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🌙 Scene 37:現在に戻る音
倉庫の前で見た横顔の記憶が
ゆっくりと遠ざかっていく。
深く息をつき、
スマホの画面をもう一度だけ見つめた。
そこには、
さっきまで交わしていた
“気づいた後の言葉” が残っている。
──前みたいに話せたらいいなって思ってました。
その一行は、
もう過去のものではない。
あの頃の景兎先輩ではなく、
今の景兎先輩が、
向けてくれた言葉。
(……どうしてこんなに、胸が静かなんだろう)
気づいたあとで交わす言葉は、
もっとぎこちなくて、
もっと重くて、
もっと苦いものだと思っていた。
でも実際は違った。
ただ、
温度があった。
ただ、
距離が近づいた。
、
“また話せる” という事実が
胸の奥に静かに灯っていた。
スマホを伏せ、
天井を見上げる。
同じ夜のどこかで、
景兎先輩もまた
私とのやり取りを思い返しているのかな…。
気づいたあとで、
それでも言葉を交わせたこと。
前みたいに話せるかもしれないという
小さな希望。
そして──
前とは違う距離に立っているという
確かな実感。
ふたりは今、
同じ地点に立っている。
でも、
同じ方向を向き始めたのは
ほんの少し前のことだった。
その静かな始まりが、
夜の空気の中で
ゆっくりと形を持ち始めていた。
🌙 Scene 38:景兎の最初の一歩
有莉澄さんから届いたメッセージを何度も読み返していた。
──前みたいに話せたらいいなって思ってました。
──嬉しいです。
その言葉は、
ただの社交辞令ではなかった。
画面越しでも分かる。
有莉澄さんの言葉には、
“距離を戻したい”という
小さな、でも確かな温度があった。
スマホを伏せ、深く息をついた。
(……あの頃とは違うんだよな)
SNSで偶然救われた絵。
DMで交わした短い会話。
距離ができた時間。
そしてコンテストで再び出会った世界。
全部を知ったうえで、
有莉澄さんは“嬉しい”と言ってくれた。
その事実が、胸の奥で静かに灯り続けていた。
立ち上がり、部屋の窓を少しだけ開けた。
夜の空気が流れ込む。
机の上の白い花が、風に触れたように揺れる。
冷たくて、
でもどこか澄んでいて、
胸の奥の熱を少しだけ落ち着かせてくれる。
(……もう一度、ちゃんと話したい)
その思いは、
言葉になる前から
ずっと胸の奥にあった。
でも、“後輩”としてではない。
“審査員と応募者”としてでもない。
ただ、有莉澄さんの世界に救われたひとりの人間として。
スマホを手に取り、ゆっくりと画面を開いた。
指先が、メッセージ入力欄の上で止まる。
何を送ればいいのか、まだ分からない。
でも、送らなければ何も始まらない。
小さく息を吸い、ひとつだけ言葉を打ち込んだ。
『今度、少し話せる時間ある?』
送信。
その一行は、“前みたいに話せたら”という願いではなく、
今の距離から踏み出した僕自身の最初の一歩だった。