コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
僕はそのまま足早に教室の喧騒から逃れるように、衣装が用意されている方へ向かった。
先程買ったネイビー色のセーラー服を手に取り、備え付けの更衣室で着替えることにした。
内心の落ち着かない気持ちをごまかすように、少し乱暴に扉を閉める。
◆◇◆◇
数分後───
重たい扉をゆっくりと押し開けて、僕は恐る恐る教室に戻った。
着慣れない生地が肌に触れる感覚は、どうにも落ち着かない。
鏡で見た自分の姿を思い出すと、まだ胸の奥がざわめく。
膝丈より少し上の長さのプリーツスカートをヒラヒラと翻せば、なんだか自分じゃないみたいでむずむずする。
まるで別人の魂がこの体に入り込んだような、不思議な違和感だ。
恥ずかしさを紛らわすように頭を振って教室に戻ってみると
「おぉっ!!」
「普通に可愛いじゃん!」
「似合ってるよ、ひとみ!」
などの歓声が上がり、その熱気に照れて顔が火照ってくるのが自分でもわかった。
頭の先からつま先まで、全身がじんわりと熱を帯びる。
「ほ、ほんと?でも……なんかやっぱり変な感じする……っ」
スカートの裾をぎゅっと握りしめ、視線も上げられずに赤くなった頬を隠すように俯いた
その時——
ガラッ
突然、背後で入口の扉が開く音がした。
それまで賑やかだった教室の空気が、一瞬にして静まり返るのを感じる。
「おっ!やっぱり似合ってんじゃんひとみ」
弾むような、聞き慣れた声が耳元で響く。
くるりと声のする方に体を向けると、濃紺のセーラー服に身を包んだ背の高い學くんが立っていた。
「……ま、まなぶくん…!」
一瞬、息が詰まった。
喉の奥がキュッと締め付けられ、上手く呼吸ができなくなる。
胸の奥がキュッと締め付けられるような感覚。
それは驚きだけではない、もっと複雑で、熱い感情だ。
制服姿の学くんが、周りの生徒たちとは比べ物にならないほどキラキラと輝いて見えた。
ロングスカートで、骨格も顔も良い學くんにはその完璧なバランスと端正な顔立ちで、それだけでも完璧な女装に見えた。
彼は相変わらずニコニコと満足げに微笑みながら近づいてくる。
その笑顔は、自信に満ち溢れていて、まるで舞台の主役のようだ。
髪型こそ元のままだったが、きりりとした紺地に白ラインの襟と赤いリボンが、まるで魔法のように彼の魅力を引き立てていた。
僕なんかとは比べ物にならないくらい、自然で、似合っていて……。
「どう?意外としっくり来るかな?」
學くんは軽くくるりと回ってみせると、片方の袖を掴んで軽く引っ張る仕草をした。
その仕草すら、どこか優雅に見える。
その無邪気な動作にクラス中から笑い声が上がり
「似合う似合う!さすがまなぶく~ん!!」
「待って、顔が強すぎる!」
「もう完璧じゃん!」
「お前ら良いモデルだな~」
といった賞賛の声が飛び交う。
教室全体がさらに盛り上がり、僕と學くんは注目の的になっていた。
僕たちは、この文化祭の企画の顔として、スポットライトを浴びているのだ。
周りの興奮した声や拍手の中でも、僕の視線は學くんに釘付けだった。
彼の仕草一つ一つ、笑顔の隅々までを見逃したくない、とでも言うように。
——本当に……似合ってる。
男の人なのに、女の子みたいに可愛くて。
いや……可愛いというよりも……
どこか神秘的で……綺麗だとさえ思えた。
彼の周りだけ、時間がゆっくりと流れているみたいだ。
その時——
ふいに學くんの目線が僕の方を向いた。
その瞬間、心臓が大きく跳ねた。
そして何か面白いことを思いついたように悪戯っぽく笑ったかと思うと
「ねね、ひとみ。せっかくだしちょっと写真撮っていい?」
そう言ってスカートのポケットからスマホを取り出してみせた。
その行動に思わず戸惑ってしまう。
まさか彼からそんなことを言われるなんて、思ってもみなかったからだ。
「えっ!?写真っ……?」
僕が困惑しているうちに、學くんはさっとスマホを構えてカメラレンズをこちらに向けた。
「ちょっ……ちょっと待って!恥ずかしいし絶対黒歴史だって…!」
僕は慌てて顔を手で覆おうとしたが、間に合わない。
「え~?せっかく可愛いひとみが目の前にいんのに、記念に撮りたくないわけ?」
「そ、それとこれとは別っていうか…記念って言ったって、これは仕事じゃん!」
學くんは僕が悩んでいるうちにシャッターを押した。
パシャッという機械音とともにフラッシュが瞬く。僕の視界が真っ白になる。
「あっ!もう!勝手に撮らないでよ……!」
抗議の声は、教室の喧騒にかき消されそうだ。
思わず抗議の声を上げると、
「わかったって笑、ごめんごめん!でもあともう一枚だけ撮ったら終わるから!」
そう言いながら、學くんはまたスマホを向けてきたので、諦めて大人しくされるがままになることにした。
これ以上抵抗しても無駄だと悟ったからだ。
そして、カシャッと音を立てて撮られた二枚目の写真のあと
學くんはなにやら液晶画面の上で手馴れたように指を滑らす。
写真を確認しているのだろうか。
「……よし!」
學くんは、まるで戦利品を獲得したかのような得意げな表情を浮かべながら、満面の笑みで
「じゃーん!見てみてひとみ♪可愛くない?」
そう言ってスマホの画面を目の前に差し出してくる。
画面いっぱいに広がるのは、さっきのセーラー服姿の僕。
僕が恥ずかしさに顔を赤くしている瞬間を捉えた、なんとも不本意な一枚だ。
完全に學くんに乗せられて撮らせてしまった一枚だ。
「ちょっ……そんなの誰かに見られたらどうするの?!すぐ消してよ!恥ずかしいし!」
僕は顔を真っ赤にして學くんの腕を掴んだ。
少しでも抵抗しないと、この羞恥心に押しつぶされてしまいそうだ。
彼は「大丈夫だって~」と悪戯っぽく笑うと、そのままスマホをポケットにしまい直してしまった。
僕の焦りは、彼にとっては面白い冗談でしかないのだろう。
……結局、その後は写真の確認と、衣装の最終チェックを終えると着替えて終わり。
他の作業へと移り、特に何事もなくその日は過ぎていった。
僕の心臓だけが、まだ少しだけ高鳴っていたけれど、それは誰にも気づかれないように胸の奥にしまい込んだ。
◆◇◆◇
それから数週間が経ち───
季節は秋が深まり、いよいよ文化祭当日が訪れた。
あの日の恥ずかしさや胸のざわめきは、いつの間にか日常の忙しさに紛れてしまっていた。
入り口には〝女装男装コンカフェ〟の看板を掲げ、通りかかる生徒たちの好奇の視線を集めている。
中は既に壁やテーブルにはピンクの風船や、ハート形の飾りが沢山飾り付けられていた。
少しやりすぎなくらいに可愛らしい装飾が、カフェらしい華やかさを演出している。
入り口にも『女装・男装カフェOPEN!』のプレートが掲げられていて、開店準備は整ったと言える。
僕たちはもう一度セーラー服に着替えて、緊張の面持ちで待機した。
「うわぁ〜思った以上に賑わってるね……!」
外の廊下まで続く人の列を見て、學くんが感嘆の声を漏らす。
「確かにっ!すごい人だかり……!」
僕も思わず声を上げた。
予想以上の反響に、身が引き締まる。
そんなことを學くんと話していれば、パンパンっと手を叩いて委員長の前田さんがみんなを集めた
「はいみんな静粛に!これから本番に入るけど問題なくいけそうね?」と問いかけられ
はい!と、みんなやる気満々に声を張り上げた。
僕も負けないように、精一杯の声を出す。
その言葉と共に一斉にお客さんたちを迎え入れた。
最初は緊張していたせいか上擦った声になってしまったけれど
なんとか笑顔を作り、接客をしていくと次第に慣れていき、楽しくなってきた。
(良かった……ちょっと不安だったけど、案外ちゃんと出来てるかも)