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二人を乗せたボートは静かに進む。
カイルは、器用にオールを漕いで、あっという間に、岬に近づいた。
捕まえたタコは、船底にへばりつき、文字通り伸びている。
「カイル……」
「もうちょっと、待って、そろそろ、潮の流れがあるはずだから」
我慢ならぬと、問い正そうとするナタリーを、カイルは、額に汗をにじませながら止めた。
そのうち、言葉通りに、ボートは、導かれるよう、ゆるゆる、動き始める。
「カイル、これは?」
「潮の流がね、上手い具合に、岬に向かっているんだよ。そして……」
何が嬉しいのか、カイルは、ニカリと笑う。
「なあーーんと!ハニー!見てごらん!」
言われた通り、望んでみると、洞窟のような小さな入り口が、岬の岩盤に、ぽっかり開いている。
そして、ボートは、その入り口へ 吸い込まれて行った。
「中に入ってしまうと、潮の流れは止まってしまい、こうして、オールを漕がねばならぬのだが」
言いつつ、カイルは、力を振り絞っている。
思いの外、天井は、高い。そこに、水溜まりの様に、海水が、満ちている。
何の動きもないが為に、カイルは、必死にならざるをえない。そして、進めば進むほど、外界から離れて、差し込める太陽の光は、遠退き、薄闇の世界へ紛れ込んで行く。
「あ、あの、これ、どうゆうこと?そして、何処へ向かっているの?」
「はいはい、もう少し、のはずなんだけど、タコ、逃げてないよね?」
(何故に、そこで、タコ。タコは、お前だろっ!)
ナタリーが、苛立ったその時、一筋の光が、ボートを照らした。
「おお、着いたようだ。やれやれ」
カイルは、額の汗を、手のひらでぬぐいながら、ほっとしたかのような素振り見せた。
光は、左右に、揺れている。
──カンテラ?誰か、いる?
薄闇と、照らされる明かりに、目が慣れた、ナタリーは、その光源を確かめた。
ぼんやりとではあるが、人影が見える。
そして、どうやら、着岸できるようになっている。
岸にあたる場所から、誰かが、光で、ボートを誘導しているのだ。
「これって……」
「やっとたどり着いた。ここは、館の真下。ちょっと大変だけど、石段をのぼって、館へ入る。あっ、タコ、ちゃんといるよねー」
ナタリーが察するところ、岬の中は、小さな洞窟になっており、そこから、上へ行くと、館へ出る、と、いう仕組みになっているようだ。
岬へ近寄り、さて、そこから、斜面を登るのか?はたまた、もうひと漕ぎし、湾へ出て陸から、館まで、歩いていくのか?
などなど、館へ到着する方法を、悩ましく思っていたナタリーには、朗報なのだが、いかんせん、一緒にいるやつが、問題だ。
さらに、こちらを、岸で、待ち受けている人間がいるということは、当然、相手は、カイルと繋がっているということ。
果たして、ナタリーにとって、安全な場所なのか。一抹の不安がよぎる。
「おーい」
と、カイルが叫んだと同時に、ロープが、投げられてきた。
ボートの縁に引っかかった、それを、カイルは掴むと、ボートの先端へ、器用に結びつける。
すると、また、ボートが、ゆるゆると、動き始めた。
どうやら、向こう側で、ロープを引っ張り、ボートを引き寄せているようだ。
「ああ、浅瀬、というか、海面の下は、岩場になっているんだよ。オールでは、もう、漕げないからね」
カイルは、言うと、縁から身をのりだし、チャプチャプと手で漕いだ。
「まっ、二人乗っている訳だから、あれも、引っ張るのは、大変だろう。少しは、違うかなあーと思ってさ」
自身の行っている、子供の舟遊びのような行為を、カイルは、正当化しようとした。
舳先が、ガツンとぶつかり、乗るボートは、小さく揺れた。
「坊っちゃま、お待ちしておりました」
岸には、カンテラを手にする、初老の男がいた。
明かりが、動かなかった、ということは、この男は、片手でロープを操り、ボートを引っ張っていたことになるのだが、そんなことできるのか?と、思わず言いたくなるほど、華奢な体をしている。
しかし、薄明かりの中でもわかる、体にピタリとフィットした、出来の良いスーツ、直立不動の立ち姿、そして、何よりも、カイルの事を、坊っちゃまと、呼ぶところをみると、上位の執事なのだろう。
それにしても、坊っちゃま、とは。
執事にしては、いささか、気が緩み過ぎている気もしたが、ナタリーに、とっては、大収穫だった。
何せ、坊っちゃま、なのだから。
ぶっ、と、吹き出しそうになるのを、必死に堪えるナタリーを、チラリと見ながら、カイルは、タコを、いまいましそうに、がしりと掴むと、岸にいる男へ差し出した。
「ちょうど、良い食材が手に入った。適当に、調理してくれ」
かしこまりました、と、言いながら、執事らしき男は、これまた、器用に、タコを掴むと、カンテラを揺らして、何やら合図する。
「あー、明かりはいらない。お前の後をついていくから。というか、ついてこいって、ことなんだろ?!」
「そうですか、では、先に参ります」
「いやちょっと!」
カイルが、声を上げた。
「ボートから、降りてないでしょっ!それに、しっかり固定してないと、ボートが、流されちゃうじゃないの!」
「ですから、お早くお降りください。そちらの、お客様のお体が、冷えきってしまわれます」
その通り。太陽に照らされていても、肌寒かったのに、洞窟めいた場所にいるのだから、余計に、冷える。それが、理解できるとは、なかなかの人物だ。
まあ、カイルが、坊っちゃま、と、呼ばれても仕方なしか。
くくく、と、つい、肩を揺らしてしまったナタリーに、カイルは、もう!と、苛立ちを見せ、ボートから、岸へ飛び降りた。
「さあ、ナタリー」
どうやら、こちらも、飛び降りないといけないらしく、カイルは、手を差し出している。
渋々、その手を掴むと、想像以上に、ぐいっと、引かれ、ナタリーは体制を崩した。ついで、ボートが、大きく揺れる。
「ちょっ、ちょっと!落ちるわ!」
「だから、早く、こっちへ」
とか、言い争っている間に、見事、ボートは転覆、ナタリーが、カイルを引っ張る状態になり、二人とも、ザブンと、海面に落ちた。
浅瀬、であるのが救いだった。二人は腰の辺りまで、水に浸かり、呆然と、船底を見せたままゆらゆら揺れているボートを見ていた。
「あ、ああ!ちょっと!ボートが!いいの?!流れちゃうわよ!」
「いいさ、どうせ、うちのボートじゃないし、それに、誰かが、処理するよ!」
どこか、忌々しげに、カイルは言うと、ザブザブと水を切りながら岸へ歩み、登った。
「ほら、君も!」
今度は、落ちまいとしてか、何故か腕組みして、カイルは、ナタリーを見ている。
まとわりつく、ドレスのうっとうしさと、水を吸った重みと、戦いながらナタリーも、岸へ歩んだ。
そして、這いつくばるようにしながら、岸に、登り切ったのだが、カイルは、一切、手を貸さない。
ついでに、いつもの、ハニーとやらも、発することなく、
「行くよ」
と、冷たくいい放ち、しかし、一応は、エスコートごとなのか、ナタリーの、手を握って、遥か先へ移動している、明かりを追いかけた。
こりゃー、坊っちゃま、が、かなり効いているわね、と、ナタリーは、内心思いつつ、歩んで行くが、カイルの、不機嫌は、気分が苛立っているというのではなく、目指す、館への道のりの厳しさのためなのだと、ナタリーが、気づいた時には、気の遠くなるほどの段数の螺旋階段が、でんと、立ちはだかっていた。
「……もしかしなくても、これを、昇るわけね」
「そっ、ちょっときついけど」
カイルに、真顔で答えられ、ナタリーは、肩を落とした。
一体、昇りきるのに、何時間かかるのだろうかと、思わせるほど、見上げる先には、階段しか存在しない。
そして、チラチラと、二人を嘲笑うかのように、カンテラの明かりが、揺れていた。