思ってる。必要のない試練だってあるよ。だけど」
私は伏せていた目を開き、椿の瞳を見つめながら言葉を続けた。
「椿は強い人間だって、ここにいるみんなが知ってる」
【学校は行きたくなったら行けばいい。行きたくならなければ、行かなくていい。演技がしたくなったら、またいつでも戻っておいで】
「電車に乗れなかったら、俺の車で好きな所に連れてってやるから!」
ベンちゃんが言った。
「また生配信やるから、全部見なさいよ」
アッサンのサングラスが曇っている。
「椿と演るの、最高に楽しかったぜ」
スミくんが笑ったのを初めて見た。
「……うん!みんな、ありがとう!」
椿は号泣しながら、とびきりの笑顔でそう答えた。
+
「南條さんって結局、高校卒業できなかったらしいね」
私は隣でスマホをいじっている咲良に声を掛けた。
「……うん」
今日の咲良の態度は何だか素っ気ない。
「でも自業自得だよね。咲良にあんな酷い事言ったんだから」
窓の外はすっかり暗くなっている。
高校卒業後も咲良との交流は続いていて、一人暮らしを始めた私の部屋によく泊まりにくるようになった。
「咲良。明日は大学は行かなくていいの?N町でのバイトはどうなってるの?」
「大丈夫。男の先生の講義は全部、出席扱いにしてもらってるから。バイトはだいぶ前に辞めたよ。時給千円とかで働くとか、やっぱり割に合わないし」
「……そう」
咲良がいきなり訪ねてきたのは火曜の夜だったので、今日で三日目になる。
それとなく帰ってくれるように無難な台詞を選ぶのだが、咲良は気付いていない。
そして最近、私が咲良に対して覚えている違和感の正体は何なのだろう。
「橘さんは専門学校だったっけ」
「そう。明日、早いんだ」
「専門学校って学歴にならないらしいよ。何で大学受験しなかったの?」
咲良が眠そうな目をこすりながら、あくびをしている。
「何でって……、行きたかったからだよ。咲良だって、行きたい大学だから通ってるんじゃないの?」
「別に特別行きたかった訳じゃないけど、今の時代、大学くらい出とかないとね」
ダルそうにベッドの上に移動した咲良の言葉が、チクリと心に刺さる。
「でも椿さぁ、高校中退とかあり得ないよね。義務教育は行かなくても卒業できるけどさ」
蔑さげずの対象が自分ではなかった事に安堵し、「本当だよね!」と相槌あいづちを打つ。
「辞めちゃう事なかったのに。……椿が可哀想。橘さん、いくらなんでもやり過ぎだったんだよ」
「え……っ?」
高校二年生のある日の放課後、咲良から聞かされた電話の内容に憤慨したのは確かに私。
『死ねばいい!あんたなんか大嫌い!!顔も見たくない!!私の前から消えて!!』
南條さんが数回目の舞台に出た頃、咲良から渡された音声をそのままネットにアップして文字に起こしたのも、私。
だけど、それを私に頼んだのは咲良。
『椿が怖くて、やり取りの一部を録音してたの。前に送った音声、どうしたらいいかな……?』
……いや、あれは誘導だった。
「私が何とかしてあげる!」という言葉を、咲良は私からまんまと引き出したのだ。
「私は一切関わってないからね。橘さんが一人でやった事。もし椿が自殺とかしても、私の名前を絶対に出さないでね?」
違和感の正体がやっと分かった気がした。
「……わ、私だって関係ないから!悪いけどもう帰ってくれるかな?明日早いの!」
「そんな事、言っていいの?」
咲良は自分のスマホ画面をこちらに向けた。
【南條椿って下手だなww】
【こいつ、人の事を見下してそうだけど、お前の演技は大した事ないって教えてやりたいわ】
画面には、動画で配信された椿達の舞台のチャットのスクリーンショットが表示されている。
「これも橘さんだったんだね」
「……ええっ?違うよ!?証拠でもあるの!?」
「高三の時に、何度か実家に泊めてもらった事があるでしょ?一度だけ、橘さんがお風呂に入る時にスマホを持っていくのを忘れた事があって。私、見ちゃったんだ」
え……?
「ロック掛けてないなんて無用心だよ?」
油断していた。
「知ってるよ。橘さんがT学園を受験したけど、不合格だったって。椿の事、羨ましかったんでしょ?でも椿の入学が取り消しになって、本当は嬉しかったんでしょ?」
「違う!確かにT学園は落ちたけど、私、別に南條さんの事なんて気にも留めてしなかったし!私は咲良に酷い事をした南條さんが許せなかっただけで……!」
「どっちでもいいよ」
感情のこもっていない咲良の声。
額から顔の側面を冷や汗が伝い、顎からぽとりと床に落ちた。
「大丈夫。私、誰にも言わないから。橘さんが裏アカウントを使って、椿以外の人にも嫌がらせしてた事も。証拠を持ってるけど、私、絶対に誰にも言わないから」
頭から血の気が引いていくのが分かった。
「だって私達、友達でしょ?秘密を共有しようよ。だから瑠衣、これからもずっと仲良くしようね!」
咲良はベッドの上で立ち上がり、満面の笑みを浮かべながら私に右手を差し出した。
+++
「椿、久し振り!」
PC画面の向こうで真琴とスミ君が手を振っている。
あれから十年が経ち、私達の生活は大きく変わった。
ベンちゃんは三児の父親になり、アルバイトの時間を増やして、奥さんと一緒に育児をしている。
アッサンは再現役者として活躍するようになり、アフロではなくなった。
他のメンバー達もそれぞれが選ぶ道に進んだ。
そして真琴とスミ君は今、海外公演の為、フランスにいる。
「生で観たかったなぁ……」
「再来月は日本公演だから、ベンちゃんの都合が付いたら劇場に連れてきてもらいなよ」
ふてくされながら机に突っ伏している私に真琴は言った。
「忙しそうだからいいよ。日帰りで数時間だけなら一人で大丈夫。少し長く外に出られるようになったし」
あれから、いくつかのアルバイトを経験した。
だけど途中でまた外に出るのが怖くなり、在宅でできる仕事をヒカル君に紹介してもらい、現在に至る。
ヒカルくんは引く手あまたの脚本家として活躍するようになり、低迷続きの月九の視聴率が十数年振りに二十五パーセントを超えたとか。
「椿の方はどう?脚本、進んでる?」
「うん。コンクールに応募する分は書けたよ!」
私は、ヒカル君とやり取りする内に脚本に興味を持つようになった。
最終候補に残ったり、惜しいところまで行くのだが、まだ何かが足りないようだ。
「やっぱり文章力かな?構成がまだ未熟?短編で回想と場合転換が多いと内容がとっ散らかっちゃうよね!」
「知らねーよ。今は自分で考えろ。 日本に帰ってたら、また読んでやるから」
スミ君が真琴の肩に腕を回しながら画面を覗き込む。
「うん!……ねえ、二人とも。いつか私が一人前になったら、私の脚本で演じてくれる?」
今でもネットで検索すると、私の音声が出てくる。
だけどそれを超えられるくらい、誰かの心に響く物語が書けるようになれたら。
おずおずと画面の方を見る私に、二人は「もちろん!」と声を揃えた。
+
「何で昨日の返事が今日になるの!?」
帰宅してからも咲良からの通知は鳴り止まなかった。
うんざりしていると咲良から電話が掛かってきた。
「私は仕事をしてるし、こっちの生活もあるから、いつでも咲良の都合に合わせられる訳じゃないよ」と口走ってしまったが最後、咲良の怒りに火を着けてしまった。
「私だって今、離乳食を作ってるのに!専業主婦を馬鹿にしてるんでしょ!ぎゃああああぁぁぁ!!」
電話口の向こう側で叫び声が聞こえる。
咲良の言動は、日に日にエスカレートしていった。
結婚式で私以外の『咲良の友人達』が代行出席だったと気付いたのは、以前に所属していた小さな芸能事務所にいた時の面子だったからだ。
その事は、式に出席していた咲良の両親も知らない様子だった。
両親が不仲だなんて、嘘だったに違いない。
「私、瑠衣と一緒に子供を育ててる感じで暮らしたいの。だから毎日、私の子供の画像を見て感想を言ってほしい。友達なんだから当たり前でしょ?瑠衣は私の事、どうでもいいと思ってるの?」
重い。
「……毎日、考えてるよ」
あれだけ送られてきているのだから、頭に浮かばない方が難しいだろう。
「嘘!?毎日とか、重ーい!!」
……何、この女。
「とにかく、私が送ったらすぐに返信してね。てっきり、私が結婚して子供を産んだから距離を置きたいのかと思っちゃった」
「どういう意味……?」
「だーって、羨ましいのかと思って。でも私は全然幸せじゃないよ。 家庭環境が複雑だったんだから。でもね、瑠衣は幸せ。鬱陶しいトメやコトメ、彼氏すらいないから、適当に仕事して好きな物を好きなだけ食べてブクブク太ってればいいんだもんね」
『コノ女ヲ殺シタイ』
間違いなく、咲良に殺意を覚えている自分がいた。
+
土屋家の一室。
土屋夫妻の息子、歩夢の遺影に手を合わせる店の男性の姿があった。
「あれから十年ですか」
店の男性は、座布団に座り、鏡の中の橘瑠衣の姿を眺めている夫妻に声を掛けた。
「息子が生きていたら、一体どんな人生を送っていたんだろうか……」 土屋昇はぽつりと呟いた。
俳優の土屋歩夢が、ネットの中傷を苦に自ら命を絶ったのは十年前だった。
「法的に対処する事もできた。でも、歩夢が『誰の書き込みを一番苦にして命を絶ったのか』をあなたから聞いて、気が変わったのよね……」
「そうでしたね」
店の男性が、畳の上で夫妻の方に体の向きを変えながら言った。
橘瑠衣は当時、駆け出しの俳優だった土屋歩夢のSNSに、毎日毎日、誹謗中傷を書き続けていた。
理由は『売れる前から舞台がある度に出待ちや差し入れをしていたのに、告白を断られたから』。
瑠衣は本人だと気付かれないように、裏アカウントで執拗に歩夢を攻撃し続けた。
「ドラマの主要キャストに決まった時は、真っ先に私達に連絡をくれたのに……。今も、あの女は苦しんでいるんですね?」
土屋泉はハンカチで目元を拭いながら店の男性の方を見た。
「ええ。『現実ではいい人だと思われていたい』、『自分の裏の顔をバラされたくない』。その一心で、ご友人に対する殺意を押し殺しながら過ごしておられます」
「そう……。でも、あの女が苦しんでいても、歩夢は帰ってこない。今さらだけど、法的に訴えていた方が良かった気がしているの。そうしたら少しは改心してくれたかもって、たまに考えてしまうわ」
「改心なんかする訳がない。あれから十年経っても、未だにインターネットは誹謗中傷に溢れているじゃないか」
昇は妻の肩を抱いた。
「では、そろそろお暇させて頂きます」
店の男性の方を見て、泉は口を開いた。
「あなたは何者なの?どうしてあのお店を?……一人で淋しくはないの?」
「プライベートな質問にはお答えできかねます。……歩夢様の魂が健やかに眠れるよう、心から願っております」
店の男性が指を揃えた右手を左胸に添え、お辞儀をした。
土屋夫妻も深々と頭を下げる。
二人が再び顔を上げた時、店の男性と手鏡は消えていた。
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土屋家の自宅の屋根を遠目に見やり、店の男性は呟き始めた。
「……さて。南條様はすっかり、自己嫌悪に陥っていた自分自身を『許す』事ができ、新たな人生を歩んでおられますね。橘様にも宥恕ペンダントをご紹介したいのですが、残念ながらあのペンダントには『最初から何の力もなかった』のです。当店とした事が、うっかりしておりました。ストレス発散、バレないという怠慢、『自分は絶対に間違っていない』という歪んだ正義感。あなたは大丈夫ですか?あなたがいくつアカウントを持っているか、誰にどんなコメントをしたか、私には全て見えてていますよ」
そう言いながら店の男性は意地の悪い笑みを浮かべた。